小生は本当はリベラル嫌いである。ガチ左翼の味方にはなりたいが。だが、左翼思想や、右翼思想に触れることが出来たのは、「戦後民主主義」という、第二次世界大戦後のアメリカの理想が「押し付けられた」スキーム、すなわちリベラルという戦後に肯定された雰囲気によることを忘れたわけではない。すなわち、リベラルには恩があるのだ。
小生がリベラル嫌いなことは「それをやったらどうなるの、だれがその負担をするの?」ということが多すぎるからだ。そして、そこを見抜かれているからこそ、生活者の支持を得ることが出来なかったという当たり前のことを子供の頃から見てきた。
そういうものをこじらせてしまい、特に大衆の本音がほぼそのままの姿で流通しちゃうネット社会では、リベラルの言う「綺麗事」はネタとして消費されるに留まらず、ネット独特の極端化もあって「馬鹿にされるネタ」として消費され、軽蔑されるに至った。
リベラルで最近目立つ人々ってのは、ここをどうも見誤り、「極右反動支配階級が各種レイシストを操り、リベラル攻撃を仕掛け、安倍首相を中心に日本の右傾化を図っている」と考えているようだ。
そうなのだろうか? 例えば、小生の大嫌いな「スローガン」に「安倍死ね」がある。安倍首相が本当に、彼らリベラルが言うようなファシストならば、私兵を用いて「超法規的に」言ってる奴らを闇から闇に葬るであろう。物理的に殺すのだ。安倍首相はそういうことをしているのであろうか?
政治の生命は言葉である。「信なくば立たず」の世界だ。政治に関わるものが、どういう立場であれ、軽々しく「死ね」などと言うべきではない。それは言葉のための言葉ではなく、行為のための言葉である。言葉をすでに信じていないならば、そしてあるリベラル思想の持主が「内戦」とか言っていたが、本気でそう思っているのならば、法的庇護を離れ、独自武装し、権力と軍事的に対峙すべきである。ちなみにレーニンや毛沢東(彼らは断じてリベラルではないが)は、そうやって政権奪取したのだ。
まずは使う言葉を吟味すること。そこからリベラルの再生はあろう。
次に。リベラル結集の軸として民進党がある。本当はリベラルなんか支持したくないはずの志位委員長の共産党は、情勢を正確に分析し、かいがいしく彼ら民進党を支えようとしている。良くは知らないが愛媛のニュースを見ると社民党でもそうだ。だが、その民進党の岡田さんは「財政再建のために予定通り増税すべきだ」と言った。俺は、速攻で投票先から民進党を外した。同じ理由で自民党も外したが。リベラルの人は、極端に苦しい人々のことは良く知っていたり、考えたり、支援したりしている。それは良く知っているしえらいと思う。だが、そこから少し上の、景気に左右される中小企業の経営者や従業員、非正規労働者のことはどのくらい目に入っているのだろう? 増税による景気回復の腰折れの可能性について、どう思っているのだろう? また、アベノミクスの金融政策などを、世界の左派・リベラルの重鎮が支持していたことをどう考えているのだろう? 円高を放置していた民主党に、多くの有権者が呆れ、自民党を勝たせたことは、小生は十分すぎるくらい理由があると思っている。
リベラルは、生活実感から遊離した政策を選挙で並べる。これでは選挙に勝てない。相手の失点で選挙に勝てる場合があるにすぎず、それでは政権維持はままならない。
小生の予感では、今の民進党の体たらくでは次の選挙で自民党は大勝ちするだろう。そして、改憲は現実味を持つことであろう。とりあえずは目先の経済のことを考え、アベノミクスなんか問題にならない景気浮揚策を打ち出さなければ、戦後民主主義なる「リベラルの理想」は数年後に消し飛ぶ可能性がある。自民党の改憲案を読むと、「公の秩序」の名の下、あらゆる言論に権力が介入してくることがかなりの確率で想像される。すなわち、リベラルは死ぬということであり、戦後社会は前提から覆されることになる。そうならないためにも、民進党をはじめとするリベラルは本気で経済政策を考えて欲しい。そして、信を得るために言葉遣いを考えてほしい。

5