9条の会HPメルマガより
【全国の「会」は7294に】
11月24日、第3回全国交流集会が開かれ全国の地域、分野の「会」から会場いっぱいの926名が参加しました。小森陽一事務局長は開会あいさつのなかで、この1年間に地域・分野の「会」は493増えて7294になったことを報告しました。交流集会は午前の全体会を受けて、午後は10の分散会と青年・学生と職場の2つの分科会がもたれました。また、午前の全体会の後、呼びかけ人会議が開かれ、「九条の会からのよびかけ」が発せられました。
【呼びかけ人4氏があいさつ】
全国交流集会には、呼びかけ人の大江健三郎さん、奥平康弘さん、澤地久枝さん、鶴見俊輔さんの4氏が出席し、冒頭にあいさつしました。以下はその要旨です(全文は近く発行する「報告集」に収録します)。
〔大江健三郎〕
沖縄戦の集団死について書いた本の第二審の判決について、質問に答えるときに気付いたことがありました。それは、原告側は第二審の最終弁論にあたって、「これは名誉棄損の裁判だが、むしろ自分たちは政治的に大きな目的を持っている」と明言しました。しかし、私の方は政治的目的はあまり考えず、38年前に書いた本を守り続けようと考え、この裁判が自分の日常生活の中に深く入り込んでいたという事実です。そういう態度が浸み付いたのは、「九条の会」のおかげだと思います。最近、物理学者フリーマン・ダイソンの本を読み、同じ論文を20年前に読んだ時とは違う感銘を覚えました。それは非暴力抵抗の概念を一国の国家政策にする国が必要だという内容です。私は去年から今年にかけて何度か「九条の会」の地方の会に出していただき、そこで個人が生きていく規範として「九条の会」の人間であることを続けている人たちにあい、静かな、確信に満ちた規範を感じてきました。ある地方では、お子さん、お孫さん、ひ孫さんの代まで「九条の会」に入っている方がおられる。4代にもわたる平和主義の個人的な規範としての伝統が国家の伝統になれば、日本が国際的に平和主義を本当に樹立する大きな手がかりになるのではないでしょうか。
〔奥平康弘〕
田母神論文問題ですが、これは論文に値しない、一つひとつが批判の余地のあるトピックスを断定的に撒き散らしている。その一つひとつは、他愛のないものなのに、それが懸賞論文の第一位になる、その政治的背景、雰囲気が、大きな問題としてあるに違いないと思います。ですから多極的な側面をもった政治問題になるはずであるとして、マスメディアは格好の話題にしてしまう。いってみれば政治家やマスメディアははしゃいでいる。その中で麻生さんは、「現役の空幕長が政府見解とは異なる見解を公開したのは極めて不適切であった」と言ってみせた。浜田防衛大臣は「チェックできなかったのはわれわれのミスである」と認めた。政府筋は、「自衛隊員の監督、教育のあり方、部外への意見発表の届け出など万全を期し、問題の再発防止に努める」と約束しました。ただ再来年施行される改憲手続法との関係で、法改定のための国民投票の運動の際、公務員・教員の運動を規制することと結びつけて検討していくことは課題となろう。
〔澤地久枝〕
田母神という人は航空幕僚長という非常に高い地位にありながら、いかがわしい団体の募集に応じて「日本が侵略国家というのは濡れ衣」と書いて問題になった。そしてこの論文の審査委員長は私とまるで立場の違う渡部昇一さんです。それだけではなく、自分の部下を大勢応募させたし、自衛隊の中で非常にゆがんだ歴史観を教えていることが明らかになりました。講師の中には、櫻井よしこさんなど、私たちが平和国家として生きようと言えば反対の方向から攻撃をかけてくる人もいます。そういう教育の中で、自衛隊が戦争のできる集団になろうとしている。この幕僚長をなぜ首相は懲戒免職にしないのか。しかし、私たちが代われば世の中は変わる。そして私たちは、9条を守る運動を広げてきました。最近地方などに行って感じることは、大学生、中高生、小学生からもっと小さなお子さんまでみえている。全国の九条の会に参加した人数は確実に増えたし、質的にも広がってきた。いま考えたいのは、自分たちがどう生きていくかというだけではなく、次の世代、その次の世代にどういう社会を残すかということ。参加者が重層的になってきたこと、これはやたらなことでは崩されないし、崩させてもなりません。さしあたっては、経済不況でくらしの問題が迫っています。9条と25条を一つのものとして立ち向かっていく時だと思います。
〔鶴見俊輔〕
同じ「戦後」といっても国会議員や大臣がもっている「戦後」のイメージは違う。「戦後」について、あの人たちが持っているイメージは、朝鮮戦争を杖として経済復興した日本、そしてもう一度世界の大国になろうという意欲が盛り上がった日本だと思います。オリンピックのあたりでそれは非常にはっきりとします。こう変わったのが「戦後」だと思っている。その前あった原爆の投下や、大都会へのじゅうたん爆撃があった時の日本人の感情から出発することができなくなっている。田母神論文などは、まさにそれを踏まえて、朝鮮戦争以後の復興の空気を通って、戦前の日本にまったく無反省に帰っていく道を開いている。しかし「戦後」とは戦争が終わった時という意味なのです。その時の我々の気分はどうなのか。ぐうぜん「二重被爆」という資料を手に入れたのですが、4人の人たちの話が残っています。その中の一人が「もてあそばれたような気がする」と書いていますが、これが戦争が終ったときの原点なんです。アメリカは日本にすでに連合艦隊がないこと、また高層部から撮った写真をみて、もう日本が兵器の補充ができないことを知っていたが、原爆投下の決断をした。アメリカの兵隊の生命を助けるためと言っていますが、ウソです。アメリカは二つの原爆をもっていた。長崎についてはその違いを確認したかった。「二度もてあそばれた」という言葉の意味だと思います。
