はだしのゲン問題から考える地方自治

2013/8/23 | 投稿者: らっち

 「はだしのゲン」の閲覧制限問題。大きな波紋を呼んでいますね。
 この問題について個人的にどう思うか、はここでは述べません。ここでそれを述べたら、やれ右だの左だの、知ったげに、嬉しげにコメント欄で好き勝手述べる人が出てくるでしょうからね。

 今回は、この問題を通して、地方自治を考えてみます。
 結論から言います。この問題の根本は、「松江市民が、自分の子どもたちにどんな本を読ませたいか。また、どんな本を読ませてはいけないと考えるか」というだけの問題です。それ以上でも以下でもありません。つまり、外野がとやかく言う問題ではない、ということです。あくまでも松江市教委が自らの判断で決断する問題です。
 これは民主主義の根幹に関わる問題です。「ごく一部の市民と多くの部外者で構成された団体から要請があったから閲覧制限した」とか、「その後全国的に反発が大きくなったから撤回した」などという話はあってはならず、あくまでも松江市教委が、学校現場の意見を聞きながら、また児童生徒の反応を確かめながら、そして専門家の意見を聞きながら、松江市の教育の責任者として、決断すべき問題です。

 その意味では、松井広島市長のコメントは、非常に適切なコメントであったと思います。(新聞紙上で見ただけですが)
 松井市長は、「(松江市教委は)子どもの精神発達の段階で完全に害悪を排除しようとすることに、あまりに重きを置きすぎている」と指摘しつつも、「教材として活用する広島市の取り組みを参考にしてほしい」と述べるに留めています。
 これに対し、「どうしてもっと強く批判しないんだ」という声もある様子ですが、それは越権行為。松江市の自治を尊重するならば、「広島市の取り組みを参考にしてほしい」くらいの発言に留めるべきなのです。
 ここで強く松江市教委に抗議するようならば、結局、やっていることは閲覧制限を要請した団体の連中と一緒。自分の価値観を松江市に押し付けているだけです。一体何の権限があって松江市政に口出ししているのか、という話です。市民の声そっちのけで自分たちの主張を通そうとしているだけでしょう? それが如何に傲慢な話か分かりませんか? 自分たちが逆の立場に立ったことを考えたことありますか? 「広島市立の小中学校には○○の本を置け!」とか「いや、置くな!」とか、外部の人に言われたらどう思いますか? 「お前らに言われる筋合いないよ!」と思うでしょ? ここは松江市の自主性を尊重すべきです。

 実際、国もそういう方針ですよね。
 下村博文文部科学相は「教育委員会は発達段階における教育的配慮から、自由な閲覧を避ける権限を持っている」と説明。要請について「教育長の判断は合法的で、文部科学省が指導するものではない」としています。
 つまり、「本を見せるかどうかくらい、自分たちで責任もって考えなさいよ」ということで、これも極めて当たり前の話です。むしろ逆に、国が「この本を見せるべきだ」とか、「この本は見せないべきだ」などと言う方が気持ち悪い。言論統制的なものを感じます。図書室にどんな本を置くかくらい、地元が自分たちで考えればよいのです。それが民主主義です。
 今、地方分権が叫ばれていますが、「図書室にどんな本を置くか」すら自分たちで考えることが出来なくて、何が地方分権でしょう。何が地方の自立でしょう。その意味で、 文部科学相の発言は極めて適切であると思います。

 今後、道州制の議論が活発になっていくであろう中、いい加減、住民側も「地元のことは地元で考える」「他地域の行っていることに干渉しない」「いちいち国に方向付けを求めない」という癖をつけていきましょう。そうでなければ、いつまで経っても地方自治は成長していきませんね。

 最後に念のため、一応、「はだしのゲン」の画像を。私、「はだしのゲン」を読んでからこの記事書いていますからね。ちなみに、このページ部分などは、閲覧制限を要請した団体などからすれば、「問題あるページ」なのかもしれませんね。
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 私自身はこの部分を読んでどう思うか、は、やはりノーコメントとしておきましょう。コメント欄が面倒なことになりそうですからね。
 ただ、「一部が史実に反する」ということで閲覧制限がかかるなら、多くの漫画、小説が制限されなければなりませんね。例えば、漫画で言うならば、手塚治虫氏の「ブッダ」や、横山光輝氏の「三国志」。特に「三国志」には悲惨なシーンも出てくるし、閲覧制限かけないといけませんかね? ただ、そんなこと言っていたら、みんなが歴史に興味を持たなくなってしまい、何よりも危険な「無関心な子が増える」という最悪の事態が待っている様に私は思いますけどね…。

 …こういうことを書くと、「けっ、所詮は左翼かよ」なんて単純に言われそうですね。
 まあ、別に誰にどう思われようが興味はない。私自身、自分が右か左なのか良く分からないのですよ。例えば、先ほど三国志を紹介したので、関連して三国志からご紹介。
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(これは横山光輝氏の三国志ではなく、こちらの三国志)

 このページは、最後、蜀の国が滅亡するシーンですね。皇帝・劉禅は簡単に魏に降伏してしまいます。劉備や孔明があれほどまでに苦労して国を作ったにも関わらず、です。
 で、その時のセリフが考えさせられる。
「権にありし者動かば田畑荒れ、兵が死し、民が…」

 この言葉に、息子は「見下げ果てたる恥知らずめ!」と激怒し、自身は自殺する訳ですが、劉禅のセリフ、いかがでしょうか? 今で言う、典型的な「左翼」の発想だと思いませんか? 私が劉禅の立場なら、最後まで魏と戦い抜きますよ。それが国の責任者としての使命だ、と私は思います。
 そして、仮に魏=中国、蜀=日本と現代に当てはめてみることにしましょう。そうなると、私はやはり日本を守りたい。戦争してでも、国は守りたいと思います。そう考えると、私はいわゆる「左翼」でもないのかな、とも思います。さあ、どうなのでしょうかね…。
 ちなみに、この劉禅の幼名「阿斗」は、中国では「アホ」「愚か者」の代名詞となっているとのこと。もし仮に、この国が中国に無抵抗で乗っ取られることになったら、日本人は「阿斗」扱いされそうですね…。




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