最近いろんなところで聞くこの言葉、いや最近だけじゃないのだろうが。
外国ではわからんが、私の身の回りでは大問題として「我慢」がある。
解析すればいろんな欲や、必然性や、先見性等、とてもアジア的、宗教的な考えではないか?
少なくともアメリカ映画からは「我慢をして良かった」なんてニュアンスはほとんどないのだからかなり日本的といえるかもしれん。
私自身は、「我慢」しなければいけない時にとるのは「すり替え」である。
立場を変えてみるのだ。
わかりやすい例をあげてみよう。
ドラムスクールやっている。いろんな人が来る。
そこに小学校またはそれ以下の子供がくる。
むぉとんどの場合親が同伴である。
2種類ある。
子供がどうしてもとせがむ。
親がやらせたい。
後者の場合に私にとって「我慢」が多いに必要となる。
なので前者の感覚、つまり本人のやる気にどうやって代えようか試行錯誤するわけだ。
この時の我慢はすごい。
仕事じゃなきゃ「じゃやめよ」の一言で終わり。
うう、眠いので終了・・・

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