日本の文芸は上方で始まり江戸の町に伝播し、その江戸で流行った後に地方に浸透して行った様です。狂歌と言われるジャンルもその様です。
狂歌は日本古典和歌(例えば古今和歌集とか新古今和歌集)の伝統を負ってはいたのですが、本質的には皮肉、洒落、茶目気等の江戸子の特長を表し詠んだ様です。
蜀山人の「狂歌界古今独歩」の説には次の様なものが見られます。「、、、ここに狂歌こそおかしもの也。師伝も無く秘説も無し。和歌より出でて和歌より可笑しく、藍より出てし青瓢箪、その蔦四方に蔓延りて、性はせんなり瓢箪の、丸ののの字を書くばかり、、、」と有って、狂歌の目指した方向を表した様です。
さて狂歌には漢籍からの影響はあまり見られ無い様です。書架本を昨晩寝る前にパラパラと捲ってみたが2首しか見られない。未だ有るかも知れないが極端に少ない様です。
何千里照り渡るとも今日の月はながめ尽さん目の届くまで 尾張「其風」
これは白楽天の白氏文集からの翻案で「二千里外古人の心」を、ながめ尽さんと振り返ったものです。この白氏文集は平安歌人にも良く読まれたらしく、多くの注釈本も有る様です。
天の原月すむ秋をまふたつに振り分け見れば丁度仲麿 無銭法師
これの解説は無用で有ろうが、阿倍仲麻呂を詠ったわけです。
狂歌はやがて地方への浸透があったのですが、5.7.5形の短句とは異なり、しかも相当な教養と知識を必要とするから、優れた作品は少ない様です。しかしながら多くの庶民達に親しまれ詠われて作品集も多いのです。
春雨はかり親なるか梅の花雪の中より生まれ出るとは
これは関東地方人の江戸後期のさる人の作品で有るが、先ほどの「何千里、、」の歌に比べれば少し見劣りがする様です。狂歌は大正期まで歌われましたが、昭和に入ると消滅してしまった様です。

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