成功者は何故、成功できるのか?
答えは簡単だ、大きな成功を手にする前に、
大きな失敗で痛い目を見てきているからだ
人間は成功じゃなく、失敗から学ぶ生き物だ
転ぶから起き上がれる
失敗しないに越した事はない
けれど、何もかも上手くいく、なんてありえない
失敗を恐れても良い
けれど、失敗を嫌がって挑戦を止めちゃいけない
失敗の経験が、君を強くし、優しくし、真っ直ぐにさせる
人間は何度だってやりなおせるんだ
100回、失敗したっていい
その都度、少しずつ学んで、成長してこられた君なら、
101回目の挑戦で、必ず、成功を掴み取れる
「近藤さん、大丈夫ですかぃ?」
全力攻撃の後だったと言うのに、体の中に残っていた搾りカスまでブチ撒けてしまい、足元もおぼつかない近藤を沖田は支えてやる。
一方、神楽は物言えぬ骸となった瓜生の傍らに膝を付けると、そっと手を合わせて、既に土気色に変わりだしている肉体から抜けてしまったであろう、彼の魂の平安を祈った。
元々、神楽は命を落とした敵に対して祈るような真似はしないのだが、今回に限っては瓜生自身も言っていたが、間違っていたのは瓜生側にしても、胸を張って示せるほどの正義はどちらにもない。近藤も瓜生も、自分が倒したオカマも自分の信念に従って、お互いに進もうとしていた道を同じように阻んでいた相手を力づくでどかそうとして、運よく自分達が砕けずに済んだ、それだけの『結果』だった。故に、神楽は瓜生に手を合わせてやろうと柄にも無く考え、それを素直に実行に移した。
お登勢に教えてもらった経を口の中でモゴモゴと唱えた神楽は目を開け、合わせていた手を離した。
そうして、穏やかな顔のままで逝った瓜生をじっと見つめる。
(銀ちゃんなら・・・・・・・・・斬らなかったかな)
だが、瓜生を斬った近藤を、神楽には責められなかったし、彼の選んだこの行為を間違っていると言い切れる自信も根拠も、それを裏づけできる経験も持ち合わせていなかった。
確かに、銀時ならば自分が殺されかねない状況で、瓜生クラスを相手にしていたとしても、刀を折るなり利き腕を斬り飛ばすに留めて、命までは奪わなかったかも知れない。坂田銀時は『そう言う』男で、神楽は彼のそんな歴戦の戦士らしからぬ甘い一面を捨て切れていない彼が好きだった。
しかし、同じくらいに近藤も神楽は気に入っていた。
(―――・・・どっちも間違ってないし、どっちも正しくない・・・・・・多分)
考えても無駄だ、と神楽は潔く正否を考えるのを止めた。
銀時なら斬らなかったかも知れない、それはあくまで『もしも』に基づいた推論にしかならない。同時に、近藤が斬ったと言うのも『結果論』だ。
根っこの部分が似ていても、二人とも違う人間だ。異なる選択を選んでも不思議じゃない。また、二人とも自分が取った行動を反省かつ後悔しても、長々と引き摺るタイプではない。
ただ一つだけ、はっきり言えるのは、瓜生は近藤に斬られて満足だった筈だ。それは彼の死に顔を見れば察せられる。自分達のおかげと言うとおこがましい気もしたが、道を外れてしまっていた瓜生は最後の最後に『自分』を取り戻し、最後の最後まで『自分』のまま行き、そして、死んだ。剣に限らず、戦いの道に生きる者としてはこれ以上ない、生き方と逝き方だったのだろう。
ふと、神楽は振り返って、空元気を見せている近藤を介抱している沖田を見やった。
(アイツもいつか、こうやって死んでいくアルカ・・・・・・)
沖田が死ぬのは嫌だな、と心の底から思った。だけど、沖田の命は彼だけが自由にしていいもので、どんな生き方をし、どんな死に方になるか、も彼自身が選択するのだ。神楽にも、土方にも、近藤にだって、それに口は挟めても手は出せない。
