レーニン様。民族問題。で、レーニン様こそ現在の民族問題の悲惨の根源という説を小生は支持する。
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「悪名高い自治共和国化の問題――公式にはソビエト社会主義共和国連邦の問題とよばれているようだが――に十分力強く、また十分するどく干与しなかった点で、私は、ロシアの労働者にたいして大きな罪をおかしたように思われる。
この問題が起こった夏、私は病気中であった。だが、その後の秋には、健康が回復して、
10月と11月の総会でこの問題に関与できるだろうと、法外の期待をいだいていた。ところが、私は10月総会(この問題のために開かれた)にも12月総会にも出席できなかった。こうして、この問題は、私の手を全然と言っていいほどすどおりしてしまった。
私は、同志ジェルジンスキーと話し合うことができただけであった。コーカサスからやってきた彼は、グルジアでこの問題がどういう状態にあるのかを私に話した。私はまた、同志ジノヴィエフとも二、三会話を交わすことができたし、この問題についての危惧を彼に述べた。グルジア事件『調査』のために中央委員会が派遣した特別委員会の長である同志ジェルジェンスキーから聞いたことから、私は非常に大きな懸念を抱かざるをえなかった。同志ジェルジェンスキーが私に告げたように、オルジョニキッゼが肉体的暴力を振るうという勝手なことをやるまで事態が進んだとすれば、われわれが、どんな泥沼にはまりこんでいるかは想像にかたくない。明らかに、この『自治共和国化』の企ては、根本的にまちがっており、時宜をえないものである。
機関の統一が必要であった、と言うものがある。こういう確信はどこから出てきたのか?この日誌のこれまでのある号ですでに指摘したように、われわれがツァーリズムから借りてきて、ほんの少しソビエトの香油を塗っただけの、ほかならぬロシア的機関から出てきたものではないのか。
自分の機関について自分のものとして責任を負うと言えるようになるまでは、われわれがこういう措置をとるのを待つべきであったということは、疑いをいれない。ところで、現在では、われわれは、正直なところ、その反対のことを言わなければならない。すなわち、われわれが自分の機関と呼んでいるものは、実際には、徹頭徹尾われわれと無縁なものであり、ブルジョア的なものとツァーリ的なものとの混合物であって、他国の援助もなく、軍事的な『業務』と飢えとのたたかいとが主であったこの5年間には、それを克服することはまったく不可能であった、と言わなければならない。
こういう状況のもとでは、われわれが自己弁護に持ち出す『連邦からの脱退の自由』が、ロシアの典型的官僚、真にロシア的な人間、大ロシア人の排外主義者、事実上の卑劣漢で暴圧者の攻撃から、ロシア国内の異民族を守る力のない、一片の反古となってしまうことは当然である。この排外主義的大ロシアのやくざ者の大海のなかでは、わずかなパーセントしか占めないソビエト労働者とソビエト化された労働者とが、牛乳のなかに落ちたハエのようにおぼれてしまうことは、疑いない。
この措置の弁明として、異民族的心理や民族的教育を直接に取り扱うもろもろの人民委員部が独立にもうけられたではないか、という者がいる。しかし、ここでの問題は、はたしてこれらの人民委員部を完全に独立なものにすることができるかであり、またつぎの問題は、われわれが、真にロシア人的な乱暴者どもから、異民族をほんとうにまもる措置を十分に心をつかって講じたかということである。私が思うに、われわれはそういう措置をとろうと思えばとれたし、またとるべきであったにもかかわらず、とらなかったのである。
この場合、スターリンの性急なやり方と行政者的熱中が、またさらに評判の『社会民族主義者』にたいする彼の憎しみが、最悪の役割を演じたと思われる。総じて怒りというものは、政治では、通常、最悪の役割をはたすものである。
私はまた、これらの『社会民族主義者』の『犯罪』事件を調査するためにコーカサスに行った同志ジェルジンスキーもやはり、この点では真にロシア人的な気分をしめしただけではなかろうかと、あやぶんでおり(よく知られていることだが、異民族の出身者でロシア人化した者こそ、真にロシア人的な気分の点で度を超すことが常である)、また、彼の特別委員会の公平ぶりは、オルジョニキッゼの『武勇伝』で十分に特徴づけられるのではなかろうかと、あやぶんでいる。どんな挑発、いやどんな侮辱があったとしても、けっしてこのようなロシア人的な武勇伝をよってよいことになるものではなく、同志ジェルジンスキーが、この武勇伝にたいして軽々しい態度をとった点で、とりかえしのつかない罪をおかしたものと考える。
コーカサスの他のすべての市民にとって、オルジョニキッゼは行政当局者であった。オルジョニキッゼは、彼やジェルジンスキーが弁明していうような激昂に駆られる権利はなかった。その反対に、オルジョニキッゼには、自制心を保つ義務があった。ところが、普通の市民にはだれ一人として、まして『政治』犯の被告には、そういう自制心を保つ義務はないのである。ところで実際には社会民族主義者は政治犯として告発された市民ではなかったか。また、この告発がなされた全状況からみて、この事件はそういうものと特徴づけるほかなかったではないか。
ここでおこってくるのは、重要な原則問題である。それは、国際主義をどう理解するかという問題である。
1922年12月30日エム・ヴェこれを筆記」

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