もう、君の傍から離れたりはしない
君が僕へ向けてくれる笑顔がどれだけ尊くて
君が僕にかけてくれる声がどれだけ愛おしいか
君から離れて、僕はそれを知ったから
もう、貴方の手を離したりしない
貴方の私にだけ見せる笑顔が何よりも美しく
貴方の私の名を呟く声が何よりも麗しいか
貴方の手を離して、私はこれを知ったから
どんなに痛みと苦しみに満ちた運命が僕等を引き裂こうとしても
どれほどの澱んだ絶望と不幸が私達に降りかかってきたとしても
君は僕が守ろう
貴方を私が嫌そう
「う・・・うーわー」
翌日、散々に眠り倒してから、久しぶりに学校にやって来た新八は校舎に屋上から垂らされている段幕に唖然とするよりも呆れてしまう。何せ、でかでかと書かれている内容が『お帰り、新八君』だとか、「祝 自分探し完了!!」に『青春キング万歳!!!!』と来ているものだから当然の反応だろう。
自分が帰ってきたのは昨日だと言うのに、既にそれが知れ渡れ、その上、こんな代物が作られているとなると足は重くなる。
「は・・・・・・入りづら―――
なんじゃあ、こりゃあ・・・・・・」
その時、校舎を見上げて戸惑っている新八に気がついたまた子が窓から身を乗り出すようにして大きく手を振ってきた。
「あっっ、新八っっっ。しーんーぱーちぃぃぃぃ」
新八が手を振り返そうとすると、また子は顔を引っ込めてしまった。
そうして、音速でも出したかと思うほどの短時間で新八の前に現われ、彼の帰還を喜ぶまた子の目には大粒の涙が浮かんでいた。
「おかえりっすっっ、新八。無事で良かったっすよ!!」
そこへ、ニヒルな笑みを漏らした高杉も顔を出す。
「よー、家出息子、やっと帰ってきたな」
そして、溢れ余る興奮をまるで隠さないで駆けつけたのは新八が大のお気に入りの教授二人組。
「うおおおお、志村君っっっ」
「青春の御本尊様が帰ってきおったぁぁぁぁぁ」
そこに頬がこけた青白い顔で「両手剣・釘バット」を握り締めて現れたのは坂田銀時、彼の口元には慈悲深い微笑が浮かんでいたが、肩口からは濁りに濁った殺気が目に見えてしまうほど吹き上がっていた。
「いよぉ、新八君、夕べはよく眠れたかよ? 眠れたよなぁ?
ってゆーか、いい夢みさせてもらったよなぁ☆!?」
「さかたぁん、ダメだっつーの」
恩師の変わり果てた姿に愕然として動けない新八の脳味噌を晒さんと凶器を振り上げようとした銀時を高杉が慌てて羽交い絞めにする。また子も前に立って、彼の亀の如き歩みを阻む。
「あわわわっっ、坂田先生、落ち着くっすよぉぉ」
銀時を『落とした』高杉は新八に事を教えてやる。
昨夜、銀時は二人を写真に収めた後、しばらく放っておいて新八が目を覚ますのを大人の余裕で待ってやっていたのだが、半刻経っても起きる気配が無いものだから、ついに我慢の限界を迎えてしまった。
「わー、手が離れないなぁ。仕方ないからカットしないと」
完全に精神の箍が外れてしまったことを示すような鈴が鳴るような笑い声を上げて、先程よりも神楽の手をしっかりと握っている新八の手首を引き切らんと鋸を持ち出した銀時。
「ひ・・・ひぇぇぇ、坂田君、おちくつんじゃあああ」
老教授が銀時を新八から遠ざけようとするが、いかんせ馬力が違う。
彼がズルズルと引きずられてしまっている様を見せられたまた子は電話で助けを求めた。
「高杉――――っっ、すぐ来てっすよぉぉぉ」
「いやー、大変だったんだぞ?」
高杉の薄ら笑いからは、わずかな怒りが滲んでおり、新八はただただ恐縮して頭を下げる以外に出来ない。
「おめぇは神楽の手、しっかり握ったまま完全におちててよ、目ェ覚ましゃしねーしよぉ・・・」
高杉は「なんで、俺がこんなコトをしなきゃなんねーんだよ」とブツブツと獣が唸るような低い声で愚痴りながら、夜道を間抜け面で鼻提灯を膨らませている新八を乗せた荷台を押しながら帰路を辿ったのだ。
「うわ―――す・・・すみません。
関東に入ったあたりから、ハイになってろくに寝ないですっとばしてきたものですから」
鼻で小さく笑って、昨夜の事を水に流した高杉。
「―――で、どうだったんだよ? 旅は」
これは教授らも聞きたかったらしく、鼻の孔を大きくしている。
「どこまで走っていったのかの?!」
「えと・・・・・・稚内です」
日本地図を頭の中に思い浮かべたまた子は地名の検索を終えて目を剥いた。
「稚内って・・・北海道のっすか!?」
「日本のてっぺんのつき当たりじゃねぇか」
クレバーさが売りの高杉もこれには興奮を隠せないようだ。
しかし、一番に興奮しているのはやはり教授達だった。血圧が上がるのも構わずに、鼻息を熱く荒い物に変えて新八へにじり寄る。あまりに教授らの放つ雰囲気が濁っているものだから、新八は思わず後ずさってしまった。
