誰かが言ったんだ、「人は恋をすると臆病になってしまう」って
その通りだ
些細な事でも知りたいって思っているくせに、もう一歩、君が立っている場所に踏み出せない
誰かが言ったんだ、「人は恋をすると心から余裕がなくなる」って
その通りだ
何をしていても君が今、何をしているのかって考えてしまう、君が何かに困っているんじゃないかって、心配になって、ついつい上の空になってしまう
誰かが言ったんです、「人は誰かを愛すると自分の中から卑屈さがさっぱり消え失せる」って
そんな訳ないんです
貴方が綺麗な女の人と愉しそうに話しているのを見て、「やっぱり地味な私より綺麗な娘といる方が愉しいんだよね」って思っちゃうんです
誰かが言ったんです、「人は誰かを愛すると自分に自信が持てるようになる」って
そんな訳ないんです
いつも不安になっちゃうんです、私なんかがこの人の横を歩いていいのか、同じ部屋にいていいのか、この人の笑顔を独占しちゃっていいのか、って心臓が止まりそうになるくらい
あぁ、本当に君が好きなんだと、君に本気な恋をしているって実感するよ
あぁ、本当に貴方が好きだと、貴方を真摯に愛しているんだって実感します
だから、今から君に逢いに行くよ
だから、今から貴方に逢いに行こう
「好きだよ」って言いに
「愛してます」って伝えに
茶碗には白飯が大盛りに盛られ、テーブルには色とりどり、芳しい香りの料理が何品も並ぶ。
「みなさーん、ごはんですよ―――――☆」
四六時中、緩みっぱなしの笑顔で新八は面々に声をかけた。
新八の腕に腕を奮い、フライパンを振るった夕餉に一同は歓声を上げる。
「うおー、すげー」
「これ、仕事終わってから、全部作ったんか?!」
「う、うまそ―――っっ」
皆の嬉しそうな顔に新八はますます笑みを深める。
「朝のお弁当と一緒に少し仕込んでおいたんですよ。
みそ汁も朝のうちに作って、冷蔵庫に入れておきました」
新八がそっと汁物をよそった椀を出すと、またもや歓声が湧き立つ。
「はい、冬瓜と枝豆の冷やし汁です」
「冷やし汁、うまっっ!?」
「ああっ、なんだ、コレ。ラディッシュがちょうちんに!?」
「か・・・かぶの浅漬けが菊の花になっておるぅぅっっ?!」
「志村君、おかわり!!」
「はいっ」
「俺もっっ」
「はいっ」
瞬く間に空けられ、次々と勢いもよく差し出される茶碗に新八は笑顔で対応する。
よかった、誰かが喜んでくれる顔を見るのはとても嬉しい
「志村君、おかわり!!」
「わしもっっ」
新八は本当に、心の底から嬉しそうな顔をしていた。
喜んでもらえると、何だかとっても安心する
人の役に立ってるような気がするとすごく落ちつく、不安が消える
だけれども、新八の明るい笑顔は何故だろうか、彼らしさがまるであらず、生気が欠けているように思えた。
「はーい。大盛りですよ―――」
ここにいれば、ボク、ずっとこうして不安とは無縁でいられるかもしれない
不意に新八の中でノイズが生まれる。
あれ・・・・・・? そもそも、ボク、何であんなに不安だったんだっけ・・・・・・?
安穏とした生活は心をゆっくりと腐らせていく。満たされ過ぎれば、人はそこから動きたくなくなる。楽な方へ、楽な方へ、自分を無意識に持っていき、自ら『成長』を止めてしまう。
なんかもう、ここにずっといたいよーな気がする
このままもう、こうやって一生、ご飯作って、笑って・・・・・・・・・
新八が全てを投げてしまえ、とせせら笑いながら耳元で囁く悪魔の公爵の甘い声に陥落しそうになった時だった、ぶすっとした面持ちで冷やし汁を啜っていた晴太が唸った。
「・・・・・・・・・気にくわね」
珍しく、本気の怒りを声に滲ませている彼に京次郎は少し驚いたような表情だったが、晴太は新八に噛み付きにかかる。
「お面みてーなツラして笑いやがって・・・・・・・・・
おめー、いつまでここにいすわる気だ!?
