2015/9/5

田辺城  旅行・観光

1578年(天正6年)織田信長の命により守護大名の一色義道を滅ぼし、丹後を制圧した長岡(藤孝)幽斎は、京に近く交通の要所であった旧丹後守護所の加佐郡八田の地名を田辺と改めて田辺城を築きます。
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1600年(慶長5年)、幽斎の子忠興は石田三成率いる西軍の誘いを退け、徳川家康率いる東軍に加勢します。
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田辺城はすぐさま小野木重勝や前田玄以の子茂勝が率いる西軍の大軍で包囲され、50日にも及ぶ長期戦となったが激闘の末、藤孝は保有する「古今伝授の書」が戦火で喪失するのを懸念し、後陽成天皇に献上。
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後陽成天皇の仲介により攻撃は中止され、田辺城を開城した幽斎は前田茂勝の丹波亀山城で人質となります。
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関ヶ原の戦いの後、細川忠興は豊前国小倉に転封され、京極高知が丹後12万3千石で田辺城に入封するも宮津城へ本拠地を移し、田辺城は一国一城令により破却されました。
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京極高知は次男・高三に田辺藩(舞鶴藩)3万5千石を分割、初代舞鶴藩主となった京極高三により石垣の修復や櫓の再建が図られ、荒廃していた田辺城は再興されます。
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京極氏は3代続いた後に但馬国豊岡藩へ転封となり、代わって入封した牧野氏が明治まで10代継続します。
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