「で・・・・・・どうだったのかの?! 『自分』は見つかったかの?」
「「答え」は!? 『真理』は!? 『解脱』はできたかの!?」
「こ・・・こわい・・・
いや、途中、色んな人にも『自分探し』と言われましたが、僕は『自分を探しに』出た訳では・・・・・・」
「ええ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
まさかの発言に教授らは雷にでも打たれたような激しいショックを受けたようで金切り声を上げた。ここで事実をボカしたら、要らぬ誤解を受け続けるハメになると思った新八は毅然とした態度で話を続けた。
「いや、ホント、最初は煮つまって、訳わからないまま走り出して―――で、思ったより遠くまで行っちゃっただけで」
青春キングらしからぬ弱気な説明に文句を垂れようとする教授らを落ち着かせるように両手を前に出し、新八は道中の事や縁が重なった人達を脳裏にはっきりと描きながら言葉を紡ぐ。
「自炊したり、野宿の工夫をしたりしているうちに、走りつづける事じたいに、こう・・・・・・興味が出てきてしまったというか・・・・・・
―――で、途中、住み込みのバイトとかをしたりして、そこで色んな人に会ったりして、色んな事を考えたりしましたが」
誰かに今回の旅で自分が何となく心で感じていた感覚をたどたどしくも言葉にしている内に、新八は次第にそれの輪郭を掴み出したのか、快活な笑顔で話を締めくくった。
「『答え』とか、『自分』とか、コトバにできるものは何も・・・・・・
もう、まさに『手ぶら』で帰って来ました」
こんな半端な答えじゃ怒りを買うだろうな、と内心で覚悟を決めていた新八だったが、予想に反して彼の真っ直ぐな感想が逆に教授等の琴線に触れたようで、彼等は男泣きに咽ぶ。
「そうか、そうか、『手ぶら』かっっ。よう言った!!」
「『青春』という『身ひとつ』で、『手ぶら』と言い切れる『今』を掴んで!!
ええんじゃあああ、志村君はそれでええんじゃああ」
「? ? は、はぁ」
勝手に感動して、勝手に納得してくれている教授らに新八は驚きつつも、曖昧な頷きだけを返しておく。
「―――で、新八、何がいいんすか?」
同じく、感涙に震えていたまた子は涙を拭って、笑顔で新八に尋ねるが、彼は質問の意味を掴めず、首を傾げてしまう。
「え? 何って?」
「パスタっすか? カレーっすか? 鉄板焼っすか
それとも、何か食べたいもの、あるっすかね?」
また子の重ねた質問にハンカチで鼻をかんでいた神楽もしきりに頷いている。
戸惑いを隠せない新八の肩に手を置いて自分の方に腕力だけで近づけさせたまた子は優しい声を出す。内容はかなり厳しいものだったが。
「今日はこれから、盛大に『お帰りパーティー』をやるんすよ☆
何でもスキなもの、作ってやるっすよ。言ってっす?」
「い・・・いえ、あの・・・・・・」
新八は身体を遠ざけようとするが、肩に猛禽類めいた爪がしっかりと食い込んでおり、少しも離れられない。
「こんなにやせちゃって、ろくなもの食べてなかったんすよね?」
「ええっ」と高杉はまた子の台詞、特に「ろくなもの」と言った辺りでギョッと秀麗な眉根を引き攣らせた。
「おいしいものを食べながら、旅の話をゆっくりきかせてっすよ?」
旅の間にいくらか力も付けられた新八はどうにか、また子の魔手から逃れ、慈愛に満ちたお誘いをやんわりと断る。
「来島さん、すいません。
今日はこれから、バイトの面接があって!!」
「へ? バイト?」
つい昨日に帰ってきたばかりだろ、と言わんばかりの表情をした高杉に頷き返した新八は何枚かの紙片を見せる。
「学生課の掲示板で今、めぼしいのみつけて来たんです。
履歴書の写真も撮ってきました」
「帰って来たばかりなのに?」
「あっ、ほんとっすよ。履歴書、もう書き込んであるっすっっ」
高杉の心配そうな言葉とまた子の引っくり返った驚きの声に浮かべた新八の苦笑には卑屈さや後悔の念はまるでなかった。
「貯金、ほとんど使っちゃったんで、とりあえず・・・・・・日当系と週払いをコンボで」
「じゃあ。パーティは!? 夜、やるっすか?」
「いいですよ、テレくさいから」
「え――――――みんなでお祝いして騒ぐっすよぉ〜〜〜〜」
だんだんに、また子は新八の帰還を祝いたいのか、単純に酒を呑む理由が欲しいのか、解からなくなってきた高杉だった。
グイグイ押してくるまた子に苦笑いを濃くしていた新八はしばし考えた後に、ポンと手を軽やかに打った。
「あ、じゃあ、終末の夜、大宮八幡の秋まつり、行きませんか?
