例の尼崎列車脱線事故から、もう10日ですね。
ご遺族の方々にとっては、永遠とも思われる長い時間だったことと思います。
ご遺族の皆様にお悔やみ申し上げるとともに、亡くなられた方々の御冥福をお祈りいたします。
なぜに、10日も経ってからいきなり?と思われるかも知れませんが、10日経ったからなんです。
つまり、事故から数日経過しまして、色々と問題が浮上してきました。
実は私としては、そちらの方が気になったんです。
問題とゆーのは、アレ。
区長らのボウリング大会やら、救助不参加運転士の話やらです。
アチコチの報道を見ていても、この方々に対して
「ひどい」「信じられない」
といった非難のコメントが多く見られるようです。
確かに、重大事故が起こった場合、原因について色々な視点から徹底的に究明し、二度と同様の惨事を起こさないよーにすることって大切だと思います。
そしてまた、人災の可能性もある以上、職員や地方議員等の事故への対応を見つめなおす必要もあると思います。
ただ、ちょっと、なんつーかな…
関係者以外の人が、「ひどい、信じられない」と言ってるのには、どーも違和感を感じるんですよね。
被害者やご遺族の方々は、どんなに感情的に誰かを責めたとしても仕方がないと思います。
怒りが精神を癒す上で必要な過程である以上、どこか誰かに怒る対象を見出したいっつーのは、ごく当然の心理状態ですから。
でも、関係者以外の人が責めるのは、ちょっとアレなんじゃないかなぁと。
この一件に限らないですけど、気のせいかな。
最近の報道姿勢って、責める対象を探し出して、責め立てて、自殺までさせないと気が済まないっつーよーな、そんな恐さがあるような気がしてたまらないです。
まるで「悪い奴」を探し出して、日頃の不満や鬱憤やら、ついでに退屈を晴らそうとしているような。
いやいやいや、別に責任追及がイケナイなんて言わんですよ。
でも、だけど。
例えば、事故列車に乗っていて、救助活動をしないで出勤した運転士、それに出勤を指示した上司さんの話。
確かに人命救助を第一に考える方針には外れるかも知れないです。
でも自分ならどうだろうって思うです。
そんなときに、最も適切な行動はとれるのかな?とか。
それに、もしも彼らが出勤せず人命救助活動をしていたとしたら。
他の列車の運転士が来ないことになって、ダイヤが狂って、狂わなかったとしても帳尻合わせに別の運転士が駆り出されるっつー事態が生じてたワケで。
その結果、日常と違う事態に対応出来ず、場合によっては新たな事故が生じる可能性も否定出来ないのではないかと。
するってーと、通常出勤により、ひとつ狂いが拡大しなくて済んだとも言えるんじゃないかと。
(ちょっと強引だけど)それなのに、報道の言葉じりだけを見て、迎合して、対象を非難する、ってのは冷静さを欠くのじゃないかなと思うんですよね。
こんな風に考えるのって、変ですかね?

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