日本人が縄文社会から、一定の地域に定住して農耕社会に変化したしたのは、弥生時代からだと言われる。ただ最近の考古学によれば青森県の「三内丸山遺跡」の様な研究成果が有って、縄文時代前期から1500年も定住生活が続いたとされる遺跡が有って、年代的には、どこから縄文時代で、どこからが弥生時代なのか、時代区分はハッキリしない様です。水稲耕作は紀元前5世紀頃(最近は紀元前10世紀説も有る)より日本列島に入って来た様ですが、本格的に水稲耕作が始まったのは、青銅器と鉄製工具が使用され始めた時期であろう。
さて日本の古代社会には文字が無かったから、その起源を知る為には中国の史書に有る「倭人」とか「倭国」を探すしか方法が無いのわけです。最も古い記録は57年「後漢書の倭伝」で、奴国(日本)が朝貢してきた等が見られる様です。以後147年にも卑弥呼が見られ、239年には卑弥呼に金印を与えるとか、247年には卑弥呼と狗奴国の不和等が見える様です。これ以後は413年に「倭の国王の讃」が東晋に使者を送る等が見えるのです。この間には166年の空白が有って、謎の日本史と言っても良いだろう。その間を埋めるのは遺跡の発掘研究調査とか、中国古代文献に頼るしか無い様です。
その謎の166年間には卑弥呼の国は滅びてしまい、いわゆる騎馬民族の日本列島征服があったのでしょうか。現在、江上波夫の騎馬民族による日本統一説は、全面的に承認はされないまでも、非常に魅力に富んだもので古代史好きには、現在でも支持されてもいる様です。これを追いかけるには古代朝鮮半島の歴史とか、中国の万里の長城外に住んだ胡族等(騎馬遊牧民族)を知る必要が有る様です。もちろん江上波夫の騎馬民族説には、これらを含めた巾の広い試論から組み立てられているのです。確認出来るとすれば、天皇陵の公開しか無いが、神聖な場所はそっとしておく方が良いだろう。
確かに魅力の有る騎馬民族説では有る様ですが、これとは別に日本古代史には海洋文化とも呼ぶべき(船の文化)ものが有って、例えば古代中国(漢代)による江南文化の範囲は広く、越国(広東省やベトナム国)等も有って、卑弥呼の国もこの越国文化圏とも呼んでも良いかも知れないのです。司馬遷の史記(前92年頃完成)にチョピリでも日本列島の事を書いて有ればよかったが、縄文人達は外部との交渉が無く、司馬遷の耳には伝わらなかったのだろうか。
蛇足
中国の北魏(386年〜534)は純たる騎馬民族国家だが、道教を国是とした事も有り、それが日本にも影響を及ぼしていると思うのです。これらにも言及していればより面白かったと思うのです。

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