みんなで、屋台で何か食べましょう。この夏はまだ、みんなとどこにも行ってないし」
(志村、ナイス!!)
苦難の連続であった長旅で底上げされたのは体力や腕力だけではなかったようで、見事な危険回避能力で女子料理部のサバト開催を阻止した新八に高杉はサムズアップし、心の内で惜しみない賞賛の言葉を贈る。
「じゃあ、ボクはこれで・・・面接ハシゴなんで・・・」
ふと時計に目をやって、この場を後にしようとした新八を何者かが呼び止めた。
「おっと、そのまま面接に行くつもりですかい?」
「わあっ、沖田さん!? どーしたんですか!?」
車椅子のタイヤを回して登場した沖田に新八は驚きを隠せない。
「ふっ」と沖田は乾いた微笑を見せ、小さく首を横に振る。
「いや・・・・・・ちょっとした古傷が痛んだだけでさ・・・・・・
ちぃっと前に、そう・・・この近辺で野蛮な暴漢に襲われやしてねぇ・・・・・・」
百戦錬磨の沖田をここまで痛めつけられる者がいるなんてと、ただただ仰天していた新八だったが、ふとそっぽを向いているまた子がダラダラと脂汗をかきまくっているのを見てすぐさま暴漢の正体を悟った。詳しい理由は判らずとも、きっといつもの如く、沖田が余計な事をしてまた子の逆鱗に触れてしまったのだろう、と。
新八のやや冷たい視線など意にも止めない沖田は爽やかな笑顔で彼に何かを投げて寄越した。
「面接に行くってんなら、ひと風呂浴びてからにしなせぇよ。
夕べはもどってきて、そのまま爆睡だったんでしょうぃ?」
新八は沖田が投げたそれを胸の前で受け止めた。
「これは俺からの生還祝いでさぁ」
「・・・・・・って、コレ・・・グラウンド脇の水道の石けんじゃないですか・・・」
掌の中のそれをマジマジと見る新八。さすがに文句を言うのか、と思った高杉であったが、新八は彼の予想に反した行動に出た。
「あ――――――――、水が使いまくれるってスバラシイ!! しかも、タダ!! 無料!!」
運動場横の水道の蛇口に手製のシャワーを付け、嬉しそうに旅の汚れを洗い落としていく新八を高杉と起きた銀時は呆れ気味に眺めていた。
「あーあー、パンツ一丁で。
しかも、学校のやっすい石けんで、頭も体もいっしょくた・・・・・・」
「志村・・・・・・ずい分とまた、野生的に・・・・・・」
そんな二人の間で、沖田だけはただ一人、頬杖をついてじっと冷たく据わった目で新八の肉体を見つめていた。そんなヒール臭漂う表情も絵になるのだから、とことんイケメンは羨ましい。
沖田のジトッとした視線に痒みを覚えた新八は眼鏡をかけて、沖田の方に不思議そうな表情で顔を向けた。
「何、そんなじーっと見てるんですか?」
「いえね・・・やせたねぃ、と思いまして・・・・・・」
「ハハ、しかも、この『土方焼』、カッコ悪いでしょう?」
新八は色が二の腕の半ば辺りで変わっている腕に苦笑いを浮かべた。
「しかし・・・・・・『つきあたる所迄』―――で稚内か・・・おめぇらしいよ」
紫煙を燻らせながら呆れた顔で新八を皮肉気味に誉める銀時に続くようにして、腰を花壇の枠に下ろした高杉も新八をからかい混じりに詰る。
「2ヵ月近くも、連絡のひとつもよこさねぇでよ」
「す・・・すみません、心配をかけて」
二人からの舌撃に、水気を拭っていた新八は慌てて詫びる。
しかし、自分に近づいてきて空腹を訴え、兵糧を求めてきた猫を撫で繰り回した沖田はあらぬ方向を向きながら呟く。
「――――――いえ・・・・・・オレはしてやせんでしたよ、心配」
同じ女を、同じくらいに好きになり、同じほどに惚れ抜いている新八を対等な条件で闘うべき好敵手と認めている沖田。