もうたまったんじゃねーのか? 自転車代の四万」
その歯に衣着せることを知らない、真っ直ぐな言葉の長槍に胸のど真ん中を貫かれた新八の顔から『笑顔の仮面』は剥がされ、思考の歯車が軋みを上げて停止してしまった彼は動けなくなる。
晴太の言葉に新八の作った食事に舌鼓を打っていた面々は残念そうに俯いた。
「そっか・・・・・・そーだったよな」
・・・・・・・・・
「志村君は旅の途中じゃったっけの・・・・・・残念じゃ。
ごはん、うまかったんじゃがのぉ・・・そーか・・・」
あれ〜〜〜〜〜〜?
「早ぇなぁ、もう十日もたったっけ?」
・・・・・・・・・・・・・
「おい、何、オメェ、キョトンとしてんだ。
自分の事だろ?」
眼鏡の下の目の焦点はぼやけ、表情が消え去り、糸の切れた人形のように動かなくなってしまった新八を云業が肘で小突く。
何だろう
「その・・・オメェはあ・・・あれだろ?」
今・・・・・・
「ホレ、『自分探し』の途中じゃねぇのか?」
胸の中で嫌な音がした
「あ・・・えっと、いえ・・・ぼくは・・・自分を探しに出たわけでは・・・」
云業に小突かれた新八はハッと我に返り、動揺を押し隠すように腰を上げる。だが、その声は動揺で小刻みに震えまくっていた。
「あ、麦茶、新しいの、出しますねっ」
新八は冷蔵庫の扉を開けながら、誰に弁解するでもなく、喉を痛いほどに絞って出したような声で言葉を紡いでいく。
「ただ・・・何となく。
何ていうか、つい・・・・・・どこまで走れるのかなぁ、って思って・・・」
冷蔵庫のモーターが低く静かに唸り声を放つ。
「就職もなかなか決まらなくて」
ああ、まただ・・・・・・・
「それ以前に自分が何に向いているかもわからなくて」
きこえなくなったと思ってたのに・・・・・・
自身の口から零れていく言葉とモーター音が音が新八の耳の中で這いずり回り、脆い表面をいとも簡単に突き破って柔らかく脆い内側を掻き毟り、止まりかけていた血がまたゆっくりと溢れ出し始める。
また、この音だ
「けっ、ばっかじゃねーの?」
晴太はそんな新八の苦々しい独白を一蹴する。
「そんなのはなんだかんだいって、余裕のある人間のやるこった。
そんな迷ってフラついても、食べいけるのはどーせ親のおかげだろ!?」
晴太は唾を飛ばしながら、椀を持ったままの手を新八に向けて突き出す。
「お前、いくつだ」
「に・・・22」
「オレを見ろ、16から働いてんだぜ!?」
「・・・・・・」
気圧されてしまった新八は無意識に彼が手と一緒に突き出した椀を受け取ると、ほぼ反射的に冷汁をよそってしまう。
「なぜ、よそる!? 汁を!?」
新八の奇行に思わずツッコミを入れてしまった晴太は何が言いたいのか、自分の中でグチャグチャになってしまったのか、言葉も支離滅裂になりかける、
「だからっっ、え―――――――と、なんつーのか。
お前見てっとイライラすんだよ」
ようやくまとまったのだろうが、晴太はいきなりとんでもない言葉を口走り始める。
「悩んだり、迷ったり、オレにゃあ、そんなヨユーもなかったよ。
姉妹は九人もいるわ、ビンボーだわでオレ、15で家、追い出されたんだぜ!?」
親に狭いってだけで追い出された、ちょっとだけグレていたぷちヤンキー時代を思い出したのか、晴太はちょっと半泣きだ。
「お前みてーのはただの甘ったれだっ。
お前にこの気持ちがっっ はぶしっっ」
晴太が全てを叫びきる前に『鉄拳制裁』が加えられた。
