『ピケティと資本論 マルクスから読み解く21世紀』(にちぶんMOOK、日本文芸社)
トーマ・ピケティの『二一世紀の資本論』は、立ち読みでぱらぱら目通しした。資本論というよりは、ケネーの『経済表』を思い出した。理論と言うより、実証経済学。手間のかかる大仕事だ。
で。ピケティの主張はr>gということである。rは資本収益率であり、gは経済成長率。この不等式ゆえに、格差は拡大し続ける。歴史的に見て、rは5%、gは1〜2%。例外は世界大戦後である。
rは「簡単に言えば、株や債券、不動産などの資本を投資することによって生まれる配当金や利子、賃料などの収益率」(p027)日本語がおかしいので一部修正)、gは「簡単に言えば、所得や産出の年間増加率」である。マルクス流に言うならば、資本家の収益率が、全体の経済向上率よりも大きい、ということである。例外があった時は、二つの要因によるだろう。まずは世界的な生産力の破壊と、復興期の労働力の不足。ついでにそれに付随した労働運動の高揚や国家の肥大化。
総資本――不動産や金融資産などから負債を差し引いたもの――を国民所得で割った比率(β;資本/所得)はこの60年で二倍になっている。これは資本の蓄積が進むことを示している。経済成長が進むと国民所得が増えるのでβは減少するが、βがこの期間で増加しているということは長期に低迷している証拠となる。また、αを国民所得の中で資本所得が占める割合とすると、α=rβとなる。この等式をピケティは「資本主義の第一の法則」という。これも格差の指標で、αが大きいほど格差が大きいということになる。ちなみにβはドイツで2010年に400%である。
ピケティはさらに、「資本主義の第二の法則」を示す。β=s/gである。ここでsは貯蓄率である。貯蓄に回し、ゆっくりと経済成長するならば、βは大きくなる。gがゼロに近づくほど、βは大きくなる。これをピケティは将来予測に使う。sは安定(約10%)だが、gは小さくなり、21世紀末にはβは約700%になる、と。
なお、ピケティ理論に対する批判としては、クズネッツ曲線によるものがあるらしい。この理論もまた一定実証に裏打ちされていて「資本主義の段階が進めば格差は自動的に縮小し、いずれ安定する」というもの。第二次世界大戦後の世界に生きた小生にとっては分かりやすいし、そう思えるのだが、ピケティ派に言わせれば戦間期のデータを敷衍したもので根拠が薄弱ということになる。
ともあれ、過去の経済データの蓄積から判断すると、資本主義において格差は拡大する傾向にあるようだ。(但し、絶対的貧困を解消する傾向にあるのも言えると思う。)
マルクス経済学の説明が続くが、そこはほぼ端折る。本から外れた言葉で敢えて書くが、「資本の有機的構成の高度化」による「人間の余計者化」が資本主義の課題であり、技術革新が進めば進むほどこれが問題になるだろうし、それを描いていると思う。
次にケインズ革命から金融自由化のバックボーンにあるマネタリズムへの歴史の流れについて説明される。小生思うに金融自由化の本質は資本の運動の、様々な制約をなくするところにあった。要は、マルクスが描いた資本の自由な本質をむき出しにしたところにある。未来への過剰な期待がバブルを生み、金融工学は実態を隠ぺいする。かくして経済は以前にも増して不安定になる。「マルクスが恐慌は必然ととらえたように、資本主義という仕組みのなかに、繁栄と恐慌は内包されている」(p095)のだ。
当面の解決策は累進課税だろう。だがこれは国家を超えてなされなければ意味がない。「抜け駆け」が発生すれば無に帰する。所謂キャピタルフライト問題だ。また、富裕層にとって株式配当は所得税に比べて大変低いことも問題だ。労働規制、教育格差、地域経済の再生、、、などなどの処方箋が書かれていて、これらについての議論が盛んではあるのは小生も知っているが、実際のところは世界大(グローバル)の課題として捉えざるを得ないのではないかと考える。国家を超えた何か、に、<力>を持たせるには何が? それは経済学の問題を超えた課題であり、極めて政治的な課題である。

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