ただ、願わくば、沖田にも瓜生と同じように、こんな穏やかな笑顔で、何の悔いも肉体に残さないで現世から解放されてほしかった、彼が行くのが『上』か『下』かは別として。もし、『下』に行ってしまうようなら、出来ればギリギリの所で自分の寿命が自然に尽きるまで待っていて欲しいものだった。そうしてくれれば、自分も一緒に着いて行ける。
(・・・・・・それでも、やっぱり、アイツが私の前からいなくなのは嫌だな)
自分の中に芽生えている『矛盾』に微苦笑を浮かべつつ、神楽は今一度、瓜生へ合唱すると彼らの方へ歩み出した。
峰打ちや、内臓、顎を殴られて気を失っていた門下生を呼び戻し、辛うじて動ける者には骨折などで動けない者への応急処置を手伝わせ、何とか近藤も含めた怪我人全員の治療を終えた沖田は肩に入れていた力を抜き、近くにあった石に腰を下ろしてしまう。
「お疲れサン」
体力回復の為の食糧をどっさりと夜店で買い込んできた神楽は、疲れきっている沖田の頬によく冷えたビールを当てた。さほど驚かなかった沖田は神楽に礼を言うと、プルトップを開けて一気にそれを飲み干し、喉の渇きを潤した。
「アンタは大丈夫かぃ? 大分、肌を切られちまったようですが」
沖田は隣に腰を下ろしてアメリカンドッグを齧っている神楽の袖を捲るも、その白い肌には目を凝らさないと見えない程の髪の毛より細い細い線がいくらか残っているだけだったので、ホッと安堵の息を漏らした。
「夜兎の回復力、嘗めんなヨ」
「大したモンだねぃ、今更ですが」と感嘆の声を上げながら、沖田が腕を優しく、だが、色っぽい擦り方をしてきたものだから、くすぐったさと気持ち良さの二つに同時に襲われてしまった神楽は危うく、嬌声を上げかけてしまい、慌てて彼の手を抓み上げる。
「あのワイヤーに切られると、傷口は目じゃ確認できやせんが、二本から五本程度の平行線になって、並みの医者には縫合できないんですぜ。
俺でも、この程度の薄い傷を残しちまうかもなぁ」
この間にも消えつつある線を名残惜しそうに見つめる沖田を神楽は訝しげに見返す。
「・・・・・・妙に詳しいネ」
「あのワイヤーを作ってる工場の商品は、俺もよく使いますからねぃ」
なるほど、と神楽は納得する。確かに、そんなワイヤーは沖田の好みに合致する可能性は高い。根は真面目な男だ、根気よく練習を続ければあのオカマ以上の使い手になってしまうだろう、と神楽は背中に寒いものを覚えた。
「お前こそ大丈夫アルカ?」
神楽は沖田のガーゼも絆創膏も貼っていない傷に、指をさりげなく這わす。そもそもが浅い傷なのと青銅色の蛙やら尾っぽが三本に分かれている蜥蜴、バニラの香りがするのに齧ってみるとカレーの味がするシソを混ぜて作った特製の軟膏を塗ったのか、既に血は止まってしまっている。これなら、三日もすれば後も残らないだろう。
「一番、重傷なのは近藤さんですぜ」
呆れた面持ちで、沖田は縫い合わせた額の傷が開くから横になっていろ、と釘を刺したにも関わらず、精力的に動けない怪我人を励ましている近藤を親指で示す。
「でも、ゴリオらしいネ」
「・・・・・・まぁねぃ」
もう一本、ビールを開けて、今度は味わって呑んだ沖田は口の端についた泡を拭う。
「沖田、私にも一口おくれ」
「駄目でぃ。今は形が大人でも、中身は子供のままなんでぃ。
その状態で呑んでもまともでいられても、元の姿に戻った時に一気にアルコールが小さくなった体に回ってベロンベロンになっちまったら、俺は旦那にどんな言い訳をすればいいんでさぁ」