「最初に言ったな? ええ? 晴太よ」
いつの間に帰還したのか、鳳仙は晴太の柔らかい髪を掴んで引っぱって椅子から腰を上げさせた。
京次郎たちは慌てて立ち上がり、鳳仙に小さく頭を下げる。
「棟梁、お疲れさんでございます!!」
「お疲れさまです」
髪を掴んだ大きな手から熱を伴った怒りを確かに感じる晴太の声は怯えで震える。
「ああ・・・棟梁・・・・・・」
「『不幸自慢禁止』、だと。
貴様だけではない、皆、事情はあるのだ。
――――――が、腹におさめてがんばっているのだ」
表情こそ鬼か修羅のように恐ろしい形相だったが、荒々しい声の中にはどこか子を優しさから厳しく嗜める父性も混じっていた。
「キリがないのだ、そこを張り合い始めたら全員で不幸をめざしてヨーイドンだ。
そんなもの、どこにイミがあるというのだ?!」
小さく嘆息を漏らした鳳仙は彼の髪を掴んだままで立った面々の方に顔を向ける。
「京都は仕上げに入った。来週には若い者を二人、こちらに戻せる。
云業、古橋、ムリをさせたな、すまなかった」
鳳仙の言葉に云業と古橋は豪快な笑みを見せる。
「なんの、棟梁。
オレたちぁ、美味しいもんガッツリ喰ってたから、いつもより馬力出せたぜ。なぁ?」
「おーよ」
大きく頷いた鳳仙はふと、叱られてしょげている晴太を思いやる。鳳仙は隆起した肩を小さく竦めると鞄の中から出した菓子折りの縁で俯いている彼の頭を軽く叩いた。
「お前が大変だったのは皆、わかっている。
お前が馬鹿なのも、口がへらないのも、夜中に黙ってカンナを研いでいるのもな」
鳳仙が自分の密かな努力に気付いていてくれたのを知った上に、自分の好きな菓子である生八橋を買ってきてくれたものだから、晴太は今にも泣きそうだ。いや、既に目の縁からは大粒の涙が今にも落ちそうだ。
そんないつまで経っても泣き虫が直らない晴太にまた肩を竦めた鳳仙だったが、不意に鋭く強い光を灯らせた瞳を新八の方へと走らせる。
「なぁ・・・・・・・志村とやら」
「はい」
新八もまた鳳仙の真剣な雰囲気に引っ張られるようにして、表情をキュッと引き締めて返事をする。
「我のいない間、いろいろと世話になった。礼を言う」
そこで鳳仙は深々と遥かに年下である新八に頭を垂れる。
「―――が、お主は明日、ここを発つがよい」
鳳仙の言葉に新八は否定も反論も何も言えず、ただただ耳を傾けるしかない。
「どこまで走れるか、と言っていたな。
まだ、答えは出ていないのだろう。
そのようなのっぺらぼうのような顔でニコニコとしている位ならば、いつまでもこんなところにいないで気が済むまで、とことん走ってこい。
迷うなら迷う、走るなら走る」
鳳仙の言葉は重く、体の真芯に響くものだった。
「答えなどどうでもいいのだ。
ハナからそんなものは無いのだ
『自分が本当に気が済むまでやってみたか』どうかしかないのだ」
洗い仕事を終えた新八の足は自然と海に向かった。
誰もいない浜に腰を落とし、潮騒に耳をくすぐられながら険しい目で夜空に浮かぶ月を見上げる新八に京次郎が声をかけた。
「よぉ」
ゆったりとした動作で振り返った新八に袖の中に両手を突っ込んでいる京次郎はニッカリと笑いかける。
「キモだめし、いかんか?」
「キモだめし?」
首を傾げた新八を京次郎は半ば無理矢理に腕を引いて、重い腰を上げさせた。
「・・・・・・・・・う・・・うーわー」
