国会での議論が低レベル化して久しい。公安の白書やらを持ち出した共産党攻撃がされている。日本共産党については、小生も様々な疑問があるし、親戚・友人を含めて実害を受けているので正直良い印象はない。ネットで普段は知性をしっかりと発揮する人も、共産党が絡むと感情で目が曇ることもしばしばだ。
だが、だからと言って、共産党に投げかけられるケッタイな物言いを放置すべきという話にはならない。そこで日本共産党に関する「暴力革命」について考えてみよう。
日本共産党と暴力の関係について、避けられぬ話にいわゆる50年問題がある。ここで確認しておかなければならないことについてまず述べる。1950年、終戦直後の日本共産党は徳田球一書記長の下、「平和革命」を訴えてきた。朝鮮戦争に向けて事態が動いていたとき、コミンフォルムは後方かく乱のために日本共産党に武装蜂起を要求した。「平和革命が出来るなんて愚かな考えだ、日本共産党は即刻考えを改めろ」(大意)というわけである。いわゆるコミンフォルム批判である。
当然のごとく日本共産党は大混乱に陥った。まず、「理屈だけの世界の住人」とでも言うべき宮本顕治らは「コミンフォルムの理論は正しい=武装ほう起を準備すべき」という考えを採った。これが国際派である。暴力賛成、ということだ。一方、コミンフォルム批判を受けいれることの意味を戦前からの活動家である徳田球一らは正確に理解していた。平和革命を主張していた徳田らが受け入れられるはずがない。そこで「所感」を発表した。だが、中国からもコミンフォルムと同様の批判が所感派からなされると、たまらず表向き受け入れることとするが、これがきっかけで国際派と所感派に日本共産党は分裂する。ちなみに、徳田球一が書記長なので、正統派は所感派である。
そして、朝鮮戦争が起きる。徳田らは中国へ亡命するが、国内に残った所感派は日本国内で武装闘争を開始する。こうして引き起こされたものが白鳥事件などの虐殺事件である。その後日本共産党は所感派と国際派が合一するが、言ってしまえばどちらの流派も暴力容認の歴史を有するということだ。
さて。日本国政府は共産党対策を主目的として破壊活動防止法を作る。そして日本共産党は今でも破防法に基づいた公安調査庁の監視団体である。
さて。日本共産党は六全協で統一する。その後、議会制民主主義に基づくこと、自由と民主主義の宣言(顕教だから心底信じていいかどうかは疑わしい)を行い、原則として権力奪取の手段としての暴力は放棄していると見てよいだろう。
だが、問題はこの先である。日本共産党の最大のトラウマの一つと言われるものに、チリのアジェンデ政権の崩壊がある。合法的に、選挙によって樹立された社会主義政権がピノチェトの軍事クーデターで潰されたのだ。そして、多数の死者が生まれた。この出来事については様々な分析がされているが、要点としては、アジェンデが軍を掌握できなかったこと、CIAの工作がされるがままであったことがある。要は軍事という国家の大事を把握できなかったということだ。
こういうこともあり、日本共産党は「敵の出方論」を唱える。権力奪取後に敵が武力に訴える場合は、当然のごとく武力に訴える、ということである。眠たいくらいの正論だ。繰り返しになるが、今の日本共産党は議会制民主主義に基づき、選挙による権力奪取を目指す。選挙で多数派になること=多数者革命というわけだ(変な理論だと思うが。というのは、この顕教に従うと、日本共産党が権力奪取においてやろうとしていることは、革命ではなく、単なる政権交代だからだ。) 日本共産党が「敵の出方論」で言っているのは、まさに権力奪取後の反抗の問題である。反革命が武装抵抗するならば、武力でもって容赦なく粉砕すると言っているに過ぎない。これは全くもって当然の、合法的で、正当な行為である。(自衛隊を獲得できるか、という問題は置いておく。)
で。愚かな今の日本国の内閣は、この正論に噛みついているというわけだ。穿った見方をすると、今の内閣は「日本共産党が政権を握ったら、今掌握している自衛隊を使ってクーデターをするぞ」と言っているようなものだ。「敵の出方論」を捨てたのならば、ワシらの反抗を放置しろや!というわけだ。
「敵の出方論」とは、権力奪取の課題ではない。権力維持の課題である。権力奪取前に日本共産党が権力を握りそうになった場合の、日本共産党に対する武力行使という課題もあるが、その場合は正当性がない武力行使に対して、大いに革命的暴力を振るう権利がある。この場合も、部分的ではあるが権力維持の課題であると小生は思う。
んで。共産党の言い方に問題が全くないわけではない。「我が党は一貫して」という理論で、自縄自縛に陥っているという指摘が、現役日本共産党員からなされている。
共産党は宮本氏引退後は暴力革命どころか革命そのものを事実上棚上げした改良主義路線を採っているのだが、党中央は方針転換したことを明確には認めず「党の方針は一貫している」と、党員向けには説明してきた。党中央は「一貫している」その方針を非暴力の地道な社会改良であると党内外に説明するが、「一貫している」のなら、対抗暴力の行使を含む革命路線は昔のまま不変であろうとの治安機関の認定にも根拠を与えている。

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