神楽が伸ばしてきた手を叩いた沖田は彼女に呑まれてしまう前に、ビールを一気に飲み干すと重い腰を上げた。
「さ、もう一仕事しやすぜ。手伝ってくだせぇ」
「ぶぅ」と頬を膨らませた神楽は手に持っていたアメリカンドッグを一気に食べてしまうと、沖田の後を追いかけた。
「あぁ、疲れたアル」
「右に同じでぃ・・・らしくねぇ真似しちまった」
沖田の背中に寄りかかった神楽はセリフに反して、あまり疲労の色は濃くない息を吐く。沖田も神楽の頭に自分の後頭部を乗せ、火の点いていない煙草を咥えたままで頷くも、やはり、その顔はあまり疲れていない。
「二人ともご苦労さん」
袖が破れてしまった服を脱いだ近藤も同じように、切り傷や殴られた跡がゴリラを思わせる逞しい、野生的な筋肉で固められた体に刻まれていた。特に、額の傷はまだ血が止まっていないのか、巻きつけているタオルの色が元の白から赤を通り越して、赤褐色に変わりつつあった。
「だけど、頑張った甲斐があったじゃないか」
近藤から手渡された竹筒を傾け、冷えた水を頭から被って疲れを汗と一緒に流した沖田は苦笑いを漏らす。
「こんだけ骨を折っておいて、成果無しじゃ、温厚な俺もさすがに怒りやすぜ」
「一秒とかからないで瞳孔が完全に開いちゃうような、瞬間湯沸かし器男は『温厚』って表現しないヨ。
でも、同感ネ、あのまま終わってたら、私がマヨを一発、殴り飛ばしてたアル」
沖田から奪い、一気に空っぽにした竹筒を無邪気な笑顔で握って砕く神楽。
「でも、本当に嬉しいよ、俺は・・・あんな幸せそうなトシと九兵衛さんを見れて。
二人もそうだろう?」
裏のない真顔で問われ、困ったように顔を見合わせた沖田と神楽だったが、数秒と経たない内に近藤の方に顔を戻して、ほぼ同時に力強く大きく頷いた。
三人が視線を向ける先にいたのは、まだぎこちなさと遠慮が見え隠れしているものの、指を絡めあって、しっかりとお互いの熱い手を握り合って歩いている土方と九兵衛の幸せそうな笑顔だった。
さすがに内容までは聞こえないにしても和気藹々とした会話を弾ませている二人の姿を見て、体力が戻ってきた(ような錯覚だが)近藤は「さてっ」と背伸びをする。
「じゃあ、二人が気付かない内に、ここを片付けようか」
「了解でさぁ」
「最後の一仕事が一番、面倒だなんて最悪ヨ」
既に、沖田がバラバラにした鹿衣、近藤が一太刀で斬った瓜生の遺体は袋に包まれ、比較的、怪我も軽く体力も有り余っていた者らによって瓜生の屋敷に運ばれた。聞いた話では瓜生は妻帯者で二人の息子と一人の娘がいるそうだ。近藤は家族がいる事を知って心がやや痛んだものの、息子達が成人しているのが救いだと思った。
沖田の飛ばす指示も的確で、彼の手も速く動いたので全員の手当てこそ終えていたが、これだけの人数を運ぶのは一苦労である。
沖田と神楽を促したものの、どうしようか、と近藤は腕を組んで渋い表情を浮かべた。
と、沖田が携帯電話を閉じた。
「ん? 何処に電話してたんだ、総悟?」
「東城さんでさぁ」
「東城くんに?」と近藤は目を剥いた。
九兵衛を溺愛しているあの男が今回の一件を知れば、どれほど怒り狂うか、解らないほど愚かでもあるまいのに、わざわざ連絡を入れたのか、と近藤は違う意味で頭が痛んだ。
そんな近藤の煩悶に気付いたのか、沖田は小さく頭を下げる。
「すいやせん。
でも、俺らじゃコイツらを運べやせん。
近藤さんは杖を使って歩くのがやっと、俺と神楽はご覧の通り、ピンピンしてやすが、一度に運べる人数は高が知れてやす」
沖田の言葉は尤もだったので、近藤は窘めの言葉を吐こうとした口を閉じ、苦々しく唇を歪める。
