『天才』(石原慎太郎著、幻冬舎文庫)
かつて自民党の衆院選挙参謀をしていた人に訊いたことがある。「選挙って、どのくらいお金が要りますんや」。答えは「ざくっと二億円」。角さんは選挙のために三百億円を右から左に流していたとのこと。それが、たったの五億円で失脚させられたのは痛苦だったろう。今は、二百万円クラスで失脚か。アメリカ人記者によると、アメリカの刑法では認められていない免責証言による「蜂の一刺し」がなされ、反対尋問なしで角さんは有罪とされた。とてもおかしな裁判であったが、これこそ佐藤優氏のいう「国策裁判」であったということで、その国策とはアメリカ様には逆らわない、ということである。この後、中曽根売国奴(←小生の判断)による不沈空母、プラザ合意、それによって引き起こされたバブル経済、そして「失われた30年」と「日本沈没」の歴史が来るわけである。著者は愛国者であり、腐敗せる高度経済成長期の角さんに象徴される日本の政治に怒っていた。だが、歴史の流れを振り返ると角さんも愛国者であり、「嫌い」な政治家である田中角栄を愛国者と認め、日本に警鐘を鳴らすべくこの本を書いたということかと。きっかけは森元孝氏が『石原慎太郎の社会現象学――亀裂の弁証法』を書かれたお礼の会食の席で、「一人称で(田中角栄を)書いたらどうですか」と言われたこと。『生還』『再生』がそういう本らしい。
田中角栄は独自資源外交で成果を挙げ、中国国交回復を成し遂げたが、それが米国の逆鱗に触れ、金権腐敗批判の名目で失脚させられたという話は有名。その片棒を担ぐ形になったのが、青年政治家であった著者。だが、この本に描かれる「長い後書き」を読む限りは田中はこの敵に対して、実力を評価していた。「俺に逆らわなければ今頃東京都の長官だ」。著者が青嵐会の議員であったころ、仇敵の著者に対して角栄は「お互い政治家だ、気にするなっ」と。あらゆるものを飲み込み、色々分かった上で人に接する、古き良き保守政党としての自民党の大物政治家らしい人物だったのだな、と思う。
著者は愛国者としての観点から角栄を掘り下げ、日本の進むべき道を示すためにこの本を書いたんだろう。その目論見は結構成功しているのではないか。日本の真実の敵はアメリカであること。アメリカは、自分たちの利益のためなら、日本の首相を罠に掛けること。角栄は日本の万民が豊かにならなければ、国家としての豊かさがないことを見抜いていたこと。角栄後の政治家が、グラウンドデザインをしっかり描けなかったがゆえに、日本国は迷走したためにそれが一際目立つ。そういう意味で、「毛並みの良い」「秀才」ばかりの政治家の中では、土方からのたたき上げの田中は異形であった。ただ、米帝に殺されそうになりながら、国家社会主義者として60年安保改定を成し遂げ(勿論手法に批判はあるが、それは手法である)、田中のための経済重視軽武装を実現した、田中の嫌う官僚政治家の岸信介も異形の人であったと小生は思う。党人派の田中、官僚派の岸。この異形の政治家たちが戦後日本の繁栄を齎したことに小生は異論はない。
著者は政治家としては凡庸な右派政治家としての印象が強い。ただ、アメリカによってゆがめられ、未だに制空権とやらで航空業界が不利益を被っていることを長い後書きで書くなど、対米従属の右派とは一線を画している。そして、著者の本質は政治にあるのではないと小生は思う。小生のとって著者は「怒れる人」である。生きることでぶち当たる理不尽。そして、怒りの湧きどころとしての生命力。生を育む性愛。こういうものへの問いもこの小説には込められている。そして、敵を知るということ。解説者の書く他者理解というテーマ。色々込められている。それが爆発し、読むものを圧倒するのが、田中角栄が病に倒れて言葉を発せなくなってからの記述。様々な伝記、関係者の書物を読み漁って書かれたであろう推測だが、真に迫る。そして、著者自身が死を前に人生を振り返りつつ、田中の言葉に寄せて思うところを重ねていたと思う。かつて見た映画のシーンを重ねつつ、妾の家族のことを語るシーンは特に。
二つ、引用したい。田中が首相になった時の言葉。
「アニ(角栄のこと)に注文なんてござんせんよ。人さまに迷惑かけちゃならねえ。この気持ちだけだな。これでありゃ、世の中しくじりはござんせん。他人の思惑は関係ねえです。働いて働いて、精一杯やって、それで駄目なら帰ってくればええ。おらは待っとるだ。人さまは人さま、迷惑にならねえことを精一杯はたらくことだ。総理大臣がなんぼ偉かろうが、そなんなこと関係しません。人の恩も忘れちゃならねえ。はい、苦あれば楽あり、楽あれば苦あり、枯れ木に咲いた花はいつまでもねえぞ。みんな定めでございますよ。」(p79) 田中の人生そのもののようだ。
「要は誰がいかに発想して土地と水と人間たちを救うかということだ。そうした新しい発想の実現でつくり出した金を、俺は俺自身のために用立てたことなどありはしない。それはすぐれた経営者や政治家にとっても同じことだろうが。他人の出来ぬ着眼と発想で新しく何を開発するかということだ。俺が手掛けてきた俺の発想に依る四十に近い新しい議員立法にせよ、新規の外交方針にせよ、同じ原理ではないか。」(p150) グラウンドデザインを描ける政治家、それに応えられる官僚・企業人が今の日本にどれだけいるのだろうか? とりあえず、小選挙区制と「クリーンな政治」が叫ばれ出して以降、日本は「小さな国」になった。
政治の天才、文学というか、文芸批評の天才、二人に改めて合掌。
あ。共産趣味的には毛沢東の言葉、「四つの敵」が意味深。一般には「米帝」「ソ修」「日本軍国主義」「宮本修正主義」だが、田中の前では「米帝」「ヨーロッパ」そして、「中国」。周恩来らは凍り付いたそうなw 文革の混乱の時代だもんな。

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