↑は、茨城県南西部の常総市豊岡町(鬼怒川右岸)に鎮座する「琴平大神」です。この敷地内には他に「八幡宮」及び「延命稲荷神社」が御座います。この場所に創建された「琴平大神」だが、明らかに鬼怒川舟運と関係が有るだろう。ポツンと一軒家の山奥に、琴平神社や金毘羅宮は無いのです。尚、鬼怒川は暴れ川(鬼の如く暴れる川)で有って、平成27年9月10日の堤防決壊は忘れる事が出来ません。
常総市(旧水海道町)は、水運で栄えた町で「水海道河岸」が有った事で知られます。河岸が(往古は津と言う)有れば、そこには「ヒトとモノと金」が集まり、河岸の後背地を含めて繁栄するのです。舟運は又、文化も運んで来たようです。上記の琴平大神の創建は、江戸時代の文化八年(1811)だと言う。
↑は、琴平神社の「扁額」と「鈴」及び、右側に絵馬が見えます。絵馬は絵が消えて、ナニが描かれてるか知りません。
↑は、社内の絵馬ですが薄暗く、格子が邪魔で全体が写りません。絵馬はその他数枚有るようです。
↑は、社前に建てらた常夜燈です。残念ながら、あの3.11大地震で上部が倒壊したのです。残った部分には、寄進者のお名前が刻されています。刻されたお名前の職業は、恐らく河岸に関係した者達に違え有りません。高瀬舟の船頭さんや艀で働く者や、馬を利用した運送業を生業にした者(馬方さん)も多かろう。
↑は、常夜燈の上部です。ここにも寄進者のお名前が刻されています。又、手前には手水鉢が見えます。残念ながら、ここには、力石の存在は確認できません。
一般的に言うなら、河岸周辺の神社には常夜燈、手水鉢、力石、馬頭観音像等は奉納物の四点セットとして見る事が出来るのです。
それにしても、上記のような神社は我々日本人が生きた証として貴重な「文化遺産」だろうが、荒れ果て朽ちてしまうようです。特に絵馬等は、この神社の歴史を知る上で貴重なものだろうと思うのです。コロナ禍の現在では、訪れる人も見ません。
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