少年時代、アニメは生活の一部だった。大人になっても、気になるものはチェックしている。さて、社会現象にまでなったアニメ・漫画と言えば、「あしたのジョー」「宇宙戦艦ヤマト」「機動戦士ガンダム」「新世紀エヴァンゲリオン」が代表的か。そして、「魔法少女まどか☆マギカ」はこれらの名作に列せられることになると思う。
この作品の存在を始めて知ったのは、イブン・ハキーム同志のツイッターで。例の大震災の頃だったと思う。凄まじいドラマ展開である、と。まど☆マギで一番衝撃的な話は第10話(ファンには神回と呼ばれる)なんだが、それが放映されたのは2011年3月10日。あの大震災の直前である。そして、あの大震災があり、この救いようのない世界を描きながらも、それでもなお救いはあるのだ、と暗示した最終回は、1ヶ月の放送延期の後の4月。もう、このエピソードだけでもこのアニメが神話化するのに十分である。
このアニメは、宗教や哲学・思想系の方々にかなり語られているし、それはそれで面白く、なるほどと思わせるものがたくさんある。それに加えることはないが、やっぱり、哲ヲタとしては何か言いたくなる。そういうわけで、脈絡のないお話に少しお付き合いを。オモシロかったらええねん。
最終回を見た時、「キリストかよ!」と思った。というのは、救いのない話の後、希望の後に来る絶望を引き受けて、「概念(=神)」になるまどかを見たら、クリスチャンの学校に行っていた人間は、人の罪を全て引き受けて十字架に張りつけられたイエス様を思わずして、何を思えというのだろう? そして、何度も何度も失敗を繰り返しながらも、時を繰り返し、まどかを救うために闘い続けたほむらは、名も無き革命家たちを想起する。彼らはわずかな可能性に全生涯を賭け、殆どは失敗し、それでもなお後に続く者を信じて「繰り返した」のだ。この辺の元ネタは、S.ジジェクだね。ってか、誰か、ジジェクにこのアニメを見せろや。(見てる気がする)
すると、先行する革命家たちの絶望を希望に変えるため、事態を引き受け、成功したまどかは、共産主義的にはレーニンなのかも知れない。ほむほむ=レーニン説ってのもあるが、ほむほむは自らが成功したわけではない。
一方仏教的な観点もある。現在、過去、そして未来の――「未来」を入れることで自らの救済をも約束した、すると、自らは超越者にならざるを得ない構造になる――魔法少女の救済を誓願したという観点からは、まどかは弥勒菩薩とも言える。「円環弥勒観音菩薩」とか一部で言われるのも理に従っている。
そのまどかの誓願を見届け、魔獣を退治することに変換された世界で、唯一まどかの記憶を持つほむらは、事態を受け入れた覚悟のある顔をして、魔獣退治に出るところでこのアニメは終わった。解脱者については我々は受け入れ、認めるしかないのだ、と。そう、受け止めたんだがなあ。
他のキャラについても少し書こう。物語の導入者は 巴マミということになるか。彼女は、先輩として後輩たちに生き方、そして死に方を見せた。シャルロッテに殺されるところから、このアニメは絵柄とは似つかわしくない、デビルマン的な世界に突入していく。理想的な魔法少女として登場させるが、その不可能性を暗示させるキャラであった。
そして、敵役?キュゥべえ。略称QB。地球外生物。人間の魂がエントロピーの増大を逆転させ、そこに蓄積される感情というエネルギーを回収し、栄養とする生き物。あ、解説はいいや。こいつの「僕と契約して魔法少女になってよ」という言葉で「ファウスト」のメフィストフェレスを思い浮かべた文学野郎も多いだろう。また、資本制下で「頑張れば豊かになれるよ」と若者に喧伝する資本の宣伝を思い浮かべた、革命運動に関係した人もいることだろう。包摂・収奪というスキームを思い浮かべてしまった人間としては、QBは資本制の体現者に見える。但し、現実の資本制と同じで、彼らの知性は彼らの知性だけで完結し、基本的に人間の都合とは無関係なのだ。彼の名言と言えば、一番はこれだ。 「君たちはいつもそうだね。事実をありのままに伝えると決まって同じ反応をする」。これは、魔法少女に降りかかる秘密について、人間が知った時の反応についての言葉。残酷すぎる現実、否、真実に耐えられる人間はそんなにいやしない。それから辛うじて逃れられるのは時間遡行者・ほむらだけなのだ。ほむらは、二度、QBを射殺する。但し、「個体」ではないQBには意味がないのであった。それは、テロで資本家などを個別で殺しても意味がないことの暗示か。QBにとって、人間の、時として矛盾する感情なるものは「わけがわからない」のである。
さやか。女性が最も同情する少女。どんどん追い詰められ、自分と他人を傷つけ、まどかを泣かせ、そして「私ってホントばか」といい、魔女になるシーンで泣かないものがいるだろうか? 最も人間の業を感じさせるキャラ。ちょっとしたことで破滅の道に入り込んでしまうことは、人の世にはよくあること。
そして、餡子、いや、杏子。さやかとは別の意味で人間不信となったが、心の中は思いやりにあふれていた。思いやりにあふれる人は、時として残酷さを見せつけなくてはならない。なぜならば、残酷な現実が人に降りかかろうとしているとき、残酷な現実を知らしめることは、残酷なことではないだろうか? そういう残酷さをさやかに見せつける意志があった。その意味で彼女は残酷であった。最期はさやかを救おうとして命を落とす。さやかと杏子は対である。
時間遡行者、ほむら。病弱な彼女は、友達がいなかったのだろう。転校先で、命を救ってくれたまどかに友情を感じるが、その時間の矢の中では、まどかは死ぬ。友を失いたくない一心で、まどかを救うためにQBと契約して時間遡行し、やり直す。一カ月を何百回(推定)も繰り返した彼女は、美少女のままで老婆の知恵と知性を育み、そして何よりもまどかへの思いを募らせてもおかしくはない。クレイジーサイコレズとか言われるが、最後の「レズ」は違うと思う。ちょっとどうかな、と思う例えだが、まどかへの思いは同性愛的なものではなく、「それ」しかオモチャを与えられていない幼子が、そのオモチャを取り上げられるとき、凄まじい勢いで泣いて返せと叫ぶ、そういう心ではないだろうか。ほむらにとって、まどかは唯一絶対のものなのだ。だから、アニメの最後で、「事態を受け入れた顔」をしたときに、彼女も解脱したと思ったのだが。
まどか。心優しい、誰よりも真っ直ぐな、だからこそ幼くもある愛しいキャラ。彼女の素直さは迷いの現世の中で優柔不断という結果を招き、周囲に誤解と悲しみを齎すこともある。彼女は泣く。とてもよく泣く。しかし、最後の最後、事態を引き受ける覚悟を決めた時、少女はすでに女となった。QBと契約して、変身して魔法少女になった時、とても凛々しかった。これは悠木碧さんがわざとやったのかどうかは知らないが、「キュゥべぇ、いや、インキュベーター」と契約の時に叫んだ声は、それまでの子供子供した声ではなく、大人の女性の声であった。
このアニメは、さやかが破滅へと突き進む8話あたりから、物凄い展開、どんでん返しが続く。未見の人は是非見て欲しい。
(叛逆はまた、いずれ)

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