2011/10/5  21:38

F1今昔  

今週末は日本GPが鈴鹿で行われる。

日本で毎年開催されるようになったのが1987年だからもう24年も経つわけだ。

あの頃のTV放送は深夜1時頃の放送だったが、放送は欠かさずタイムリーで見て、次のGPまで何回も録画したVTRを繰り返して見ていたので、レースの一瞬を見ただけで、何年の何GPかすぐに分かった。

日本にF1を定着させた要因はいくつもあるが、やはりHONDAの力によるところが大きいと思う。
それにプラス中嶋、亜久里、右京といった日本人ドライバーの活躍。

しかしなんといっても「アイルトン・セナ」の存在を忘れてはならないだろう。
日本人以上にHONDAを愛し、信頼し、そして勝ち続けた。

今でも語り草になっているセナの多くの神がかり的なドライビング。

中でも私が一番印象に残っているのは、88年の鈴鹿。

セナ7勝、プロスト6勝で迎えたこのGPで勝てば文句なしでワールドチャンピオンを決める大事なGPだった。
しかしポールからスタートのセナがまさかのエンスト。
ほぼ真ん中くらいまで順位を落とし、誰の目から見てもまさかここからの追い上げは不可能と思ったはずたった。
当日私は130Rで見ていたが、1週目にセナの順位を見て愕然とした。
同じことが中嶋にも起こっていた。
予選をピケと同タイムの6番手に付け、これは表彰台もアリかもと思っていた所、セナと同じくエンスト。こちらはほぼ最下位近くまで順位を落としていた。

しかし時折雨交じりのコンディションはレインマイスターの2人の順位をどんどん上げていくことになる。

結果セナはプロストを抜き去り、初のチャンピオンを決めた。
ウィニングランで身を乗り出しそうな勢いでこぶしを何度も付きあげ走るセナの姿が今でも目に焼き付いて忘れることができない。

このGPのもう一人の主役はレイトンハウスのカぺリだった。
HONDAターボエンジンを唯一オーバーテイクしたマシンはNAエンジンだった。
空力的に優れたこのマシンを造ったニェーウエイはのちにウィリアムズでFW14という傑作マシンを造ることになる。

いずれにしても87〜94年まで時代はセナを中心に回っていた。
そこにプロスト、マンセル、ピケ、ベルガー、アレジ、シューマッハといった名ドライバーが絡み本当に面白い時代だった。

そしていまでもこんな本が出るとつい買ってしまうのである。
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