アッテンボローさんのところのコメントで触れたことに関連して。
現実の資本主義社会ってのは、労働者と一言で言っても様々だ。労働者の団結なくして、階級闘争は首尾よく進まない。しかし、年収1000万の労働者と、年収100万の労働者が、何のためらいもなく団結できるか、と言われれば・・・・。
子供の頃町工場のおっちゃんらが言っていたのは「労働組合なんて、大手の恵まれた連中のやるこっちゃ、小さいところがそんなのを作ったら、XX工場みたいに、ポリが来て潰されるのがオチや。」
労働組合が存在すること、それ自身が「帝国主義に買収された労働者上層」というイメージが、そんな言葉を使わずにおっちゃんらにはあり、それはまさに階級的本能によって正しいことを見抜いていた。
ここに非和解的な労働者階級内部の対立を見ない人は、階級闘争を見ることも、ましてや指導することも出来ないであろう。
それでもなお、団結あるいは連帯しか道はないのである。恵まれている者が、比較して恵まれていない、苦しい立場にあるものの力になること。そこには当然、恥じらいやためらいがあって然るべきだ。しかし、それは究極には自分のためなのだ。一人は万人のために、万人は一人のために。この場合の万人は、まさに万人、全ての労働者であるべきなのだ。
総評の大馬鹿者労組の「ワシら大手が賃上げされたら、波及して中小も上がる」と大っぴらに言う精神を継承している左派には無理かもしれない。今、旧同盟のほうがマトモに見えるのには、十分な理由があると思う。

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