「それに、東城さん本人はこちらに足を運ばないそうでさぁ」
恐らくは、この場に来れば沖田達が介抱した裏柳生の人間を怒りに任せて殺してしまう、と自分でも解っているからだろう。九兵衛が絡むと沸点が異常に低くなる男だが、「好みに変えても守る」と常日頃から言っておきながら、裏柳生の九兵衛襲撃計画を感知できなかった自分達に代わって計画を阻止して九兵衛を救ってくれたのは近藤らであり、彼らが殺さずに生かした人間を傷つけるのは『義』に反すると考え、自制したのだろう。
沖田の言葉に、近藤は煮えくり返っている腸を血涙を流しながら必死に抑え込んでいる東城の姿が容易に想像できた。自分と同じ、不器用な性格ゆえに大事な人間に粘着的な愛しか向けられない男である、その苦しみは理解できた。しかし、真撰組局長・近藤勲としては彼が来なくて助かった、と思った。裏柳生の門下生をなるべく殺さないでおいたのは、後々の騒動になるのを恐れたからだ。なのに、あのサラサラストレートヘアーで天を衝いた彼がこの場に来て、動けない門下生を殺されてしまったら、自分たちの苦労は水の泡である。
浮かんだ安堵感で素直に胸を胸を撫で下ろしてしまい、思わず罰の悪そうな顔をした近藤の背中を神楽は優しく叩いてやった。
「柳生の、当然、表のですが、担架を持たせた若い力自慢の門下生を十四、五人ばかり、山の裏側から寄越してくれるそうですから、お二人や他の客にこの騒ぎが知られる事は無いでしょう」
「じゃあ、とりあえず、足が動く奴だけ、肩を貸してやって山から下ろすネ」
「よしっ」と肩を回した近藤を沖田は止めた。
「いやいや、何、張り切ってくれちゃってるんでさぁ。
近藤さんはここでジッとしていてくだせぇ」
「な、何を言ってるんだ、総悟っっ、俺はもう大丈夫?!」
沖田の心配そうな視線を弾き返すように胸を叩いた途端、ひどい眩暈を覚えた近藤の足元が怪しくなる。
「ほら、見なせぇ。血が圧倒的に足りてないんでさぁ」
溜息を漏らした沖田はベルトに付けているポーチの中を探り、ピルケースから柘榴の皮に近い色合いの錠剤を三つばかり取り出す。
「飲んでくだせぇ」
「いや、これ、不味いじゃないか」
貧血のそれでなく、沖田が差し出したそれで青白くした顔を横に振った近藤は、まるで子供のような事を言い、沖田の精製した増血剤を拒んだ。
「―――・・・神楽っっ」
発した舌打ちが霧散する瞬間に重ねられた、沖田の厳しく固められた声に素早く反応した神楽は近藤を後ろから羽交い絞めにした。
「ちょ、チャイナさん!!」
「ごめんネ、ゴリオ。でも、沖田の言う通り、ここで大人しくしてるヨロシ」
近藤は後ろで自分の手首を握り締めている神楽の手を振りほどこうと全身を揺するも、万全の状態時ならともかく、今の彼は何処も彼処もボロボロで体力も底を尽きかけているのだから、神楽の手を外せる道理が無かった。
神楽に完全に押さえ込まれてしまった近藤に歩み寄る沖田。なおも抵抗を続ける近藤に呆れつつ、彼は一抹の同情もせず、近藤が背けている顔に手を伸ばすと鼻をきつく摘んでしまう。
満身創痍の近藤はいつもの半分も息を止めていられず、肺の痛みで思わず口を開けてしまった。その瞬間を沖田は見逃さず、口の中へ錠剤を押し込んで、もう片方の手にしていた竹筒の中の水で一気に喉の奥へ押し流してしまった。
喉、食道を通って、胃に落ちた錠剤が素早く溶けた瞬間に、口の中に一気に広がった熊の肝を思わせるような、苦味とエグ味に近藤の目は白黒する。吐き出される息もまた生臭く、鼻の奥が痛くなった彼は涙が出てきてしまう。
「とりあえず、これで貧血は収まるはずでさぁ」
