安政3年3月3日の条には、商人達が集まって「千石船」談義をしているのが見えるのですが、意訳して下記に記す。(原文は候文)
丸屋清七殿、久蔵殿両人が夕八ツ頃より参る。造船の事は色々手をかえ、奥筋にての造船の次第、又上方造船の次第を具に聞くところ、何れ造船の極上と申すは、大坂に限るべしと申し候。
造船の事は色々手をかえ、、、色々と調査したの意
奥筋、、、一般的には東北地方を指すが、相馬地方から北方を指したので有ろう。
大阪に限り可、、、大阪が一番良いとの意で、可は「限るべし」と読んだ。
その次には、摂州兵庫辺で、又伊勢大湊等で有り、この三か所にて造れば良い様で有る。材木は言うに及ばず紀州産が良く、鉄物□□多国之国産も、沢山有って随分と格好良く出来ると言う。
造船は大阪、兵庫及び伊勢大湊の三か所が良いと言っている。材木は紀州産の檜を指しているのだろうか。鉄物□□多国之国産、は意味不明ですが、恐らく鉄の産地を言うので有ろうが産地は□□で不明です。
紀州産の材木は八戸仙台奥筋よりは高値では有るが、奥筋の諸木は木目粗く、肝要の場合には、是非紀州、飛州、信州の右三国の良材でなくては用が立たない。
何れにしても造船方の義は勿論の事、諸道具に到るまで別に綱等は、加賀むし綱等共も是非とも江戸か大阪にて買い求めずとも良いし、ついでに碇は江戸佃島出来上がりの五庁程でも良く、壱弐丁は大阪出来でも良いのです。上方造船の時は、全てに便宜が宜しのです。以上は清七殿と久蔵殿両人の愚案に御座候と口上が有った。最も碇は江戸佃島の出来が最上と申すと言う。主人が言うには、何れにしても造船の事は藩の上役が評決するので有って、何処で造ろうとも、便利な処で造るのが良いとの仰せで有った。
この商人達の談義に依れば、千石船の造船と小道具類は全てに於いて大阪(造船所一任)が良いと強調している様です。但し、碇は江戸の佃島製が良いとも言っている。ここで主人とは、本家の鈴木家を指すので有ろう。結局の結論は、藩の重役の稟議書に依って決定したので有ろうが、千石船を造るに当たっては、東北の田舎町の商人達で有っても、広く情報を収集した事が良く分かるのです。恐らく江戸商人達から聞いたので有ろう。
注
「夕の八ツ」は、昼八ツの誤記かも知れない。又「飛州ヒシュウ」とは飛騨国の略称です。

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