『野村の「監督ミーティング」』(橋上秀樹著、日文新書=044)
現役時代にノムさんの考えに接し、「自分がチームで生き残るにはどういう選手になるべきか」を考え、そのための努力をし、名バイプレーヤーとして左殺しで活躍した著者は、その後ノムさんが楽天監督の時にヘッドコーチを勤めた。その時は、「野村の考え」を野村の代理として選手に説明していたとのこと。著者が整理し、エッセンスを凝縮したこの本は読みやすく、理解しやすい。
ノムさんは常々、考えが変われば行動が変わり、行動が変われば習慣が変わり、習慣が変われば人生が変わると仰っていた。野球を通じて人生を考えた人である。現役晩年の選手にはその後の人生の長さを説き、生き方を伝えようとしていたことがこの本にも書かれている。
また、読んでいて思うのだが、言われてすぐに気づくようなことは少ないと思う。大抵は後のある瞬間、思い知るのである。なので、ノムさんは嫌われようがどうしようが、必要と思ったことを、飽きもせず何度も言い聞かせていたと思う。こういう「頑固おやじ」は少なくなった。
サラリーマンとして、色々と考えさせれることが多い。人の上に立ち、偉そうなことを言わなくてはならなくなって気づく。人の上に立つ者はつるんでいてはいけない。ノムさんはそうした。南海ファンとして思い当たることがある。若くして監督になった鶴岡監督は、人情にほだされるところがあったと良く言われる。素晴らしい人であったのは違いないが、一の子分である蔭山さんが、鶴岡さん勇退を受けて南海監督就任後、心労から亡くなった理由の一つは、周囲の男の嫉妬によると言われる。鶴岡さんは人とつるむことが多かった。余りにも親分すぎて、その愛情を選手たちは一身に浴びたかった。だが、愛には限りがある。父親を早くに亡くしたノムさんもそんな選手だったと聞く。だが、「三冠王?ちゃんちゃらおかしい」。鶴岡さんは最晩年は選手たちと距離を取っていたと聞くが、若い鶴岡さんはそうじゃなかったようだ。データ野球に関して蔭山さんをも師匠としていたと言われるノムさんは、男の嫉妬に苦しみ亡くなった蔭山さんの死で色々思うところがあったのだろう。ノムさんは「何で鶴岡野球の最高傑作と言える俺をほめてくれんのや」と、すねた表情を記者に見せることがあったという。様々な苦悩が、ノムさんを作った。鶴岡さんを教師に、反面教師に生き、考えることを求め続けた人だったと思う。
その考え方について、興味深い記述があった。データに基づく野球と言えば、ダリル・スペンサー由来の阪急ブレーブスもそうであった。西本〜上田の流れ。その流れが、上田さんを通じて日本ハムにも流れていた。しかし。日本ハムではデータは素晴らしくあったが、だが、肝心の「どうしてそういうデータになったか」、すなわち、データは野球の結果なんだが、その結果につながる心理の分析まではしていなかった、と著者は言う。小生は思う、ノムさんはそこまで考えることを、選手やスタッフに求めるのか!と。
思い出すのはエモやん(江本孟紀さん)の回想。「エモ、フルカウントになったら、ボール一つ外せや、バッターは振りよるで。」その通り投げたら、三振が取れたというから恐ろしい。確かにTV中継を見ていても、2−2までは見送ったボールを振る打者は多い。というか、自分もそうだった。
今、メジャーではデータサイエンスを駆使した野球が花盛りで、却って選手は考えなくなり、ベンチ、ひいてはその向こう側のスパコンの駒になっていると聞く。だが、野球は「現場」のものだろう。心理的駆け引きが見られる日本の野球はAIを超えて欲しい。今年の日本シリーズは素晴らしかった。我慢で選手を育てた中嶋(上田さんの弟子)、高津(ノムさんの弟子)の激突で、胃が痛くなるような、興味深い采配・用兵・作戦がたくさんあった。そして、野村野球の申し子が勝った。南海ファンとして嬉しい。独立リーグファンとしても嬉しい(高津は新潟の優勝監督)。
ノムさんの教えは、野球にとどまらない普遍性がある。ビジネスマンにも色々応用が利く話がある。

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