●今、綿矢りさの「インストール」を読んでたりして。で、どうでもいいけど椎名桜子のことをボンヤリ思い出したりして。つーか当時、彼女の周辺でいったい何が起きていたのかを、今さらながらに再検証してみるのもいいかもしれんと思った。
●中学生の頃に“アメコミ”の洗礼を受けた。とりわけニール・アダムスの描くスーパーマンが大好きで少ない小遣いの中から捻出し洋書屋でDCコミックスを購入していた。
ほどなくして1978年。この年はあらゆる意味でオタク元年と言ってもいいだろう。
2月“未知との遭遇”公開。6月“スターウォーズ”公開。10月“2001年宇宙の旅”のリバイバル公開。
テアトル東京(現、銀座セゾン劇場)の一番前の席でそれらSF映画を見ることが至福だった。
左右が彎曲する横幅20m強のスクリーンは、画面下方からいきなり客席に向かい緩いスロープになっていた。
まさに最前列で観賞すると足許からスクリーンなのだ。ここでスターウォーズを1日中見ていた。そんなことを何回か繰り返した。
以降、どこの映画館に行ってもこの劇場を超える映画館はない。
この年、アニメージュ、スターログ日本語版が創刊されるとともに、“月刊スーパーマン”が刊行される。
スターログでは既報であったが、“映画スーパーマン”に関する情報はこの雑誌の方がコアだった。
数千人の中からスーパーマン役に選ばれたのは、週75ドルで働くオフ・ブロードウェイ出身のクリストファー・リーブだった。
端正な顔だち、スマートながらも力強さをしっかり兼ね備えたそのいでたちは、まさにニール・アダムスの描くスーパーマンそのものだった。僕は驚喜した。
そのクリストファー・リーブが心不全で没した。享年52歳。
●スーパーマンを演じた役者には不幸がつきまとう。
スーパーマンの映像化については以前にも述べたが1941年〜1943年、マックス・フライシャーによって製作されたアニメ版が初映像化であり実写化はカーク・アレンが主演した、1948年、連続活劇映画「スーパーマン」、1950年「アトミックマンVSスーパーマン」だ。
アレンはスーパーマンを演じる前、実に40本以上の作品に出演しているが、スーパーマンを演じたことにより、そのイメージが強すぎて以降、役にありつけることができなかった。
後年「スーパーマンを演じたことで私の経歴は台無しになった。 私はハリウッドではもう別の仕事を得ることができなくなった。」と述べている。
1951年、ジョージ・リーヴス主演、映画「スーパーマンと地底人」公開。1953年、同俳優によるTVシリーズ「スーパーマン」が始まる。彼は計104回の主演を努めたが1959年、拳銃により謎の自殺をした。
理由はアレンと同じだったかもしれない。
そして1995年、クリストファー・リーヴスが落馬事故により首から下が麻痺状態になったことは、まだ記憶に新しかった。
★今日は彼の勇姿をDVDで拝見し、再び記憶に焼きつけ合掌したい。
…彼が主演した映画「ある日どこかで」は、タイムスリップを用いてSF的要素はあるものの中身は恋愛物の秀作です。この作品のリーヴスはまさにハマリ役。
小品ながらも最近口コミで拡がっている良作なので、僕もここで支援。是非ご覧あれ。
ジョン・バリーの音楽がまたいいのだ。涙腺直撃。
★★テアトル東京は1981年10月に閉館する。最後の上映作品はマイケル・チミノの“天国の門”。跡地には銀座セゾン劇場が建った。
僕が最後にテアトル東京で観た映画は“スターウォーズ帝国の逆襲”だった。