【特別報告(要旨)】 日本国際ボランティアセンター代表理事/谷山博史
私はNGOで活動してきた23年のうち12年を、カンボジアやアフガニスタンなど紛争地域で、平和について考えてきました。私たちの信念は、「非暴力による問題解決は可能だ」ということであり、対話が最も重要です。「対テロ戦争」は対話の否定です。最近のアフガンの情勢を見ると、展望はまったくありません。民間人の犠牲も増え、空爆による犠牲者は今年も242人も出ています。タリバンなど、さまざまな武装勢力が盛り返し、外国軍の犠牲者を減らすために空爆の頻度が拡大しています。援助関係者の被害も拡大しています。ことし9月の時点で援助関係者の被害者は26人。イギリスのシンクタンクがまとめたレポートでは、アフガンの人たちは、「外国軍は自分たちを守るのではなく、自分たちを攻撃する」「自爆テロは自衛のためにしょうがない」という認識があるといいます。ジャララバードで米軍の空爆があり、37人が亡くなり、7人が行方不明になりました。赤十字国際委員会の調査でも民間人に対する空爆でしたが、米軍は「テロリストを空爆した」と言い張っています。OEF(「不朽の自由作戦」)とISAF(国際治安支援部隊)の活動が統合され、中立であるべき人道支援活動が軍事活動の「武器」とされ、私たちも軍と関係あるのではと反発を受けるようになりました。昨年、自民党はインド洋で自衛隊の給油活動を継続する法案、民主党はアフガン本土に自衛隊を派兵する法案を出しました。どちらも現場の状況を全くみていません。日本はアフガンの紛争当事者が参加する包括的な和平による解決を目指し、その仲介を行うべきです。日本は憲法9条と前文を合む平和の原理・原則を持っているからこそ、自衛隊によらない紛争の解決、その他の国際貢献ができるという前向きなチャンスを、アフガンで生かしていただきたい。
【全体会で5つの「会」から報告】
北海道・グリーン九条の会は、世話人が3人の現職会社社長、10人の会。戦争中のような統制経済や軍需産業だけの優遇でなく、「事業の先行きは平和でこそ」の思いで、「大風呂敷」ならぬ「緑の唐草模様風呂敷」のイメージで先月発足しました。
宮城・憲法九条を守る首長の会は、今年2月に14人が「住民の安心・安全は平和でなければ、9条があってこそ」と呼びかけ、16人の市町村長経験者で作られた会。全国の首長に呼びかけ、賛同が広がっています。
岐阜九条の会は、「サロン9条」を2006年以来月3回程度のペースで114回続けています。これは憲法・9条の学習、新着の話題を議論、活動の交流と実務作業などを内容とし、毎回10数人が参加しています。
福岡・福岡市南区九条の会は、区内に11の「会」。「小学校単位に『会』を」の昨年の交流集会の呼びかけに応えたもので、25の小学校区の会にむけ、「核になる3人がいれば会はできる」と運動を進めています。
教育・子育て九条の会は、教育と子育てにこそ憲法が大事、旧教育基本法の精神を生かしたい、広がった全国の九条の会と連帯をと13人の呼びかけで10月に発足。
【分散会・分科会 草の根運動を交流】
午後は10の分散会と青年・学生および職場の分科会が開かれました。
分散会では「継続的な日常活動をどのようにおこなっているか」「より広範な人びとと結びつきつつ、いっそう草の根に九条の会をひろげるにはどうするか」との共通テーマで、活発な交流がおこなわれた。保守的と思われている人たちとの対話、青年への思いきった接近などをいかに広げるか、「マンネリ」をどう打ち破るかなどについて、みんなで知恵を出し合って、新たな挑戦が始まっていること、イベント的な発想を改め、格差・貧困問題、いのちと暮らしの問題などをとりあげ、新しい参加者のひろがりをつくっていること、宗教者や行政担当者・経験者の参加と協力をえていること、など多彩な経験がだされました。また、「つっかけはいて、エプロンかけて参加し、9条を語りあえる会づくり」をめざしていること、「はりきりすぎると息が切れる、のんびりやらなきや楽しくない。のんびり、ゆっくり、しかししっかりと」と活動すること、「会則なし、代表なし、あるのはお金」と会の特徴や財政の工夫についても語りあわれました。
青年・学生分科会には27人が参加。職場でも大学でも、みんなが主人公になって、「サークル活動のように自由に楽しく」活動を進めるなら、「会」も参加者も大きく変わり、活発になること等が交流されました。
今回初めて設定された職場分科会には58人が参加。「子どもたちを戦争に送らないために」(神奈川・給食9条の会)、「多数の非組合員が賛同者に」(仙台地区教職員九条の会)など、仕事を通じて9条と平和を擁護する立場と決意で広げていること、「職場と地域の連帯で、活動の相乗効果」(センケン東京9条の会)などについても語られた。 機械製造、金融、航空など大企業で活動する「会」の代表も参加しました。?
【「九条の会」からのよびかけ】
◎一人ひとりの創意や地域の持ち味を大切にした取り組みで、憲法を生かす過半数の世論を。◎継続的・計画的に学習し、条文改悪も解釈による憲法破壊も許さない力を地域や職場に。◎思い切り対話の輪を広げ、ひきつづき小学校区単位の「会」の結成に意欲的取り組みを。交流・協力のためのネットワークを。

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