ここ茨城県南西部の某都市部(田舎町)を散歩してると、↑の様な「大師堂」様に会うことが非常に多いのです。タイシには他に聖徳太子が有るのだが、こちらの方は弘法大師を祀ったものだと言う。つまり、この大師堂(様)とは「四国八十八ケ所霊場」のミニ版らしいのです。茨城県から新四国八十八ケ所霊場巡礼の旅には、時間も掛るしお金も必要だから「開創者」の主唱のもとにミニ版として設けたものらしい。
本場の四国八十八ケ所霊場巡礼には、どの様な功徳が有るのか知らないが、恐らく先祖(死者)供養、健康や長寿願望、自分を見つめ直す等々が有るのだろう。残念ながら、詳しくは知りません。
ここ茨城県南西部で「四国八十八ケ所霊場巡礼」の地方版ミニコース」で有名なのは「相馬霊場」と言われ、これは取手市、我孫子市、柏市等に有ると言う。開創は早く、宝暦10年頃(1760)だと言われます。聞くところによれば、この開創は「町に人出を増やし繁栄を目的にした」ものだと言う。
ここで簡単に明治以後の日本歴史を振り返えれば、文明開化と共に先進国に追いつき追い越せと言う旗印のもとに「他国への侵略で戦争の歴史」だったのです。戦争には一般庶民が駆り出され、多くの悲劇を生んだ(死者)のです。朝鮮半島への進出、日清戦争、日露戦争、日中戦争、太平洋戦争等々、日本列島津々浦々からは、戦争の為に多くの若者達が駆り出されたのです。これらの戦争は、先の太平洋戦争による敗戦で、漸く終止符がうたれたのです。一般庶民は、大きな犠牲と悲劇を生みました。私等兄弟も、その犠牲者の一人と言っても過言では無いだろう。
さて↑の新四国八十八ケ所霊場巡礼のミニコースは、日本の太平洋戦争直前まで盛んに行われていたようなのです。恐らく、一般庶民は先の見えない不安や、出征した家族の安全を祈り、更には戦死者の供養等を祈ったのだろう。
いま、殆どの村の要所(寺社、集会所、辻々)には「大師堂(様)」の祠が見られるのです。↑のものは、近年になって祠が立て直されたもので新しいが、既に見捨てられ朽ちかけた祠も多いのです。ましてや、この祠にはナニガ祀られているのか知らない者も多いのです。(次回に続)
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