『リベラリズムの終わり ──その限界と未来』(萱野稔人著、幻冬舎新書=573)
リベラリズムは今や知性のある人たちの嘲弄の的である。というのは少し考えたらダブスタだらけであり、一部の世界(身内)以外に通用しない論理を振りかざし、マウントを取っているが、実は的外れなので傍目にはいかなる意味でも勝利していないのに勝利した振る舞いをするのが滑稽だからである。
とはいえ、近代はリベラリズムが勝利し、そして常識になった時代でもあった。カント的には不可能毎(格率と言い換えてもいい)だが、目指すべき地平であったからとも言える。著者はリベラリズムの限界を見据え、それを未来に活きたものとして接続したいと意識してこの本を書いたようだ。
その試みの成否は実践に委ねられよう。そのために、リベラリズムにおいては価値判断は余所から密輸入せざるを得なかった内在的論理を暴き、実践においては「パイの大きさ」という条件があることを示す。どんな理論であれ、限界を見据えないと、利用は出来ない。そういうところを示すのには成功しただろう。
で。リベラリズムとノージックらのリバタリアニズムを対立的に描いているが、論理的にはリベラリズムの持つ自由の面を極端にしたのがリバタリアニズムであり、リバタリアニズムをリベラリズムの側から批判するのは中々困難だと思う。確かに、他人の自由を妨げるような自由は認められない、という条件を付すことで色々リバタリアニズムの暴走を抑圧出来るだろうけど、かなり曖昧ではある。この問題については、徴税ということが象徴的である。
粗いという批判があるようだけど、本質論を突き進むという哲学者らしい骨太の主張に好感を持った。

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