旧ネーム (まさじぃ)です!

2016/2/7

節分=渡辺 綱 (子孫 渡辺麻友)  

広島ブログ

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コホン! わしは渡辺 綱(わたなべのつな)じゃ!!

わしは、平安時代中期に活躍した武将じゃが・・

最近、わしの子孫の“渡辺麻友”が、この時代に活躍しているという噂を聞いたので

わしの得意な、節分の季節に“時代乗越え馬車”に乗って一目見る為に、この時代にやってきた。



なに! わしと節分がどんな関係が有るのかって?

わしの活躍が、後世の節分=豆まきという行事を作ったのを、この時代の者は知らんのか?

初めから、よ〜く説明するから、しっかり聞いておけ!



わしが生まれたのは、天暦7年の西暦953年、わしが小さい頃から、この平安の地には、鬼があちこちに住んでおってな。

その鬼が、時々山から降りてきては、婦人にちょっかいを出したり、財宝を奪って逃げておったので、みんなほとほと困っていた。

そして、わしが屈強な武士に成長した頃、当時仕えていた、源頼光からとうとう指令が下った。

頼光四天王と呼ばれていた、当世一の剛勇のわしを筆頭に四人の屈強な武士が、鬼退治に差し向けられたのじゃ。

わしは、大江山の酒呑童子や、京の一条戻橋や、羅生門に姿を現す、鬼たちを次々と退治していった。

朝廷は、非常に喜んでわしが没した後も、兵庫県の小童寺に霊廟を創って祭ってくれた。



その頃から、長い時代を経て、節分には豆をまいて鬼を追い払うという、風習が出来たのじゃ。

せっかく、わしが退治した鬼が、またこの世に出没しだしても困るからな。

年中、わしが小童寺から見張りをしているという訳じゃ。



ところで、わしが生きていた平安時代には、節分は年に四回有った筈じゃが・・

節分というのは、元々季節を分けるという所から発生しておってな。

古く平安では、立春、立夏、立秋、立冬の四つの季節の分け目の前日に、節分という行事が配置されておった。

それが、わしが鬼を退治して以来、世の中は平和になり、段々と年初めの旧暦12月31日の大晦日の一回になり、それが新暦の立春2月の3日前後になったという訳だ。

しかし、節分は2月3日に限られている訳ではない。

立春自体が、太陽の角度によって決められているので、一日前後動くので節分は、2月2日や2月4日も有りうるということじゃ。



また鬼の話に戻るが、わしが長い間、鬼と対決していて、鬼の色によって性格が違うということが判った。

下に語るので、節分の豆を撒く時は鬼の違いを良く心得て撒くことじゃ。



赤鬼… 貪欲を象徴し、全ての悪心の象徴で、豆をぶつけることで自分の中にある悪い心が取り除かれる。

青鬼… 嗔恚(しんい=怒り)をあらわし、人間の価値は徳を積むことであり、貧相な自分に豆をぶつけ福相、福徳を願う。

黄鬼… 我執(がしゅう〜我を通すこと)にとらわれず、公平なる判断がいつもできる心を願い豆をぶつける。

緑鬼… 不摂生の自分を顧みて、体を健康に保つことを自分に言い聞かせながら豆をぶつける。

黒鬼… 愚痴を意味し、不摂生の自分を顧みて、体を健康に保つことを自分に言い聞かせながら豆をぶつける。



どうじゃな、あんたはどの色の鬼に豆をぶつけるか決まったか?



あっ! 誰じゃ!!

わしの大事な子孫の“渡辺麻友”の方にむいて、豆を撒いているのは!!!

わしの子孫の渡辺性の者は、わしのおかげで、鬼も寄り付かんくらい怖がっとるので、豆なんか撒いてくれんで結構じゃ・・プンプン

“渡辺 麻友”は最強の女なんじゃ・・

AKB・・アッカンベー

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