引っ越してからテレビが見れなくなり、パソコンで映画観たり小説読んだりと行動がかわってきた。
他にもラジオ聴いたりとかインターネットラジオやPodCast聴いたりとあきらかに前とは個人レベルの行動がかわったきた。
その中で多いのが「映画」関係。
20代後半に東京でTV映画関係のバイトをしてたことがある。1987〜1988だろうか?
その頃の事が多くよみがえった。
若いなりの大きな悩みを抱え生き方を模索してた時に出会ったのがその仕事だった。
な〜んて書いたらかっこいいがなんてことはない今のフリーターと一緒で自分の仕事が見いだせないでも金がないので働かなきゃでも面白いものをと贅沢をいうアホだった。
しかも芸能界で働くという事をしながら変に冷めていて、そこにいる気はなかった。あくまでバイト。
まあ当時の映画界の衰退とか考えると無理もない。スタッフは楽しんでいるとはほど遠い「土方」だったから。おかしいとは思った。後の仕事では映画観ないとストレス解消できないようになっていたのに・・・
そんな昔を思い返す今だ。不思議な事にまとまって反芻するような事態だ。
普通なら単なる憧れや夢で終わるところもあるだろう。
「松田優作」さんと一緒に仕事をした事がある。その末期をまとめた本があってこれまたこんな時に目の前に出てくる。
奄美での現状を考えると夢みたいな話だ。だが、その本に出てくる似た様な状況から優作さんはそこから世界へ・・・
うう自分と重ね合わせきれない・・・
この数日で映画への重たさが倍になった。この感覚が現代を感じるひとつの要素でもあると思う。
それは音楽、美術等の芸術そしてそれらが与える経済観念。
頭でわかっても感覚はなかなかつかめない。この感覚は妙だ。
わかりやすくなった時に進化は加速する。
だが今、加速前に悩もう。
悩んでた事が過去によって納得され先に進もうというパワーをもらったようだ。
進むのはもう少し先だ。
時代を俯瞰すれば納得する。今日見つけたのは三丁目の夕日のPodCastだった。
そこからいえるのは温故知新。パソコンやインターネットそして車や電気。それらは道具でしかない!
な〜〜〜んて。
でもなぜ今自分に「映画」なのか?
わかりません。

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