有名な国宝の通称「青不動尊」で有るが、京都の青蓮院に蔵されているものです。不動尊と言うのは密教の教主で有る「大日如来」の怒りの相を表している。但し、何に怒っているかと言うなら、悪に対してそれを噛み砕く相と言う事が出来るだろう。左目を細く閉じて、下の歯で上唇を噛む憤怒の相は見る人々を畏怖させるかも知れない。
ここで又、中国人の物知りに出て貰うのだが、中国では不動尊は殆ど聞かないと言う、どうやら日本独自に誕生したものらしい。
私の住む傍にも「お不動様」と呼ぶ立派な堂が有るのだが、近所の人の話によれば、ここのお不動様は千葉県に有る有名な「成田山新勝寺」の兄貴分で有って、あそこよりは格上なのだそうです。ここは常総台地の南端になっていて、かっては夏の日照りの時には、天まで届く様なかがり火をたき、笛や太鼓に合わせ踊り雨乞いをしたそうで有る。
ここで仏教について若干披露すれば、仏教はインドで誕生したのですが、釈迦が亡くなった以後に残された弟子達は困り果ててしまったらしい。何故なら釈迦の教えは「不立文字」で有って、実践こそが第一義で有って言語表現は無かったらしい。つまり教典が無いのです。釈迦の教えを覚えている者達が、集まって「私は、こんな事を聞いている」と編纂したのが経典らしい。経典の始めに「如是我聞」等はこれを良く表していると言う。
釈迦の教えは「解脱」で有って、解脱とは自分自身の努力で、自分を何物からも解放する事を言うので有るが、これは簡単な事では有りません。従って、これを発展させて「慈悲の心」を合わせ持つと言う事を提唱した者がいるのです。釈迦よりも後世の人で、南インド人の「ナーガールジュナで有った。漢字表記では「龍樹」とも呼ばれる。釈迦ならば「当然この様に言うだろう」と拡大解釈して、仏教を聖化したのです。
さて写真の「青不動」で有るが、不動明王の後背に描かれている炎は「迦楼羅カルラ」と呼ばれる霊鳥の吐き出す炎で、これは仏法を守護し衆生を救うのだと言われる。迦楼羅と言う鳥は翼を拡げると336万里有って、当然として止る大樹が必要で、そこで考えられたのが世界の中心で有る「須弥山」が有り、四つの大陸が考えられたのです。その大陸を覆い尽くすのが迦楼羅の翼でも有るらしい。食べ物は竜を常食にしてると言う。
もちろんこんな話は想像の産物なのですが、この話は何故か「荘子」の話にも似ている様です。過日、仏教書を読んだ時に「仁とか義」等が盛んに出てきますが、恐らく、僧侶達も儒教を読む事が有って、それに触発されたものと秘かに思うのです。
注
「中国仏教史」及び「インド仏教史」龍谷大学編昭和28年版を参考にした。また「黄色不動」と言うものが有って、これも国宝ですが京都の「曼殊院」に蔵されています。

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