出典:↑は、「磐城の民俗、第29号、P12〜17」から借用しました。
磐城地方とは、福島県の太平洋岸地帯を指し(西方は阿武隈山脈)あの、3.11で悪名高き福島第一原発(過酷事故が有った)のある地域です。この磐城地方は著名な民俗学者が数多く輩出し、その成果として「磐城の民俗」を出版したようです。
↑は、その第29号からのコピーで、執筆者は現相馬市の「今野昭八郎氏」です。尚、今野氏が上記「力石」について執筆したのは、昭和45年頃だと言う。又、この地域は相馬市内の「旧八幡村」と言う狭い地域での調査です。
要点だけを下記に記します。
1、力石の重量と大きさ
力石は、殆どが卵型の自然石で有る。手の掛るところが無くツルツルしてるのが特徴で有る。大小に違えが有るが、普通は長い方が45Cm、短い方が30Cm、高さ36Cmくらいの直方体である。
2、力石の置かれてる場所
1)神社の境内(富沢の稲荷神社)
(台町の日吉神社)
(飯豊の程田の観音様)
2)郷倉や公会堂(台、高松、げんざいの天野謙二氏の庭に有る)
3)個人の家(区長の家、今田の井桁氏、台町、坊山の三浦氏)
以上の三つ分けられるが、神社の境内が一番多い。
3、力石と若者の娯楽
現代(昭和45年頃)の様に娯楽に恵まれていなかった時代の、若者達の娯楽と言うならお盆や神事の暇な時の他、常の日の夕方に成ると「郷倉」に集まっては、藁仕事(山仕事に使う、荷網、柴綱、背中あてや、あしなか、牛のたてご、草履つくり等)を良くした。こうした中で、力石は欠かせない用具で有った。藁仕事の合間に「力石をいじって」いた。
注:郷倉(ゴウソウ)とは、非常米の備蓄する倉で村の中心地に建てられ、屋根や広場も有って、若者達の集合場所(溜り場)だった。恐らく、ここには未婚の女性も居たと思うのだが、書かれていません。又、郷倉はその役目を終え、令和の現在では殆ど見る事が出来ません。又、藁細工の内容を知らず、説明は出来ませんが「草履つくり」は知っています。
4、その他(若者たちの力比べ)
1)俵担ぎ
2)棒押し
3)相撲(角力)
4)足相撲
5)腕押し
以上が、福島県相馬地方の極く限定した地域の「力石」のお話です。詳しく知りたい方は福島県立図書館に連絡し、「磐城の民俗、第29号、P12〜17」のコピー請求すれば送ってくれます。
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