川柳に
先生と呼ばれるほど偉くなしが有るが、日本男子が現代の中国に行けば皆先生と呼ばれる。日本の先生の言葉には学ぶ者が尊敬を込めたもので有り(但し、代議士先生も有りこれは揶揄を含んでいるが)中国の先生の語源は日本と同じ様に師と言う意味が有った様です。
現在中国の学校では先生は「老師」と呼ばれるが、往古から先生の言葉は有った様です。いま「釈名」と呼ばれる漢朝時代の本には「昔は師の事を先生と言った。」と有りますが、この先生の解釈には後々まで語源探求が盛んだった様で色々な説が有るようです。いま目に付くものを挙げれば下記に様である。
道を知る者が先生である。
先に生まれた者が先生である。
酒に酔っても先に醒める者が先生である。学問に覚醒する意なのでしょう。
学者の間では年長の者が先生である。
あらゆる職業の先にたつ者が先生である。
道教の道を極めた者が先生である。
現在中国で学校の先生を「老師」と呼んでいるのだが、これは先生の先生を「老師」と呼ぶと有り、これは史記に見る事が出来ます。
現在中国に有っては呼びかけ語の適当な言葉が見付からないから、初対面の時等は○○先生と呼んだり紹介する時に使用されて便利で有る。中国共産党の創立当時は「同士」等が使用されていて、例えば「毛沢東同士」等と使用されるが、文字から考えれば志を同じくする者が同士で有って時代感覚からすれば遺物化した言葉であって庶民にはアレルギーが有るのだろう。まったくと言ってよいほど聞かれない。共産党間のやりとりでは使用されている様だがやがては死語になるだろう。死語化しないなら中国の発展は望めない。
言葉は時代に合わせ変化(文化の発達発展)していて例えば食べる事は「喫」で有り、食の字は食堂等で残っているがこれなどは食文化の変化によって書き言葉が変ったのです。日本語は割りと古い中国言語が残っていて特に仏教用語等は変化していないと言われます。
コトバ全てが中国から入って来たのでは無く日本独自に創られた和製漢語(西洋の翻訳語)も非常に多いのです。これは明治維新時(変革時)に西洋文化を沢山取り得れた為で、つまり発達発展の無い国には古いコトバがそのまま継続するのです。
ただ、私には現代の絵文字にはついていけませんので人間としての成長(発達発展)は止まってしまったのだろう。但し、絵文字は原始回帰では無い事を切に望むものである。
呼びかけの言葉には「老板」も有りますがこれは別項に譲ります。

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