『牟田口廉也 「愚将」はいかにして生み出されたのか』(広中一成著、星海社新書=136)
牟田口の基本スペックは高い。それは、恐らく軍務官僚としてである。だが、軍内の政治バランスにより、現場に投入された。彼の軍人としての世界観は、武士道の「葉隠」であり、それに基づく「熊幼精神」であった。精神は大事だけど、精神でどんな困難も乗り越えられる、的な。現場で精神主義が全てに優先したら悲惨である。これへの反省こそが戦後日本の復興を下支えしたのだが、近年のブラック企業問題を見ると変にぶり返しているようだ。というのはともかく。
牟田口を「愚将」たらしめたのは、牟田口の資質だけではない。山本七平の言う「空気」「忖度」も重要な要素であった。インパール作戦に反対する人のほうが実は多かった。だが、上官河辺は牟田口の情熱にほだされたし、世界史に詳しい知人は「東條がインドのチャンドラ・ボースの演説に感激し、インパールに最終的に加担した」という東條のロマンティシズムを挙げたし。要は、日本の情に流されるシステム、人間関係に左右される組織の人事が牟田口を「愚将」にしてしまったのだ。

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