これは、南海ホークスファン同志、やまもといちろうさんに向けたの文章。
まず、マルクスが若いの時代、企業ってのは小さいものがデフォでした。『資本論』ではマニュファクチュアについて多くのページが割かれていますよね。だから、小生が挙げた『経哲草稿』の中の私的所有という概念は、そういう企業や、それの資産の所有が個人レベルであると考えていいと思います。
その後、企業は巨大化し、株式会社などで「共有」が進みましたが、老エンゲルスが指摘したように、いくら共有が進んでも、それは私的所有の範囲です。
さて、社会主義には様々な潮流があります。大抵の社会主義潮流は、自由との兼ね合いで私的所有を否定しませんが、マルクス主義については、自由主義が疎外を生んだと考えますので、万民に自由を齎すには、自由への足枷(統制)が当面必要だと考えています。日本共産党は民主的規制とか言っていますよね。現状をルールなき資本主義と言っています。とはいえ、マルクスは、国家についてきわめて冷淡な考えを持っていたので、国家による所有を考えていたとは思えません。もし、考えていたとすれば、盟友でありライバル――ケンカ友達――であったラッサールです。基幹産業の国有化、国家による福祉。これらは、ビスマルクによって具体化しました。当時のドイツの社会主義運動の成果と言えますが、ラッサールの考えに基づいており、マルクスのものではありません。
さて。話はレーニンに飛びます。1917年のレーニンの革命において、レーニンは当面の構想を描きます。詳しくは『さしせまる破局、それとどうたたかうか』にあります。ロシアの破局に直面したレーニンは、急激な改革を決意します。経済の統制、一般に「記帳と統制」と言われた政策。その中で、経済の管制高地である銀行を国有化すること、大シンジケート(砂糖、石油、石炭、冶金など)の国有化、小ブルジョアジーのシンジケートへの統合などです。社会主義者が権力を握って――まあ、ロシアが最初ですから――、国有化に踏み出したのはこれがはじめてです。
この政策により、社会主義、共産主義=国有化という概念が広く持たれるようになりました。だから、「マルクスは言ってない」というのは、「共産主義」の歴史を知っている人間としては、苦笑いせざるを得ません。確かに、「マルクスは言ってない」し、協働については「自由な人間の自由な諸連合」という、考えようによっては小生産者同士の結びつきをイメージさせることしか言っていませんしね。
なお、国有化の弊害は、新産業の抑圧、政府との結びつきの強さによる硬直化にあることは、今や広く知られています。イギリス病という言葉もありましたね。
これらの事情も含め、共産主義運動の理論と行きづまりについて、手前味噌ながら本を執筆しました。『指導という名の欲望』という本です。現在 Kindle版のみで恐縮ですが、もしよろしければご一読をお勧めします。共産主義運動の概要はこれで分かると思いますし、残された可能性の一つも提案しています。
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