●開演1時間前に新宿ミラノ座に到着すると、そこにはすでに200人強の行列が出来ていた。年齢層は様々だが圧倒的に“大きなお友達”そして“おとなの男の子”が多かった。
その後、行列はまたたく間に膨れ上がり、劇場脇の道路に向かって垂直に伸びた。開場15分前には恐らく800〜900人の列になっていただろう。案の定、開場後は(キャパ1000人強の劇場)、ファンタというイベントの力なのか、それとも期待されていた作品だからかは定かではないが、とにかく立ち見が出る程の盛況だった。
●待ってる最中に、なんだか良くわからないけれど、僕と甲斐君の後ろのおっさんが“往来する一般人”に狙い撃ちされ「この行列はなんですか?」と4回も聞かれていた笑った。
こういうなんだか、尋ねても平気そうな人っているよね。たぶん彼は街頭アンケートでも良く声をかけられる人だろう。
最初は「えっと、東京ファンタスティック映画祭と言って、映画のお祭りなんですけれど(大中略)、鉄人28号の実写版の上映でして(大中略)、今日しかやらない(大中略)、本当の公開は来年(以後略)…」などと、何もそこまで丁寧に説明せんでもというくらい、いや説明しながら明らかに悦に浸ってる風の口調だったのだが、さすがに4回目になる頃には、「映画です。鉄人28号です。」という紋切り型に落ち着いていた。
●そんなこんな僕らは僕らで待ちながら雑談していたのだけれど、甲斐君が突然「ハリウッド版の鉄人28号のキャスティングしてみました!」と、寒風吹きすさぶ中、さらに体温が下がりそうなことを(かなりワザと)言い出して、僕もその話題に付き合うことになった。恐らく周囲からは“痛い会話してる奴ら”に思われたぜ。でも、僕の前の奴が、
・やっぱ村雨役はジャン・クロード・ヴァンダム(武器いらねえじゃん、マジ不死身じゃん)
・鉄人のデザインはシド・ミード
・中身はもちろんロビン・ウィリアムズ
…辺りの会話で肩が上下に揺れていたのを見逃さなかった。
●さて、開場。
ロビー正面では、ウッドベースとペットというシンプルな二人組の構成による“鉄人28号”の生演奏。気の効いた演出だ。
無事に座席を確保すると、ハタから見るとかなり痛い“十字結社”のコスプレ男発見。
とりあえずアニメ版のニコポンスキーやブラック団などを探してみたが見つけることができなかった。
開演まで時間があったので、ロビーをぶらつくと、演奏していた二人組の側に、今回の映画(オックスに投げられ国会議事堂を破壊するシーン)で使用された“1.5mほどの鉄人のミニチュア”発見。
う、うわあぁぁ……・・。
正直、このいでたちには大いに不安にさせられた。
こここここんなんで、オックスの造型は大丈夫なのかっ!!
●席に戻ると僕の隣のオタキングと荒俣先生を足して2で割ったような実にわかりやすいタイプのおっさん(クソ!ひじかけとられてるし!つーかてめえ股開いて座るな!)が、今回上映される“インターナショナルバージョン”と本公開されるものとでは編集と終わり方が違う等、隣の連れに説明していた。かなりな事情通っぽい。つーか聞き耳立てる気はなくても、その甲高い声だと聞こえちまう。
頼むから上映中はしゃべるなよこのデブ!(杞憂に終わりました。見た目だけで判断してごめんなさい。)
●舞台挨拶等の前振りは割愛。一応、ちょこっと書くと、いとうせいこうらファンタ関係者のあまりにつまんねえ雑談の後、例の六本木男声合唱団が歌う「鉄人28号のテーマに」のって壇上のお目見えしたのは、冨樫監督、池松壮亮、蒼井優、視覚効果の松本肇氏。
個人的には香川照之に来て欲しかったのだが残念。
つーかこのテーマ曲、まんま映画でも使われるのだろうか?だとすればとても嬉しい(ちなみにこの実写版の音楽もアニメと同じ千住明氏)。
監督から「話しが来た時、なぜ僕なんだろうと。でも、僕のところに話しが来たということは、原作どおりの作品を作れということではないのだろうと思いました(大意)」とのコメントがあり、その思いについては少々疑問も感じざるを得ないが、まあ、そう思って作ったのならばそういう映画なのだろう。
すでに発表されているプロットや、役者陣の役名を見ても監督の真意はすでに伺えていたので特に驚きはなかったが、なんだか同じプロデューサーが仕切っているアニメ版の監督との、作品に対する温度の違いを感じたのも確か。
●さてといよいよ上映です(ネタバレあるよー)。
冒頭、いきなりインストでテーマ曲が流れ出す。鉄人開発の記録フィルム(モノクロ)が写し出され、寺田農のナレーションにより「鉄人」の生まれた背景が語られる。戦中に開発されたものの、その歴史の1ページにすら残ることもなく葬りさられた兵器、鉄人。
タイトル「鉄人28号」
金田正太郎は夢にうなされていた。幼き日、恐い顔をした父親に突き飛ばされた夢。
父の背後で火花が散り煙りが立ち篭める。そして足のような形の大きな2本の柱。
その夢は正太郎のトラウマとなり、今も亡き父を憎んでいる。父さんは僕を愛していなかった。
転校したばかりの学校で、日が浅いだけでなく“その特異な能力”によりクラスに溶け込めないでいる正太郎。
担任の女教師にさえ訝しがられる。
直感像素質者。
この言葉を例の“酒鬼薔薇事件”の時に耳にした人は多いと思う。
直感像とは、以前に見た事物を後になって実際に見ているように鮮やかに再現する時の像。10〜13歳頃の子供に多くみられる現象だそうだ。この作品中の正太郎はまさに直感像素質者で、この設定は物語終盤まで“ちゃんと”引っ張る(だが、正直、この設定が本当に必要だったかどうかはかなり疑問)。
母親(薬師丸ひろ子)は料理学校の先生。父のことを良く思っていない正太郎に対し、しかし母は母で正太郎に何かを隠しているような素振りだ。どこかぎこちないこの母子家庭にいったい何があったのか(と、言ってみる)。
…あ、こんな調子で書いてたらキリがないですね。
この映画のキャッチコピー
“最後に勇気をふりしぼったのは、いつですか?”
を、知った時に、あまりイイ印象がなかった。だが、物語が進むにつれ謎の老人綾部(中村嘉葎雄)が正太郎に言う“少年の成長の第一歩は冒険から始まる”という言葉と、父の遺言“信じて、進め”が、愚直な程にこの作品のテーマとなっている。まさしく正当派のジュブナイル作品。
少年探偵金田正太郎に憧れた往年の鉄人ファンにとって、今回のオリジナル設定が良かったのかどうかは見て判断して貰うしかないけれど、いろんな立場の大人達(最後はクラスメート) に支えられながらもまさしく“自分の一歩”を踏み出した正太郎を池松君が好演しています。
ラストシーンも実に伸びやかで清々しい。僕は純粋に、あ、イイ映画だったなあと思ったし、過去の冨樫監督作品の中でも一番好き。
以下、ポイントを書きます。→その2に続く