2011/4/30

ターリッヒの「我が祖国」  指揮者


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Nippon Columbia-Supraphon COCO-75207 CD 1992


チェコの大家で聴くスメタナの「我が祖国」である。ヴァーツラフ・ターリッヒと言えば、チェコフィルの功労者としても有名で巨匠無しに現在の同楽団を語れない存在でもあるのだが、その演奏は、その民族性を内に秘めながらも新即物的な知的な解釈で聴く者を魅了させる名匠でもあった。アルトゥール・ニキシュに師事した事でも知られている。巨匠の同曲録音は、当録音も含めると正規には、3回録音をされている。これから紹介するレコードは、3度目の1954年収録のものである。さて演奏だが「ヴィシェフラド」は、冒頭のハープから惹かれるものがある。それから徐々に旋律が次々と楽器に受け渡され自由な変奏によって素朴ながら広がりを見せる。それに然程表情的でもない描写ながら聴いているだけでも楽曲が理解出来る簡潔な演奏である。しかしながらオケの響きからは、ボヘミアへの共感が感じられる。それは「モルダウ」とて例外では無いが、情景描写もさりげない表現ながら普通に何の意識無く聴いても其の風景が目に浮かぶ程だ。然もモルダウ河の氾濫から終始部に掛けては凄まじい情熱の発露を聴かせる。「シャールカ」は、頑とした強豪な造型と共に精神の燃焼まで見せる。それにしてもチェコフィルの音色は素晴らしく、シャールカの怒りの復讐劇も凄まじく描かれている。「ボヘミアの森と草原より」は、ボヘミアの風景を眺めた時に感じる人の心を描いているが、聴く者が頭で、どう描こうが構わないと作曲者は述べている。それだけ抽象的な表現なのだが、不思議と聴いていると心が満たされた気に成るのは、どうしてだろう?是は、やっぱり巨匠と楽団が正に一丸と成って共感を持ちながら曲に没頭しているからだかろうか?他国民が聴いても胸が熱くなるのは、それがダイレクトに伝わるからだと確信をしてしまう程だが、久々に聴いてみたら、すっかりと感動してしまった。「ターボル」は、1415年に起きたフス教徒の宗教対立を描いた曲だが、不気味に始まる旋律は、徐々に巨大と成り強い主張を感じてしまう。巨匠の表現も不動の信念さえ感じさせる。つまり曲で讃仰を表明しているのだが、その熱い思いは、現在に於いても生きているのは素晴らしいと思う。更に楽団もそれに答えている。終曲は「ブラニーク」である。この曲の解説を読むと「民族守護の聖人に祭られた10世紀前半のチェコ王ヴァーツラフ1世の眠るブラニークと言う山をフス教徒達の聖地に見立てて作曲した。」とある。冒頭は、その聖地を称えるかの如く堂々と始まるが、新しい栄光へ向けて混沌としている様子や聖地での長閑な風景も時に交え、チェコの民族が希望を見出そうと戦々恐々と挑もうとしている意思が伝わる演奏である。その栄光は、チェコが再び独立国家としての歩みを始めた1993年と重なる。



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Nippon Columbia HR-1039-S 1971 LP


これは以前に延べた自身の見解だが、どうもこのCDは音が痩せがちだ。それでアナログ盤でも2枚に切ったレコードを探していたのだが、ようやく見つかり聴く事が出来たので補足しよう。聴きなおすとやはり一面たっぷりとカッティングされた「ヴィシェフラド」は、奥行きが素晴らしく、細かな演奏の表情もよく解る。なので評価も多少の変更も必要になった。追記すると確かに巨匠の表現は新即物主義の洗礼を受けた音楽家らしく、自身の解釈が入り込む箇所と楽曲本来の特性描写を示す箇所は区別をしている。つまり自身の音楽観に新即物主義を同化させているのだが、それと同様の音楽家としては私見では、カール・ベームが浮かぶ。だからベームでドヴォルザークの新世界交響曲を聴いた時に思わずターリッヒを思い出したのだが、だからこそ、「そうだったのか!」と改めて思う。このアナログ盤は、やはりコロムビア盤だが、オリジナルのスプラフォン盤は当たり前だが素晴らしいそうだ。また欲も出て来たが、それが聴ければより幸せな事だと思う。取り敢えずは、このレコードで満足している。



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Nippon Columbia HR-1040-S 1971 LP

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2014.07.10 補足

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