中国で「因特網」と言うのはインターネットの意味です。これは因特で「Inter」を表し音を借りたものでしょう。網はもちろん蜘蛛の巣の様に張り巡らされた網(ネット)です。昨日のテレビ、新聞によれば「Google」が中国から撤退したいのだと言う。その理由は言わずもなが、中国当局のネット検閲に有るらしい。ネットは水道栓の様に元栓を閉めてしまいば水が出ず、中国当局が嫌がる情報は見られないわけです。
中国のインターネット解禁は確か1996年2月だったと記憶してますが、この時の「インターネットに付いての暫定管理規定」なるものが有って、「国家の機密」及び「社会治安の妨害」に係わる行為を禁止したのです。Google対する嫌がらせが有るとすれば、この二点に触れると判断したのだろう。経済発展が指数的に延び豊かになった中国の最大の泣き所は「格差による民衆の不満の爆発で」国家が大混乱する事です。従って情報に統制はうるさいのです。何故か知らぬが「色情図像ポルノ」もご法度だと言うのです。
さて話は変わるのですが、毛沢東の「女好き」は良く知られ、それは「毛沢東の私生活」等で知れるのです。毛沢東を貶めるわけでは有りませんが、女には手が早いと言うのは本当で有ろう。毛沢東は詩人の心も持っていた様ですが、ただ若い時分から「マルクス.レーニン」一筋で、海外への留学経験とか視察(ソ連には一度行った)する機会が無かった事が、中国を恐怖のどん底に落としこんだのだろう。中華人民共和国が建国した早い時期から、内部の権力争いは想像以上に醜いのです。その延長に「大躍進」、「文化大革命」、「天安門事件」等が有ったのです。
玄宗皇帝と楊貴妃の愛欲生活が、唐朝を滅亡させてしまったのですが、毛沢東の晩年にも「貴妃」と呼ばれる女性が居たのです。名を「張玉鳳」と言え「生活秘書」とか機密秘書とかとも呼び、普通は「看護婦」と呼ばれていたのです。常に毛沢東の傍らに侍り夜昼なく献身したと言う。
この様に話せば、毛沢東にはあの「江青女史」と言う妻が居るのではと、思われるのですが、既に江青の容色は衰えて張玉鳳には敵うはずも無く、それが江青をして文化大革命と四人組争乱に走らせたと言う。江青が「皇后」なら張玉鳳は「貴妃」だったのです。
嘘か本当かは知りませんが、張玉鳳は毛沢東子供二人を生んだと言われますが、いつの間にか子供と一緒に消息不明だと言われます。最高権力者の寵を得た者で有っても最後は案外惨めなものです。日本のGoogleでは毛沢東とか天安門は検索出来ますが中国のGoogleでは受け付けてくれません。

0