そうして、いきなり橋のど真ん中に立たされた新八は大の男でもすんなりと落ちられそうな足元の橋桁の大きすぎる「隙間」に眼鏡が大きくずれ落ち、顔色を悪くし、口元を引き攣らせた、
「ししし下が丸見えですよ!? この橋!?」
「風流じゃろぅ?」
おっかなびっくりな震える足運びで進んでいる新八に対して京次郎の足取りは妙に軽やかで、笑い声すら上げている。
「し、しかも、なんかギシミシ言ってるし!?」
歩く度に足元の橋が上げる軋む音に怯える新八に京次郎は助言を与える。
「足元ばっかり見てっと余計に怖くなるぞ。
少し前を見るとえぇ。前すぎてもダメじゃがな」
京次郎は少し昔を懐かしむような目になる。
「小さい頃によ、横断歩道の白い所だけ踏んで渡ったりせんかったか?」
新八が小さく頷くと、京次郎は口元は少し上げて彼を追い越す。
「不思議じゃなぁ、やってる事は同じハズやのに」
そうして、京次郎は黒い海が広がる足元へと鋭く尖った光が漏れ出る目を落とす。
「下が本当に見えて『怖い』っつう気持ちひとつもっただけでもう、できとった事ができんようになるなんて・・・」
しかし、京次郎のテンポの良い進み方に新八は首を捻る。
「で、でも、京さんは平気そうですよ」
その言葉に京次郎はその場で爪先を軸に身体を回して、新八の方にニヒルな笑みを向ける。
「わしゃあ、子供の時から通っとるからな、ここ。ランドセルしょって」
「ま・・・待って下さいー
え?」
「あぁ、わし、松島育ちなんじゃ」
前を向き直った京次郎は足を止めると、腕を上げてグゥと身体を伸ばす。
「おもしろいもんじゃな。
あんなになじめなくて、ただ離れたい一心で飛び出したのに、こうしてここを歩いとると、ちゃあんとなつかしいなんてよ」
『皆、事情はあるのだ―――だが、腹におさめてがんばっているのだ』
京次郎の背中に新八の脳裏に先程の鳳仙の言葉を思い出し、ふと尋ねてしまう。
「この橋の事は好きだったんですか」
京次郎の答えは速かった、一拍の間すらない。
「嫌いじゃ」
「え?」
「オレ、苦手なんじゃ、高いとこぁ。
じゃがの、『怖いモン』がある自分が許せんくて、ムキになって渡った。
慣れたら今度は後ろ向きで、しまいにゃ目を閉じての」
京次郎が語る思い出に想像するだけで鳥肌が立ってしまう新八だった。
「ひぇ――――――っ
よく落ちなかったですね」
すると、京次郎は底抜けに明るい笑みを浮かべる。
「落ちかけたわ。ランドセルがのぅかったら、今頃はここにおらんかったの」
「ぎゃー」
余りに怖すぎる告白に新八はもう顔面蒼白だ。
新八の初々しい反応に大笑いした京次郎は橋を渡り終えると目に入ったおみくじ箱を指差す。
「そうじゃ、新八、おみくじ引かんか?」
「あ・・・でも、ボク、サイフもってきてなくて・・・」
ズボンのポケットを申し訳無さそうに擦った新八だったが京次郎はそれを笑い飛ばすようにおみくじ箱を差していた指を松の木に向ける。
「ああ、大丈夫じゃ。晴太がおごってくれるそうじゃ」
気配を殺して隠れて様子とタイミングを窺っていたのに、京次郎にいとも簡単に見破られてしまった晴太はギクッと身を強張らせるも、彼に手招きされて罰の悪そうな顔で松の木の後ろから姿を現す。
「さっきは悪かった」
晴太は財布から出した小銭を新八に差し出しながら謝る。
「い・・・いや、あれはボクが」
「とーりょーが、そう言って来いって・・・・・・」
「え? 缶コーラ?
