『黄金の日日』(城山三郎著、新潮文庫=2914)
子供の頃(小六〜中一)、馴染みのある土地が舞台ということで真剣に見た大河ドラマであり、戦国時代の多くの人物のイメージはこの大河ドラマで出来た。特に、小生の豊臣秀吉像はこの作品による。ただ、小説版では大河版ほど、若い日の秀吉はフレンドリーではないなあ。陽気で人なつっこいキャラが、どんどん残酷になり、主人公の助左衛門も嫌うようになるのがとても悲しかったんだがなあ。
この作品は、高度経済成長が「過去」となり、あの熱狂的な時代が畢《おわ》った時に描かれている。「黄金の日日」を振り返り、これからの時代を考えなくてはならない、という中で書かれた。戦国時代の堺は、貿易都市として栄え、町衆(会合衆)の力は絶大であって、信長や秀吉と雖も簡単には言うことを聞かせられなかった。ただ、時の権力は堀を埋めさせ、自由を奪い、最後には夏の陣で放火するに至る。助左衛門はそういう時代を生き、堺の畢りに立ち会うところで小説は終わる。
ただ、権力は強大であっても、町衆はそれを利用する。そして、生き方は様々だ。主人公は助左衛門だが、主役級の街の人々の生き様が描かれる。若いときの助左衛門を鍛えた今井宗久、その息子宗薫、山上宗二、高山右近、同僚の善住坊と石川五右衛門。五右衛門はそういう設定なのである。そして千利休。秀吉に徴用されるが、天下を取った秀吉が独裁者によくあるように狭量で残酷になるに従い(作品では「増上慢」と描いている)、反抗するようになり、そしてついには処刑される。
賢すぎる石田三成は無理無体な秀吉の命と、自分の良心と常識の板挟みに苦しむ。若い頃の助左衛門を召し抱えようとした秀吉だが、晩年は捉えて殺そうとする。間一髪、三成の計らいにより助左衛門はルソンに逃げる。秀吉が死に、家康が頭角を現すと家康は貿易という権力者にとって「危険な物」を管理し、自由を殺す。助左衛門はそれにも反発を覚える。
尾崎秀樹の解説によれば、史料の乏しい呂宋助左衛門に城山三郎が見事な肉付けをしたとされるが、他に五右衛門について当てはまると思った。また、千利休が権威と金の無根拠さを示すために、助左衛門と結託して「中国の南の実用品のがらくた壺に侘び寂びのブランドをつけて」高値を大名連に付けさせるさまは、金融資本が実物経済の何倍もふくれあがり、そしてビットコインやMMT理論が出てきた今の世の中を問うようである。戦は兵站をどうするかで決する、そのためには「政商」「軍商」が死命を決することが描かれている。大東亜戦争はそこで負けた。家康は、伊賀越えの時に銭をばらまいて生き延びた。
現世を全てと思い定める助左衛門と耶蘇教を信じる高山右近。反対であるが故に「信念に生きる」という点では共通する。右近がバテレン追放で日本を離れた先で助左衛門と会うシーンは読ませるね。
最後に。平野という街は出てこないが、堺を舞台に活躍した平野の商人も多い。代表的なのは末吉孫左衛門だ。信長から最初に朱印船の許可を得た人。因みにその御朱印の実物を見たことがある。「わびさび印」で秀吉らを相手に巨万の富を得たのは実はこの人。当時の末吉家は今井よりも大もうけしたらしい。今はほどんど何もないが(おい)。まあ、明治の御一新の後の近代税法が怖いんだけどね(謎)。末吉家が小説などにならないのは、地味だからというのが末吉家の人の話(個人的に聞いた)。
戦国時代の人はリスクの中で生き、政治に翻弄された。堺は夏の陣で放火され、二万軒と言われる家がやけ、多数の人が焼け死んだ。小説では助左衛門の思い人、今井宗久が引き取って育てた美緒が死んだことになっている。美緒はバテレンとして生き、死んだ。彼女の危うさ、道に生きようという一途さも小説に彩りを添えていた。
この小説が再び読まれていると巻末に松本幸四郎が書いている。経済そのもののありようが問われているからだろう。また、この巻末も興味深いが、一番印象的だったのは松本がルソンでロケをしたとき(大河初の海外ロケ)、地元の老女がエキストラとして、物売り役をした時の話。松本が傷ついた善住坊(川谷拓三)のために武器としての竹槍を作り(イスパニア人を現地人が撃退するため)、交換に薬草を得るために「これと換してくれ」と言った時、老婆の目には恐怖と嫌悪と怒りと、そんなものが一緒になったものが浮かんだ。実に恐ろしい目、と。悲惨な戦争体験が一瞬のうちに老女の心に蘇ったのだろうと松本は言う。日本はフィリピンを蹂躙したことも忘れてはならない。
なお、三谷幸喜は「助左とともに一年間生きました」と証言されているらしい。それまでの大河は年寄り向けだったが、小生みたいな子供も見たくらいだから、全世代が見ていたと思う。見返したい大河ドラマナンバーワンであるのは言うまでもない。

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