えーと。何か月か前に「暴力を肯定する人間に民主主義を語る資格はない」と、とても残念なことに共産党員に言われて、すっきりしない思いがあるから書いておこう。
そりゃあ、暴力は嫌に決まっている。だけどな。共産党員ならば「暴力は革命の助産婦」というエンゲルスの言葉の意味くらい踏まえてくれよ。
トロツキーが言ったように、「人類の歴史は犯罪の歴史」なのである。歴史の転回点には、戦争と革命という暴力がある。暴力を全否定しようにも、暴力こそが歴史を作ってきたことを否定しようはない。暴力を全否定することは、人間の営みを全否定することなのだ。
エンゲルスは「旧体制を爆破する」と、革命のことを書いた。すなわち、革命的暴力なしでは革命はない、ということを、だ。
で。人類は悲惨な歴史を踏まえて民主主義のルールを作った。既に一九二八年には戦争は禁止されたはずだった。だが、相変わらず革命も戦争も起きている。理念ではなく現実を生きたレーニンは、暴力を技術として捉えていた。小生はその捉え方を是とする。
どうして革命や戦争という暴力は発生するのだろう。それは、ルールが破たんするからである。どうしてルールは破綻するのだろう。旧体制において状況に対する「伸び代」がないからだと小生は思う。
あ。革命と言っても、技術革新によって齎される社会革命はちょっと脇に置く。社会革命も勿論、旧産業の労働者を失業させるなどの社会的暴力を齎すのだが――例えば重化学工業化により炭鉱労働者が世界中で失職したことを思い出すべき――、ここではもっとむき出しの、物理的暴力を齎す事態である戦争と政治革命を考える。
で。フランス革命は、比較的英明だったルイ一六世(意外に思う人もいるんだろうが、そうなのだ!)が絶対王政を作るために中央集権制を採用し、貴族の没落を招いたのが大きな理由である。絶対王政が必要だった理由は、封建制による地方自治ではフランスが維持できなかったからである。そのためルイは増税をし、貴族特権を奪って行った。その結果、ルイ一六世の元、貧困が蔓延り、それに対応できなかったブルボン王朝は、革命によって滅びることとなった。因みに小生はルイ一六世に同情的である。
ロシア革命は、第一次世界大戦が長期に渡ったことが直接の理由であるが、そもそもロシアにおける資本主義の発展に伴う外資による収奪、農村の疲弊という面が大きかったと思う。こちらは近代化の波に対応できず、農民暴動があちこちで起こり、ボリシェヴィキが勝利することとなった。
どちらも旧体制が事態に対応できる仕組みがないために対応できず、大混乱を招き、むき出しの暴力である暴動などを経て新体制が徐々に出来ていった。面白いのは、どちらの革命も「理性」を信奉していた人々によって中心部は担われたことである。
これらの理性主義者は、文句なく理性を信奉していた。そして、同時に暴力を技術の問題として、政敵抹殺も含めて暴力を上手く利用した。革命という破壊を伴う政変で、暴力なしでコトが済むはずがない。ちなみに東欧の(反)革命でも、暴力は制御され、利用されたのだ。革命的政変の歴史を見れば、エンゲルスが「暴力は革命の助産婦」と言ったことは正当であることが分かるであろう。
で。暴力に拠らない社会変革に成功した国も少数だがある。イギリスだ。(とはいえ、名誉革命以前に流血の惨事はあったのだが。)イギリスは議会制民主主義を何とか作った。これは力の鬩ぎ合いが破滅に至るのを防ぐために考えた知恵である。逆に言えば、むき出しの全面暴力闘争=内戦の危機に面して出来たと考えてよいだろう。凄まじい緊張感からあの独特の議会は生まれたので、イギリスの議会はまさに「切った張った」の緊張感に包まれている。ああ、羨ましい(おい。
ハイエクの言う「カタラクシア」の一つの表れとしての議会、法制。イギリスの民主主義は、何百年も生きてきた。ここの民主主義は「伸び代」が大きいんだと思う。イギリス人はパブで政治談議を、公園で政治集会を行うと聞く。異論、反論、口論が飛び交う。日本のように、異論や反論に発言権を与えない「政治集会」とは違うのだ。
で。このようにしてむき出しの暴力を行使しないで済む仕組みをイギリス民主主義は勝ち取った。だが、同時にそれは裏では緊張感のある民主主義であることが見て取れよう。そして、だが、それは残念ながら、イギリスをはじめとして少数の国の「理想的な」民主主義でもある。
例えば我国の政治。一応、アメリカから押し付けられたひな形としてのイギリス型民主主義はある。だがそれは、選挙に殆どは押し込められ、政党は特殊利益団体の代表団としか思えず、政治家は疎遠なものである。
自分は、縁があって国会の先生と飲むような機会があり、そこで自分の身の回りの仕事のこと、社会のことを伝えることが出来る。恵まれているのだ。そして、政治家先生ってのは個人レベルでは魅力的な人が多く――特に保守系、革新系は残念ながら残念な人が多い――、とても楽しい。ちょっと勇気を出せば、日本でも民主主義の可能性(伸び代)はもっと広がると思っている。
だけどね。裏側を考えてしまうこともあるんだよなあ。というのは、一般庶民は政治を他人事と思い、忌避している。「選択肢がない」という、それ自体は正しいことを言っている。回路が見当たらないのだ。そういうことで政治的怨恨が重なり、貧困化が進んで、かつて1990年に目の当たりにしたような暴動が、日本中で起きないとも限らない。そして、暴動に警察や自衛隊が同情し、合流したら? それこそ暴力革命の王道である。革命が恐ろしいのは、「敵か、味方か」を付きつけることである。そして、「敵は殺せ」である。フランス革命やロシア革命、アジアなら中国革命で恐ろしい数の人命が失われたことを想起すればいい!
そういうのが嫌なら、政治に関わろう、政治家と語ろう、勇気をもって政党事務所に遊びに行こう! 多分そういうことが民主主義の伸び代を増やすことなんだから。共産党以外は大抵フレンドリー。共産党も調子のいい時はフレンドリーだから、今はフレンドリーかも知れない。(嫌な目に遭ったことがあるので、小生は飛びこまんが。)
(戦争についてはあらためて)

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