く・・・くれるの? ありがとう」
「とーりょーがっ、飲ませろっ・・・・・・て・・・」
余りにも素直に謝れない『子供』の晴太に京次郎は笑いを噛み殺すので必死だ。
引いたおみくじは小吉で、晴太はダッセェーと笑って「お前にぴったりだ」と言い、ちくしょうと思いつつも、自分でもまったくだと納得してしまったりもして
すっかりとぬるくなったコーラを飲みながら帰りに渡った橋はさっき程、怖くはなくなっていた
「じゃあ、神戸の方は無事、進んでるってわけね。
高杉、がんばったじゃないの」
資料に目をざっと通した幾松はそこから高杉の頑張りぶりを読み取り、満足気な笑みを見せる。
「えぇ・・・」
興奮しきりのリーダーに顔を摺り寄せられながら、銀子は幾松の高杉へのお褒めの言葉に頬をわずかばかり、だがはっきりと緩ませる。
ふと、銀子は窓際に置かれている器に目をやった。
「幾松さん、このあいだ会った来島さんの事なんですけど・・・」
「え? き、来島さんが何か・・・?」
思ってもみなかったタイミングで予想外の名前が銀子の口から出たので幾松は危うく驚きを顔を出してしまいそうになるも、そこは熟年の経験でギリギリの所で平静を保つ。
「今度はいつ、ここへ来るかしら」
「く、来るとは思うけれど。な、なんでまた?」
またもや予想外の台詞に幾松の声は引っくり返ってしまいそうだ。
「私も器をお願いできないかしら、と思って・・・
それでお話ができればと・・・・・・」
「た・・・高杉は?
一応、ウチも彼から紹介してもらったっていうのもあるし、高杉から連絡とってもらった方が・・・・・・」
幾松はここぞとばかりに高杉へ荷物を投げる。
「聞いてはみたの
―――でも、高杉君には『来島さんは忙しいから』って言われてしまって・・・」
銀子の残念そうな響きがこもった言葉に幾松は気が遠くなりかける。
「そ・・・そうねぇ」
(高杉め、もみ消しを図りやがったな)
突然、幾松の長身痩躯が後ろに傾いたのでリーダーは驚きの声を上げてしまう。
(はっっっ、幾松さんのカラダがななめに!?)
(いや・・・・・・まぁ当然と言えば、当然の行為だけれど・・・
どうする、幾松? 責任重大? みたいな?)
「ど・・・どーしたらいいものかしらねぇ・・・・・・」
幾松が脳内会議を始めようとした矢先にドアチャイムが鳴った。
「幾松さーん」
そして、肩に段ボール箱を軽々と担いで晴れやかな顔のまた子が飛び込んできた。
「スッゴイッス。
綺麗な色が出て、嬉しくて早く見せたくて、持ってきちゃいましたっすよぉぉぉ!!
やっぱ、桐灰にして大正解っすね★」
また子のあまりにも最高すぎるタイミングの登場に幾松の意識は遠くなる。
(―――で、また来るわけよ、このひとが・・・・・・まさにマンガみたいなタイミングでね・・・
わかってましたよ、えぇ、なんとなく)
(ああっ、幾松さん、おぐしが散って!?)
「こんにちわ」
また子はその声にハッとする。
「・・・・・・銀子さん」
また子が驚きの視線を向けた先には柔和な微笑を浮かべた銀子がいた。
「29と43と7・・・合計、あーと、9点か・・・」
椅子を数えた高杉はほくほく顔だ。
「じゃ、借りてくわ。さーて、撮影、撮影」
「キズつけんなよ? 大先輩達の名作だ」
「肝に銘じて!!」
高杉があまりに浮かれているので銀時は少し心配そうな表情だったが、高杉はそんな彼に意外と分厚い己の胸板を自身有りげに叩いてみせた。
しかし、梱包を終えた高杉と銀時はたちまち渋い顔になってしまう。
「さて・・・と、コレを全部、下におろすのか・・・」
運ばなくては仕事にならぬ、と高杉は椅子を肩に乗せるが、ついつい泣き言が漏れてしまうのは仕方のない話だ。
「先生よ・・・何で、資料室にエレベーターないのかね?」
「おっつかねぇんだよ。
創立七十周年にもなっと、作品もあちこちあふれだしててよ。
何で、オレ、手伝ってんだ?!」
「なーなー、高杉ぃ。