神楽に近藤を離してやるよう、目で合図をした沖田はピルケースをポケットの中へ戻した。
「じゃ、神楽、行きやしょう」
沖田は一人、神楽は二人に肩を貸してやり、薄暗い森の中を通る、歩き辛くない程度の舗装しかされていない道の先へと、たった一つの懐中電灯だけを頼りに消えていった。
残された近藤は仕方なく、手近な石へ腰を下ろし、神楽がくれたジャンボ焼き鳥を頬張る。口の中もかなり切れているらしく、肉にたっぷりと振りかけられていた塩と胡椒が思い切り染み、彼は顔を顰めたが吐き出さずに痛む顎をどうにか動かし、ゆっくりとした咀嚼を繰り返す。
すると、そこへ最後まで傷を負うことも無く、瓜生と近藤の一騎打ちを見届けた四人の門下生が神妙な顔付きでやってきた。
彼らは武器を持ってはいないようだが、今の近藤は下級隊士にも苦戦してしまうほどのダメージに蝕まれている。いくら、得物を持っていなくても裏柳生の人間に襲われたら、まともな抵抗一つ出来ないまま、息の根を止められてしまうだろう。
しかし、近藤は逃げたり慌てたりする素振りなど微塵も見せず、やけに重そうな足取りで自分に近づいてくる彼らを、殴られすぎて腫れ上がってしまった為に沖田に剃刀で血抜きをして貰った瞼を上げて見つめていた。
「・・・・・・近藤殿、大丈夫ですか?」
「見ての通り、ボロボロだよ」
己のいつも以上にゴリラに酷似てしまった面を親指で指し、近藤は苦笑いを漏らす。その無防備な笑顔に門下生の表情は渋くなる。彼は自分が今、どれだけ無力かを解っている上で、こんなにも堂々としている。到底、敵う気はしなかった。
とは言え、彼らには今更、手負いの近藤を数に任せて攻撃する気など微塵も無かったのだが。ここで、近藤を討つ事は赤子の手を捻るようなものだが、それをすれば瓜生の遺志を無視してしまう事になる。改めて、近藤に敵わないと実感させられても、あくまで彼らの目標、指針とすべき人間は瓜生だった。
不意に、近藤へ更に近づいた男が彼の前に片膝を落とした。すると、他の者もそれに倣うようにその場に両膝を着き、手も地面に着ける。
しかし、彼らの突然に降伏と謝罪を示す姿勢にも近藤は驚きを露わにせず、ただ太い眉をわずかに顰めただけだった。
「力足りず、貴方の慈悲に生かされた我々だけが頭を下げただけでは足りないとは解っております。
ですが、腹を切る事を止められたとは言え、このまま無傷では我々の気が済みません」
近藤は「・・・・・・そうかい」と、わずかな空白を挟んでから小さく頷いて、膝に手を置いて重い腰をどうにか上げた。彼がフラフラと立ち上がったのと同時に、門下生らは直立不動の体勢となって腕を後ろで組むと、目を硬く閉じ、奥歯をしっかりと噛み締めた。
さすがは毒薬のスペシャリストとしての顔も持つ沖田が作ったモノ、増血剤が急速に効き始めているのか、アレだけ酷かった眩暈がピタリと治まっているのを確かめた近藤は右の拳を、小指からゆっくりと内に折り曲げていき、最後に親指で曲げた四本を固定して作る。そうして、左の足を下げて、右腕を下げた。
「―――・・・っらぁ」
近藤の放った二発のフックと二発のアッパーが四人の顎と頬へとめり込み、彼らは衝撃の瞬間こそ肩幅に開いていた足を踏ん張ろうとしたのだが、近藤の攻撃は速度も破壊力も重傷の人間とは思えないレベルで、結局は無様に地面を転がってしまった。
だが、痛みを堪えて立ち上がった彼らは解っていた。近藤が本調子なら、こうやってヨロめくにしても立ち上がれなかっただろうし、何より歯や頬骨、顎骨が無事では済まなかっただろう。それでも、近藤は痛みと疲労で動かない体に鞭を打ち、自分達の意を汲んでくれたのだ。
