夜中にテレビで流れる天気予報のバックの音楽をいろいろしながら聞いていた。
しかしエネルギー危機で夜中の放送をひかえるといったあの時代は何だったんだろう?
エネルギー危機は去ったのか?意味がわからない・・・
私が世の中不信になる理由の一つだ。どこかの事件だって政府やどこかが皆をけむに巻くためにわざと起こしたのではないかと映画的に疑いたくもなるのだ。
ま、そんなことはおいといて音楽の世界は「聞いてなんぼ」なので結果が分かりにくいようで個人的にははっきりする。
私はドラマーでありトランぺッター。だが悩みは「歌」に関する事だ。
カラオケはからっきしだめなのだ。はたからみたら歌も歌えそうに思うだろうが基本的に嫌いというより苦手なのである。
小さい時より楽器から音楽に興味を示したが、ジュリー等中学校時代は歌もよく聴いた。
だけど歌えないのだ。歌うとあまりのへたくそさに泣きが入る。
トランペットで演奏する時は歌心を大変発揮する。
同じだろうと思われるが実は全然違うのだ。カラオケ歌うと自分の下手さに泣きがはいるのだ。
トランペットでも泣きが入る事があるがその時は練習するのだ。
歌は練習した事がない。声自体はそんなにわるくないと思うのだが。そして肝心なのは別に歌を強要される状況がないという事だ。
私がスナックのカラオケなるもので最初に歌ったのは「青春時代」だった。思え返してもなぜそれだったのかわからない。
独身時代に飲み会でカラオケを歌わされ、ジュリーの「危険な二人」を歌い、「年上の人美しすぎる〜」って先輩を指して歌ったらなぜか泣かれてしまった?うう危険?
等のトラウマ?を得て歌は苦手と思い込んでる現在だ。
それでも演奏家として大丈夫だと思っていた。理論と、経験に裏打ちされたある程度のプレイヤーであると自分を信じてきた。
ところが近年、変化がある。
ぱったりドラムの依頼が来なくなった・・・
実は最近の私の悩みに関係しているようだ、
歌入りの音楽と、楽器だけの音楽にわけよう。
元々プレイヤーの私はやはり楽器だけの音楽いわゆるインストルメンタルというのだが、私はそこの世界の人間だと見えてきた。そこが問題だったのだ・・・
一応セミプロみたいな仕事もしてて(ギャラ超安だけど)演歌等のバックもやってたので音楽わかってると思い込んでいたらしい。
で、悩んでる今日この頃。
テレビのBGMでちょっと気がついた。
最初、中村雅俊だと思って聞いていたら小倉圭だった。
「うまいへたじゃないよな〜味だよな〜」なんて思いながら聞いてた。
しかも歌詞が耳に入ってくる。
実は私は歌詞を聞くのが苦手だ。これもプレイヤーの欠点かもしれん。
過去のバンドメンバーに歌者が「歌詞を忘れた」と言ってもメンバーは誰も答えられんかった。
違和感感じながらその場をしのいだことがある。
だけど今日のBGMは歌詞が頭に入ってくるのだ。確かにリズム的にはおとなしかったかもしれない。その曲は小倉圭のヒット曲ではない。だが「甘いカレー」ってのがひかかった。
歌的には技術的なところは感じない。
「中村雅俊ってテクないのによくここまで歌えるなあ」なんて勘違いしてたくらい。
声は別もの。それをわからないといけないなと思った。
でもスティングのように両方わかってるってのはすごいんだなあと改めて感じた。
もちっと勉強しようと思ったのであった。

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