ホントにコレ、下に運んだらハーゲンダッツを買ってくれるんですかぃ?」
電話で呼び出されて手伝いを頼まれた瞬間、身を翻そうとしたが「アイスを奢る」と言う条件を出された沖田はアイスが女っぽい顔に似合ってアイスが大好きで、しかも人に買ってもらうのはもっと好きと言う困ったチャンの性格だった。
「買ってやるぜぇ、三つでも四つでも。
そんかわり、キズつけねぇでくれよ」
仕事が楽になるためなら一定の報酬は惜しまない現実的な性格だった、高杉は。
不意に携帯が着信し、高杉は慌てた風もなく電話に出る。
「はい。あぁ、幾松さん、お疲れさまです。
どーしたんすか?」
次の瞬間、高杉の動きが固まり、顔から血の気が音を立てて引いていく。
「・・・・・・・・・・・・え?」
「そっか・・・・・・来島が銀子と一緒に仕事を・・・・・・か」
高杉から相談されたものの事態の深刻さに銀時は苦味の濃い顔で紫煙を吐き出すより他ない。
「・・・・・・」
高杉は頭の中で後悔がグルグルと回っているのか、険しい顔で押し黙っている。
「―――で、幾松さんとやらは何だって?」
少し経ってから、高杉はおずおずと幾松の言葉を一言一句漏らさずに再生する、
「いっそ、もうアンタと銀子さんが一緒にいる所を隠さず、ちゃんと見せてやった方がアキラめがつくのかもよ・・・・・・って」
幾松のアドバイスに銀時は合点が行くように小刻みに頷く。
「んーなるほど・・・・・・同じ女性ならではの意見だな・・・・・・
荒療治というか、ショック療法というか・・・」
しかい、沖田はそれに反論の意を唱える。
「え? 逆効果じゃないですかね? それでいったら。
だって、おめぇさん、まだ銀子さんに男として何とも思われてないんですぜ!?
そしたら、来島は『なんすか★ まだ、私もチャンスがあるのかもっす!!』とか思っちまうだろぃ!?」
「総一郎君っ、コラ。
いーから、もうその『真実乃斧(トゥルーアックス)』をしまいなさいっ」
沖田は来島の事を真剣に思っているだけなのだが、繰り出した『真実乃斧(トゥルーアックス)』は無慈悲にも高杉の頭をパックリと割る。
「―――っつうかだな、
『もういっそ、見せつけてやるがいいわ、真実を!! ありのままに!!
銀子さんの気をひきたくてグルグルと一人でまわって、ワケわかんなくなっているカッコ悪い姿をたーんとね。
百年の恋も冷めるっつの』―――って」
幾松のアドバイスの続きを泣きそうな顔で口に出す高杉。
「なるほど」
あまりにも物事の本質のど真ん中を突いてきた幾松の助言に銀時も沖田も「大納得」と言わんばかりの顔で大きく頷き、手を打ち合わせる。
このまま正解の出ない押し問答を続けても不毛で無駄な時間を積み重ねるだけだ、と気付いた三人は仕事を再開するも、高杉はやはり愁い顔で唸ってしまう。
「先生、オレ、もう何かわかねぇっすわ」
「そりゃ、わかんねぇよ、他人のキモチなんて」
重ねてきた年月の分だけ、酸いも甘いも噛み分けてきた銀時は高杉を諭す。
「てめぇのキモチだってわかんなくなる事が多い位ぇだぜ?
っつーか、わかんねぇって言えば・・・・・・来島がまだ、おめぇの事を好きなんかどーかも、ホントはあやしいもんだぜ」
荷物を持ち上げる銀時の眉間には皺が寄せられているが、それは力を入れているからだけではないだろう。
「ヒヨコのあれとおんなじでよぉ、ただ一番最初に見たおめぇのコト、親とカンちがいしたまんまくっついてまわってるだけのよーな気がするわ、いつまでもよぉ・・・・・・」
銀時の自分を思うからこその優しくない言葉は高杉の肝臓を強かに打ってきた。
「先生・・・・・・・だとしたらよ、どーすりゃ、その書き込みは上書きできるよーになるんすかね」
すると、荷物を背負って息が荒くなっている沖田が珍しく弱気を見せている高杉を更に息を乱れさせて叱咤する。
「あー、もう、高杉っっ、あんたぁ、来島に気ぃ遣いすぎなんでさぁ。
来島は、んなヤワな女じゃないですぜっっ!?