彼らは再び、後ろで手を組んで直立不動の体勢を取ると、今度こそ石の上から腰が上がらなくなってしまった近藤へ同時に頭を無言で下げた。近藤はそれに「うん」と息を切らしながら、頷き返しただけだった。
一人が近藤へと近づき、手が震えてプルトップに爪すら引っ掛けられないでいる彼に代わってビールを開けてやる。
「ありがとう」とにこやかに礼を返し、近藤は一気に中身を煽る。殴られた衝撃で全てを胃液と一緒に吐き出して空になっていた胃によく冷やされている麦酒は染み渡り、彼は思わず至福の息を吐き出してしまった。
近藤は下がろうとした一人を呼び止め、立ち尽くしたままの三人も自分の方へ来るよう手招きをした。近藤の意図が読めず、顔を見合わせた四人だったが素直に手招きに従い、彼に近づく。
四人が自分の前に立つと、近藤は余っていたビールを四人に渡し、目で飲むよう促した。
「いや、いただけません」
慌てて缶を返そうとした男の手を、小さく首を横に振った近藤は押し返す。
「俺はもう飲めないし、温くなったら不味くなっちゃうから」
今一度、目で促されても若干の抵抗は残っていた四人だったが、極限の緊張と恐怖で喉はカラカラであった為、再び顔を見合わせて目だけで相談し、大きく頷くと一斉に缶を開けて傾け、礼儀だと言わんばかりに喉を鳴らして、半分まで一気に飲み干す。
「ご馳走様でした」
「君等・・・・・・これから、どうするつもりなんだ?」
「瓜生様が亡くなった以上は、裏柳生は穏健派一本に纏められ、九兵衛様をこれまでのように、これまで以上に支えていくでしょう。
・・・・・・ですが、我々は柳生家を出ようと思っています」
「出て、どうするんだい?」
「修行の旅に出ます。森や川、町で研鑽を積み、わずかにでも瓜生様のいた場所に近づけるよう」
「そうか・・・・・・名前を教えて貰ってもいいか?」
死闘を繰り広げた相手に、終わった後で名乗るのも奇妙だなと思いつつ、四人は素直に名乗りを上げた。
「吉城柚太郎と申します」
「拙者は恩田大吾郎であります」
「折本達樹」
「某は稲美津幸一」
少し眉を顰め、形の良い顎を撫でていた近藤が名案だとばかりに表情を明るくし、不意に口にした提案に四人は目を剥いた。
「柳生家を出ると言う決心が本物なら、うち(真撰組)にに来ないか?」
表柳生のように直接の確執があって揉めあった事は無いにしろ、たった今の今まで自分を殺そうとしていた一派に与していた自分達を誘う近藤の正気を彼らは疑ってしまう。
だが、近藤の目が冗談を言っている者の目にはまるで見えなかったので、本気の勧誘だと察し、戸惑いを隠せないでいる四人。
「三番隊、五番隊、七番隊、九番隊にそれぞれ欠員が出てしまって、隊士を臨時で募集するつもりでいたんだけど、古巣を出ると言うのなら尚更、都合が良い」
「だが、近藤殿・・・・・・」
「・・・・・・失敗してしまったとしても、場所を変えてやり直して良いんだよ、人間は。
俺は過ぎた、つまらない事は気にしない」
殺されかけたのに、それを『過ぎた、つまらない事』と一蹴した近藤の度量の大きさに四人は絶句させられる。
だが、答えは先程のように目で相談せずとも決まっていた。
「お世話になります」
四人は先程よりも深々と頭を下げた。
「よしっ」と嬉しそうに膝を打った近藤はビールを持っていた右手を前に出す。四人もお ずおずと缶を持っていた手を前に出す。
そして、軽くぶつけられた後、五つの缶は夜空に向かって強く突き上げられたのだった。

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