2012/3/19

蛙の子  指揮者


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King KICC 100 1993 CD


よく父親の才能を受け継いだ子供の事を「蛙の子」とか「親子鷹」等と揶揄するが、此処で挙げる宇野功芳さんとて同様かも知れない!と言うのも宇野功芳さんは、漫談家である牧野周一さんの御子息だからである。父である牧野周一は、キャリアも活動写真の説明弁士からの古い芸人だが、現在では既に忘れ去られた芸人なのかも知れない!私自身も最後に見た記憶は、日曜日正午に現テレビ朝日で放送していた「大正テレビ寄席」辺りの記憶が在るが、その司会が弟子の牧伸二だったからゲストとして寄席をやったのかと思う程度である。そこでおぼろげながら覚えているネタが、確か弁士を務めていた時代を面白おかしく表現していたものだった。そこでは、スラスラと流暢な粋な話芸に感心した記憶がある。さて息子の宇野功芳さんは、斎藤秀雄に師事しており指揮の心得えが在るのも知っていた。実際に合唱指揮者としての腕前は、レコードでも確認出来たが、正直、オーケストラ演奏に於いての指揮にも興味が在ったので、このCDが発売された時には即座に飛びついたものだ。音楽批評家として、レコード芸術の月評とかで歯に衣着せぬ明快な文章に魅了された人も居るだろう!それは私も例外では無いが、著書の「新版フルトヴェングラーの名盤」や「ブルーノ・ワルター」のレコード紹介本を読んでから両巨匠のレコードを聴き始めた位だから影響も受けていた。宇野功芳さんは、兎角ネットでは酷評されているのだが、それは主観の強い批評だけに仕方在るまい!だから私も全部の批評文に対して賛同もしないのだが、参考にはなると思う!さてこのCDで聴ける演奏も凄い個性を感じる反面、賛否は否定出来ない!是は、1992年12月に東京サントリーホールにて行われた演奏会からの実況録音である。さて楽団は、新星日本交響楽団、合唱は、TCF合唱団、独唱は、森美智子(S)、安孫子奈穂美(A)、佐藤一昭(T)、水野賢司(Br)の面々である。此処の解説で作家の宇神幸男さんが「フルトヴェングラー以来の名盤登場!」と批評しているが、私には、どうも納得出来ず眉唾物である。だから宇神幸男さんが述べている即興的な表現も些か人工的で、音楽が自然に息衝かない箇所も在る。ベートーヴェンと言えば求心的で動的な演奏が相応しいが、宇野さんの演奏は、どちらかと言うと方向性が違う印象が在る。一言で言えば、ブルックナーみたいなベートーヴェンである。それは第1楽章冒頭の序奏部分から明らかだが弱音無視で良い意味で大らかである。楽器のバランスに関しても色々と気を使っているのが解る。当然、展開部も情熱より自然の雄大さを求めた表現なので物足りなさを感じる。そして終止部は寂しく儚く終わる異質なものである。第2楽章は、まるで手探りをするように始まる。それから進むのだが、移り行く光景を見るかの如くオケの音色を観察するようなデリケートな演奏だが如何に詮、リズムが重いのに彫が浅いのが気に掛かる。音色への気配りに魅了されるものの良く言えば柔らかく、悪く言えばキレが甘い!第3楽章は、宇野氏が如何にフルトヴェングラーから受けた影響が大きかったかを実感出来る。国内オケで、此処まで弱音が繊細に表現される演奏もそう無いだろうと思う徹底振りには頭が下がるが、もう少し自然に沸き立つものが在っても良いだろうと思う!例の警告の喇叭もあっさりとしている。そして終楽章冒頭は、ティンパニーの強打によって、目の覚めるような表現と言いたい処だが、割りと肩に力の入らない印象!其の後の歓喜の主題がピアニシモで入る箇所も幾等なんでもやり過ぎだろう!だが何処を取っても宇野氏の意図は読み取れるのは立派である。声楽が入ると本領を発揮したかと思う位に充実しているのには感心する。独唱者達も宇野氏の意図に応えている感じだ!そして最初の合唱は、バイロイトのフルトヴェングラーも斯くやと言う位のフェルマーターを掛ける。マーチの部分も活気が在って良い!合唱指揮者としての杵柄は大きかった!それだけ邦人演奏家としての「第九」としては奇跡的な水準に達しているのが素晴らしく極めて稀な完成度だと思う!但しそれは終楽章に限った感想である事を御断りしておこう!宗教音楽かオラトリオを聴いているような印象を受けるが、これも宇野氏の狙い通りかも知れない!尚、終止部は、フルトヴェングラーの様にプレスティッシモを掛けずにリズムを踏み締めて終わる。

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