信じてやりなせぇよ」
どうにも、沖田は来島の事を想っているのだろうが、それ以上に言葉が真剣で熱い理由はアイスの為なんじゃないのか? と穿った考えを抱いてしまうのは私だけだろうか。
「アンタが来島の事、大事に思ってんのはわかりやすがねぇっ、弱ぇまんま育って辛ぇのは来島かもしれないんですぜ!?」
余りにも沖田らしくない真面目一色な演説に銀時と高杉は言葉も無く、聞き入ってしまう。
「親が子供に教えなきゃぁなんねぇのは『転ばねぇ方法』じゃ無く、むしろ人間は何度だって立ち上がれるっていう事じゃないんですかぃ!?」
息も絶え絶え、顔全体に大粒の汗が浮かび、足もふらつく沖田だったが瞳と言葉だけには逆らいがたい力が満ち溢れていた。
二人は思わず、顔を見合わせてしまう。
「なんか、時々・・・こう、まともな人間みてぇなコト・・・・・・言うんだよね」
「オレ、今、マジで聞き入っちまったよ」
沖田は二人のそんな失礼極まりない言葉など耳には入っていないようで、急に妙案を思いついたかのように目を見開く。
「獅子はみずからの手で我が子を千尋の谷へつきおとす、と言いやす・・・・・・
そうでぃ、高杉っっ、今度、来島に会ったら、思い切って来島を屋上からつきおとしなせぇ!!!!」
「それじゃ、ただの人殺しだろうがっっ。
はなしが親子の愛情論から殺人事件に変わってんぞ?!」
やっぱり、沖田は沖田か、と今一度、見合わせた顔で思い、同時に重々しい溜息を漏らしてしまう銀時と高杉だった。
一方、自分が論議で熱くなっている男三人の話題に出ているとは露も知らないまた子は事務所を出て一人、とぼとぼと橋の上を歩いていた。
彼女の頭の中で繰り返されるのは事務所での会話。
「今すぐにというわけではないので時々、お話だけでもさせてもらえませんか?
高杉君からは『忙しそうだから・・・』ときいていたのだけれどごめんなさい、あきらめきれなくて」
銀子にそこまで言って貰えた事は正直に言えば嬉しい話ではあった。だが、また子の気分も大学に向かう足も重い。
あのひとはどこまで知っているんすかね・・・・・・
高杉は私の事、なんと話したんすかね・・・・・・
私の事、話したりするんすかね
「かわいそうに」とか? 「幸せになってほしいよね」とか?
はたと我に返ったまた子はいつのまにかネガティブな方に傾いていた自分に気付いた。
「!!」
(・・・・・・はっっ、び・・・び、びっくりっす。
今・・・私、ものすごいヒクツな考えに!?)
慌てて頭を激しく左右に振った彼女は思い浮かべてしまった想像を力任せに脳裏から放り出す。
また子は根気良く自分を説得し続ける内にいつのまにか、大学に到着してしまう。
高杉はそんな事言わないっすよ、そんな人間じゃないっす
銀子さんと私を会わせまい・・・とウソをついてくれたのも、それはきっと高杉の優しさで・・・・・・
今までずっとやさしくて、きっとこれからもずっとやさしくて
きっと多分、この世の終わりのその果てまでも
梱包作業をしていた銀時はフッと姿を現したまた子に気付いて、高杉に目配せをする。
「高杉、私・・・・・・」
高杉の前で足を止めたまた子はここに来るまで胸の中で何度も組み立てては壊して、組み立てなおしてきた言葉を口にする。
ただ、ただ、やさしいだけで
「銀子さんと仕事する事に決めたっすから」
―――ただ、それだけで
「来島・・・・・・・・・」
また子の断固とした決意を感じさせる硬い言葉に高杉は言うべき言葉を飲み込んでしまい、複雑そうな表情を浮かべている。
そんな高杉の表情に決意が揺らぎかけたのか、また子の言葉が荒々しくなる。
「もう決めたっすからっ」
「来島・・・・・・」
話を切り出そうと手を前に出した高杉からまた子は身を遠ざける。
「心配してくれて銀子さんに先に断ってくれたんすよね。
それはわかってるんす、でも」
冷静に、冷静に、と頭の中で唱えながらも言葉を吐き出している内にまた子の中で溜まり続けていた、誰の中にもある濁った感情が激しく渦巻き始める。
「でも、心配って本当は誰の為っすか? 私のっすか? 銀子さんのっすか?
