大日本プロレスの試合が後楽園ホール、埼玉の桂スタジオと首都圏で2連戦あったので顔を出した。
大日本プロレスの常連外人MASADAを私が知人を介して紹介してブッキングしたのは2004年8月である。それからリピートして頻繁に来日しているということは団体として将来の可能性を感じているのであろう。
MASADAとは約3年前にテキサスのインディ団体で知り合った。そして2004年の3月のROHの大会でケージマッチで金網の上から場外にムーンサルトをして観客の度肝を抜いたのを目の当たりにして本人と何度か話をしてハードコアが好きであるといってたので大日本さんに紹介したのだ。
3.31には後楽園ホールのバルコニーから試合観戦しながら「チャーリー この高さから俺もダイブできるぜ!ROHの金網よりは少し高いかもな。。。hahaha」と当時のことを思い出して笑っていた。
それが今ではすっかり大日本の常連となって1年半である。4.1桂スタジオではメインイベントの6人タッグマッチで蛍光灯デスマッチに挑んだ。大流血の末破れはしたがよく頑張って観客からも暖かい声援があがっていた。
試合後は流血のままグッズ売り場でファンにTシャツ販売を行っていた。
アメリカに戻ったときは私がコミッショナーを務めるRCWの常連でもある。


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