旧ネーム (まさじぃ)です!

2020/5/27

古代の海岸線は・・  ひろしま

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安佐南区山本地区にある浄円寺池

現在の立地としては、海抜は相当の高さとなり

そこから下を見下ろすと、安佐南区祇園、安佐北区戸坂地区

西区の大芝地区に限らず、中区の全域が全て見渡せる。

最近造成された春日野団地の直下に位置する。


古代を振り返れば、近くには、当時栄えた浄円寺跡地も有り

寺山遺跡群や浄円寺古墳群も存在する。

遺跡群や古墳群の調査は、春日野団地の造成前に

財団法人 広島市歴史科学教育事業団によって徹底的に

発掘調査が行われ、1997年3月にその第13集として

寺山遺跡発掘調査書が作成され、浄円寺古墳群も詳細に

記されている。


日本列島に、人類が住み始めたのは、紀元前100万年前

そして、旧石器時代、縄文時代を経て弥生時代の中期から

紀元後となり、そして古墳時代に突入する。

寺山遺跡や浄円寺古墳群は、その古墳時代の

紀元後500年〜600年に築造されたものと、その報告書には

記されている。

下の写真には、その報告書に掲載した遺跡・古墳群の

分布図を掲載させてもらった。

1.寺山遺跡、2.光見寺跡、3.浄円寺古墳群、4.上組古墳

5.部谷山古墳、6.三王原古墳群、7.広島経済大学構内遺跡群

大町に飛んで 8.大町矢ケ谷遺跡

長束に戻って 9.空長古墳群、10.池の内遺跡、11.文化女子短大

グランド遺跡、12.権地遺跡、13.九郎杖遺跡

祇園大橋の長束側の 14.太田川放水路固定堰遺跡

口田南の 15.中小田古墳群

緑井方面に向かえば、16.神宮山古墳群、17.毘沙門台遺跡

18.毘沙門台東遺跡、19.宇那木山古墳群と、ほぼ一直線に

遺跡・古墳群が並んでいる。


なぜ一直線なのか?という謎は、その調査報告書に詳しく

書かれている。

下の地図は、現在の西区大芝から安佐南区の祇園、安佐北区の

口田地区の太田川流域が書かれているが

地図の中の赤車線部分を注目してもらいたい。

古代の広島は川が存在せず、太田川流域は幅広い海の湾岸が

続いており、その湾岸は遠く可部の方まで入り込んでいた。

上根峠の近くで古代の貝塚が発見され、海岸線が近くだった

という事は、歴史的にも証明されている。

また、数年前に延線になったJR可部線の可部駅から

一つ先の駅は“河戸帆待川駅”縄文時代に神武天皇が

瀬戸内海を航行して、そのまま船山に上がったという伝説も

残っており、当時は海だったという事は疑いようがない。

もちろん、その頃は広島市の旧市内中区は

全て海の底だったという訳


古墳時代には、寺山遺跡、浄円寺古墳群は海岸線に位置した

と報告書に記されている。

古代の人類が、西方面から広島地区(当時は安芸の国)を経由して

東方面に移動する時、又逆方向に移動するにしても

必ず通らなければならなかった場所だ。

それだけ栄えた場所となるので、遺跡や古墳が集中するのも

うなづける。

このように、浄円寺跡、浄円寺池、浄円寺古墳群は

その地域に住む者にとって、かけがえのないの無いものだ。


つづく・・

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