読書メモ:『オウム真理教事件とは何だったのか?』
『オウム真理教事件とは何だったのか? 麻原彰晃の正体と封印された闇世界』(一橋文哉著、PHP新書=1151)
オウムに軽くだが誘われたことがある。身の回りには入信した人もいる(この人に誘われたわけではない)。1988年頃のことだ。話を聞いていると「麻原彰晃に帰依せよ」ということで、仏に帰依しようとしていた身としては「自灯明」という考えから違和感があり、入らなかった。あの頃は「面白い新宗教」と世の中は思っていたと思う。色々なメディアで取り上げられ、朝生では直ぐにメッキの剥がれた「なんとかの科学」と違い、密教系に興味のある者からしたら「いい線行ってんじゃないの?」という風に思わせるものがあった。要は、オウムを批判的に見る眼は少なかった。
そのうち、被害者の会が結成されたりして、その危なさは一部の世界で知られるようになった。1993年、小生が青森県に異動した頃だ。入ってしまった知人がいるので心配していた。
そしてサリン事件。職場から寮に帰ってきて、寮の管理人さんから話を聞いた時、頭の中でブチッと何かが切れる音がした。化学産業に携わる端くれの者として、絶対に許せない事件であった。「僕は基本的に死刑反対ですが、実行者は死刑相当で、また噂されている宗教団体が実行者であれば、武装解除された市民を守るために、別件逮捕と言われようが何と言われようが、信者を逮捕・拘束すべきですよ」と、「こういうこと(宗教、思想、テロなど)を一般人より知っている」と周囲に思われていた手前、あちこちで一席ぶった。職場などでは好評。「んだな。」という感じ。だが、当時のネット世界は今で言うリベサヨが圧倒的に強く、袋叩き。この件でリベラルから思いっきり心が離れた。彼らはマルクスやレーニンを弄んでいたくせに、肝心の<力>というものについて無責任で無自覚であったのだ。彼らへの批判としては、今でも小林よしのり氏が一番真っ当だと思う。
前置きがとても長くなった。団塊の世代の一部が連合赤軍から逃れられないように、我ら新人類世代の一部はオウムから逃れられない。また、当時から「マハポみたいなしょぼい店を経営して、貧乏たれの若者を数千人集めてお布施で丸裸にしても、あんなにあちこちに道場を作ったり、挙げ句の果てにはサティアンやサリンプラントを作る金は集まりまへんで、どないなってんねん」という疑問があり、それについて知りたくてこの本を読んだ。
(サマリー長いと怒られたのでここで切る)

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