私がっ、銀子さんに何かすると思ったんすか!?」
「来島・・・・・・あのよぉ・・・・・・」
今回ばかりはまた子の履き違えっぷりに怒りを覚えた銀時は彼女に苦言を呈そうとするが、これは自分とまた子の問題だと無言で示すように高杉はそれを手で制する。
「先生・・・」
しかし、また子の勘違いに怒りを覚えたのは銀時だけじゃなかった。
むしろ、沖田は銀時よりもキレていた。
「高杉っっ、もういいだろうぃっ。
そのわからんちんを千尋の谷へつきおとしなせぇ!!」
肉食獣すら尻尾を巻いて逃げ出しそうな殺気を撒き散らしながら沖田は怒涛の勢いでまた子を試練の峡谷へ叩き落すべく特攻を仕掛ける。
「おめぇにできねぇんなら、いっそこのオレがっっ」
「キャ――――――ッッ」
どうして、この話に無関係の沖田が何で自分に修羅の表情で突っ込んでくるのか、全く理解できないまた子の大きく開かれた絶叫が迸る。
「キャアアアアア」
しかし、掴みかかった沖田に対しての反撃行為がやはり他の女子とは一線を画す。
「アアアアアア」
また子は沖田の突進に逆らわないで、そのまま身体を後ろに倒すと自分の上で無防備になっている沖田の鳩尾を力任せに膝で蹴り上げる。
「ヘブシッ」
内臓を潰すような蹴りに沖田は血を吐き出すが、パニックなまた子の攻撃は止まらない。
「アアア」
そして、また子はそのまま沖田の鳩尾にめり込ませた足を力イッパイに伸ばしきった。
当然、いや、ありえない事に沖田の長身痩躯は空へと飛んだ。
見事な巴投げだ。試合なら間違いなく一本だ、試合なら。
階下では少しばかり『教える』のに慣れてきた神楽が子供に纏わりつかれながら授業を進めていた。
「はーい。
じゃあ、みんな、好きな色を三色選んでくださいアル」
「はぁい」
「はぁい」
「あ・・・あの、みんな、いいアルかぁ?」
「おい、お前らっ、先生の邪魔すんなよ」
そんな和気藹々とした教師の窓の外を絶望と恐怖の色に染まった顔の沖田が悲鳴を上げながら重力に逆らうことなく、凄まじい速度で落ちていった。
走馬灯を見る余裕すらないまま、沖田の体は地面に叩きつけられた。
その鈍い音に階下は一瞬にして騒がしくなる。
「うわー、何だ。上から人が降ってきたぞー?!」
「うわっっ、誰かっっ、救急車――――――っっ」
「わああああ」
「そそそそそ総一郎くーん」
「キャ―――ッ」
高杉と銀時が沖田を心配する最中、また子はキレの良すぎた技の拍子に露わになってしまった下着を隠すべく、風にはためくスカートを頬を真っ赤にしながら必死になって押さえていた。
病院に運び込まれた沖田はベッドの上でまた子に尋ねた。その声には微塵の怒りも含まれていなかったが、逆にソレはまた子の背中をゾッと冷たくさせるには十分だった。
「来島よぉ・・・・・・あのねぃ・・・・・・『しょうがいざい』って漢字で書けやすかい?」
「はいっす、書けるっす、すみませんっすっ」
銀時にこめかみを挟んだ両の拳を捻り込まれながら、また子は痛みに耐えながら沖田に詫びの言葉を叫ぶ。
また子の激しいにも程がありすぎる攻撃性と、屋上から落ちたにも関わらず手足の骨折だけで済んでいる沖田の度が過ぎる丈夫さに高杉はもう何も言う気になれないでいた。
―――こうして、みんなに迷惑をかけまくって、落ち込んで、「恋心にもデリートキーがあったらいいっすのに・・・・・・」とつぶやいたら、「浪漫ちっくじゃねぇから却下でさぁ」と言って包帯だらけの沖田さんがニヤリと笑ったんす

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