外でも結構しゃべってきたが僕の大島紬論を書いてみたいと思う。
あくまで私見です。いろんな方に僕の意見をぶつけてみたが否定もされないしましてや肯定もされないってな意見だが、問題はその良否はいいとしてこれから何するかがいつも問題だと思う。さあ考えてその先があるか?できるか?
考えはあっても実践しなければないも同じ。今はその状態でしょう。そのうち実践するとして(誰が?かな)今までの考え方を書いてみたい。あわや誰かに取られたとしてもそれは奄美の今を変えると思えるのでいいんではないかと思う。僕の中に秘密にしておく道理はいまはない。
奄美の昭和後期の低迷は実は「テレビの民放放送」にあったのではないかと思う。
1976年前期頃だろうか?当時、奄美を離れた僕にとって町並みより歩く人々のファッションが変わったのに驚いた。たまたま奄美を離れていたから気づいたのだろうか?
その頃から紬業は一直線に停滞へと向かったように思う。
情報が解放された結果であるとも見える。
パソコン通信やインターネット、その他で時代はもっと情報化が進んでいる。
結果見えるのは何か?地方の田舎の情報のさびれ方であろうか?
上手な都会の情報と並ぶと地方の情報は魅力がない。
しかし並べるべきであろうか?
なあんて情報で悩む次元に大島紬をおいたらもっと見えないと思う。
なぜなら、ユーザを元に考えたら良い。1960年代までに大島紬を買っていたユーザをリサーチするとわかるだろう。ま、誰もそんなことはやってないし僕が言うのは想像の範囲でしかないが。
ユーザは「大金持ち」もしくは近い人々だったのだ。
くしくも僕の親父は大島紬作っていた。だがそのその妻である僕の母はその高級品を身につけた事はないという現実。外から見ると金持に見えただろう、でも母が身につけていたのは全て不合品だった!ま、知識があるのでそれをうまく組み合わせて見栄えを良くしていたのだ。
僕はかっこいいと思った。
奄美で、紬の日だとか成人式に紬を着ようという動きがあるが・・・・
「はっきりいいます、あほじゃないの?」
この奄美にどんだけ金持、成功者がいるのでしょう?
大島紬は高級品のはずです。なぜ平民が大島紬を着れるのでしょうか?
皆が着れるとしたらそれは大島紬が高級品ではないか?あるいは奄美の人が金持か?どちらかだと思えるる。
もう嘘っぽいそんな動きはやめませんか?おとなしく奄美の人が大島紬を着る事を諦めるのが大島紬の価値を高める本当の方法だとだと思うのですが。
民放が入る前は紬の価値を京都等の問屋にゆだねていた。民放が入って自分たちでその価値を見いだすようになった。
京都の偉大さがわかります。それぞれ役割で動いていたのですね。
今は?ばらばら。いえ実はある法則が働いているのですが、気づかないでしょうね?
はっきり言えるのはもし大島紬が「高級品」であるなら平民は「着る事ができない」という簡単な図式。お役所が建てるイベントはその反対ばかり?不思議です。
そして大島紬の技術さえ衰退していきましたとさ・・・
おいおい!その瀬戸際にいるのをわかる人は目を覚ましましょう。(誰に言ってるのでしょうか?)
技術の目と販売の目から見ても大島紬はおしいところをはずしているように感じる。
かといって僕が何をできる次元でもない。「おしい!」というしかない。
真面目すぎた奄美の技術者に同情しなきゃいけない 時代なのか?
そんな難しい時代にちょっと立ち止まって考える、それが今だと思いますが?いかがでしょうか?
大島紬がいかにすごいか?昔、結城紬の方々が視察に訪れたそうな。「まねできない!」と帰ったそうだ。でもなぜか結城紬の手法をまねした奄美。世界一平和な日本が他の国を真似して警察派出所をなくしていったのに似ていなくもない。あほや!
政府の動きより奄美の動きの方が皆の幸せに近かったと断言できますな。ま、長く続かなかったけど。
何にせよ若い考え方が必要だと思います。大島紬!はもうユーザは世代を超えているのですから。ああ、難し!でもおもしろそう!

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