4月から母子で教会住み込みしていたyukaさんとその子供k祐。再婚が決まり最後の日、うちの教会でささやかながら神前結婚式をした。もちろん同席者は私たち家族だけである。ところが・・・
yukaさん最初の結婚も式をしていない。どうしてもやりたいというわけではないが、二人でするしないの結論を出したのが前日の夜である。
依頼を受けて、翌日朝から榊を取り、祭文を書き、三三九度の用意をしていた。
まもなくsigetさん来会し、お茶を出そうとしたら、お茶よりも障子の張替えをしなくては帰るに帰られないと早速その作業に取り掛かられる。
夫婦になる二人だけの挙式。参列者は無い。親戚も親も来ず、教会の家族だけである。
式を目前にして信者さんが参拝に見えられた。先日より体調不良に陥り、連日息子さん夫婦に運転してもらっての参拝である。
前々から、教会に住み込む母子を見ては自分の半生を省みられ「母親が教会住み込んで初代さんに助けてもらったが、そのときは私一人が家にいた。弟は母親と教会。父親はいつもどこにいるのか分からなかった。親に捨てられたようなさびしい気持ちになったもんだ。」という。教会が人助けをしていると勇んでくると喜んでくれていた。自分の母親と重ねて、深い因縁を覚えるのである。参列者もいないひっそりとした結婚式に偶然居合わせただけなのにお祝いまでされたのである。
無事に式も執り行い、昼食にほんの少しのお酒を飲み交わした。
午後4時には出発の準備が整い、挨拶をし、皆で見送った。
最後の最後までk祐はしょうからだし、yukaさんは相変わらず挨拶が下手である。
親代わりでいろいろ言い尽くしてきた事が新しい生活で生かせるだろうか?
数々の不安を残し、旅立って行った。
母親はどっと疲れが出たようで幾分早くその日は就寝した。
いずれにせよ一段落である。。
この一連のおたすけから私は何を得たのかということ、思い出してみる。
教会とはいえ普通の家族の中に他人の親子が入って生活するのであるから、会計面はもちろん、時間的なことや、私生活もあかされるのであるから、出来るだけ避けたいことだと思う。
しかも今から明かすとすれば、彼女は仕事はあきらめ生活保護をもらっていたし、運転免許はあったが送り迎えまでほとんど全部サポートした。携帯電話も契約してしまうし。だけど教会にお供えとして生活費を入れたのは5ヶ月で約2万円である。これでは教会はもとよりhaftar家は当然倒れてしまう。会計を持つ母はかなりのストレスだったと思う。
そして子供は食事の度に気に入らないことがあるとお膳をひっくり返すという事が度々あったし目を離すことが出来ないくらい性の辛い性格。言葉もほとんど話せないから気に入らなければ大人でも叩きにかかる。
最初のころはやせて肌も乾燥しきったガサガサの状態だった。多分ストレスと栄養失調だったのではないかな?子供も抵抗力が弱く熱をよく出し、中耳炎、風邪の薬が手放せなかった。その原因は鉄欠乏性貧血によるものだった。身上諭し、お尽くしの話をするのにも当人には実行するきっぱりとした性分が無いのが、何というか悲しいし、可愛そうである・・・私が(笑)。
しかし、人を育てるということはそこを乗り越えてこそ見えてくるものがあるし、
おやさまひながたの全般に見られる自己犠牲の姿がそれでいいんだよと後押ししてくれたように思う。
ひとだすけに自己犠牲を払っても私は神様に助けていただける。神様はそれを喜んでくださるんだという実感を持った。
特に会計面では次々と別の方から不思議とご守護があり、間に合うようにお導き頂いたのである。これは私が経験した確かな手応えであった。
だから自信を持って安心して人だすけさせていただけば良いのである。
その日夕方から別のおたすけ先に出たが、深刻な中にも身上かしもの・かりものの境地からすれば、神様のお陰を感じ有難いと思えた。
そのおたすけの話もまた載せていきたい。

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