長女と話をしてていろんなことに気がついた。
特に今夜は親戚の所で夕飯をごちそうになり皆で盛り上がった晩だったのでテンションも高い。
そんな中、「エアギター」の話題になりそこから試行錯誤?する中で「エアボーカル」なるジャンルのもので盛り上がり始めた。笠利であった島唄の大会で前回優勝して今回ゲストで出演したまだ小学生の長女がそこに積極的に参加、笑乱の場と化す。
なんじゃこの盛り上がりは。
たまたま森進一の曲集だったが長女は曲を知らないはずなのにエアボーカルしまくり〜!
世の中に新しいジャンルが確立しつつあるのを感じた!ものまねと似ているがまた違う。
何かが動いた?
家で・・・
過去の少年少女民謡民部全国大会のCDを過去のを含め聞く。
長女は聴きたい曲を次々指名、私は応じる。
すると勝手に分析を始める。例えば「前に2位だった子は今回6位だった、声が枯れたからだよね」等と言い始める。聴いた事ないはずなのに?聴いてみるとある場所で「ほら」なんて言ったり。
本人と話した事があるそうで、もうそのコミュニケーション能力に驚くばかり。
子供って能力すごい〜と言わざるを得ない。
しかもCDの演奏を聴いての感想は長年音楽をやっている親の感覚を超えた部分もあり驚く。
はやく良い先生にめぐりあえないか?と真面目に思った。先生とはそういうものであろう。
親が先生になろうと努力する事もある。だが、ああ、違うなと痛烈に感じた。
それは「才能」というものだ。
良い先生と出会えるか?それは運かもしれない、親の努力かもしれない。
僕は歌に関しては素人以下だとわかった。親が子供に教えられた良い例である。
CDの全国レベルの歌を聴く長女の姿勢にとても感銘を受けた。我が子ながら。
「才能」それが世に通じるかは知らないが少なくとも僕が知らない事を感じる能力があるのだとはわかった。
だからへたにいじるのは危険。
音楽への姿勢で僕が言えるのは「楽しむ事」
僕はあまりできないが良い演奏をした仲間たちが終わった後に語るのは「楽しかった〜、おもしろかった〜」
これが昭和時代の「仕事で歯を見せるな」つまり楽しむな!と真逆に感じる訳。
なんにせよ
自分の子供が舞台で良い演奏をして拍手と指笛をもらうのは親としてプレゼントである。
西洋音楽に憧れた親が地元音楽を感じる瞬間でもある。
何か凄い事が起きている様な気がするのに整理しきれない。僕の才能はそのレベルなのだろう。
これとは別に自分レベルの事も進行している。
子供を持つ事によって親は二重に進化できるのかもしれない。噛み砕けるかは別の話だが。
親子の不幸なニュースが聞こえやすい世の中だがちょっと考えると幸せがそこにある、希望がそこにあると思える。
「楽しむ」というがそれは「がんばる」とか「努力」とか言われた過去の言葉と実は同じかもしれない。
な〜んだ。
まだ悟りきれないが子供から教えられる事がすごい多かったなあ。

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