↑は元「
日本ビクター岩井工場」跡地に残るメモリアルです。日本ビクターと言う会社名は知らないと言うのだが
、「JVC」と言うブランドのビデオカメラなら知っているだろう。ビクターと言う企業は戦後の輸出産業の花形で有る「電子立国日本」を担った大企業なのです。現在では「
JVCKENWOOD」等に社名が変わり、東京市場に上場もしているのです。
↑は、日本ビクター岩井工場跡地に建つ大型スーパーですが、なにせ敷地(104,064u)が広かったから、この他にも本屋さん、百円ショップ、ボーリング場、タイヤ屋さん、飲食店、薬屋さん、床屋さん、衣料品、靴屋さん、工具屋さん等々が有るし、駐車場も広いから恰も小さな町が移動したような趣です。郊外に出来る大型ショッピングセンターと言うのだろうか。
↑は、この
日本ビクター岩井工場で製造していたカラーテレビのホンの一部です。今では博物館とか骨董屋さんでしか見掛けないだろうが、他社に比較して「
白色が自慢」だったのです。
さて、この日本ビクターが横浜市から茨城県岩井町(現坂東市)に移動して来たのは1966年(昭和41年)頃だったと言う。従業員は約1,500人程度はいたようです。この地域の高卒女子等の有望な就職先だったわけです。あれから幾星霜電子立国日本(輸出の花形産業)は、近隣の中国に譲ったわけです。↑のメモリアルを見て、
製造大国だった過去の日本を思い出しました。
尚、陸の孤島と陰口を言われた茨城県旧岩井町に大企業が移動(誘致出来たのは)して来たのは、千葉県と茨城県に跨る架橋の
「芽吹大橋」が開通した事が大きかろう。
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