「アンタって奴ぁ、意外ぇとタフで、そー簡単にゃくたばらねぇって思ってやしたからね・・・・・・」
「沖田さん・・・・・・」
珍しく、真面目くさった沖田からの賞賛に新八は喜ぶ以前に戸惑いを覚えてしまう。
「―――っつう訳で、まぁ、面接がんばって行ってきなせぇよ、て話に戻るんですがね、その前ぇに・・・・・・」
肘置きに手を置いて腕の力だけで下半身を持ち上げた沖田は次の瞬間、猿猴も真っ青な敏捷さで新八に襲い掛かった。目は爛々と光り、手には進化の過程で捨てざるを得なかった鋭い爪の代わりと言わんばかりに櫛と鋏―しかも、プロ御用達の一流ブランドのーを持っていた。
「髪、切ってやらぁ!! 千円で!! イメージしてみなせぇ!!」
「!?」
新八も驚いたが、足の骨が複雑に折れていてまともに歩けない筈の沖田がこんな動きを見せたものだから、今日まで怪我人だからと労わってやっていた銀時と高杉の驚きと怒りは新八の比ではなく、眼球が勢いよく飛び出てしまうほどだった。
「おい、コラ、車イスは!?」
しかし、次の瞬間、決して素早くはなかったが流れるような足運びで身体をズラし、沖田の突き出した鋏を躱した新八は沖田の体勢を前に崩させると伸ばされきった彼の腕を押さえ込み、間髪いれずに手首を打った。脈点をピンポイントに打たれた沖田の腕には電流のような痺れが広がり、握力を一時的に失った彼の手から凶器が滑り落ちる。
よもや新八がこんな動きを身に付けているなどとは予想していなかった沖田も他の二人も驚きを隠せない。
「オレの愛を疑うんですかぃぃぃ」
本気で慟哭している沖田に新八はげんなりとする。レンズ一枚隔てた瞳には疑いや嫌悪感が広がっていた。
「愛・・・・・・いや、信じちゃったら、それはそれでマズイんでは?」
高杉は文句をギャンギャン垂れている沖田の姿にかなり引いていた。
「う〜わ〜、半裸のびしょ濡れ男相手に愛を叫んでやがんぞ? み・・・・・・見たくねぇ・・・・・・」
銀時の顔にも隣の高杉と似たり寄ったりの色が滲んでいる。
「なぁ? どーなのよ? しかも、学校の中心でよ。
しょっぺぇ眺めだなぁ、オイ」
二人から視線を逸らした銀時はついでとばかりに話題も逸らしにかかる。
「ところで、高杉よぉ、会社は?」
「ウチは今、遅ぇ夏休みだ」
新八はいつの間に開眼したのか、サディストな笑みを魅せた。
「あ、じゃあ、切りっこってのはどーですか? 千円はチャラにして。
ボク、『五分刈』しかできませんけど、それでも良ければ」
「うぬっ、五分刈・・・・・・うぬぅっっ」
切りたいけど切られたくない沖田の心の天秤は右に左に激しく傾き合う。
「ハハハ、どーします?」
新八は笑っているような顔と笑っているっぽい目で鋏をシャキシャキと鳴らす。その音の実に冷たいことよ・・・・・・
「志村・・・・・・」
「互角にわたりあってる? 総一郎君と?」
心身ともに逞しくなって帰ってきた新八に高杉と銀時の二人は嬉しさも感じつつ、妙な方向に成長したらしい彼に底知れない怖さも感じるのだった。
ところで、話は変わると言うか、読者の皆様に聞きたいが、沖田なら五分刈も問題なく似合うし、見てみたいと思う方は何人ほどいらっしゃるのか、挙手をお願いしてもいいだろうか。
それから数日後の夜―――
面々は約束どおり、秋祭りが催されている神社を訪れていた。
境内は数多の夜店で賑わっていた。
「なんだか、急に涼しくなったっすよー。
9月に入ると、やっぱちょっとちがうっすね」
「ところで、新八ハ? 遅いアルー」
高杉らが待ち合わせ場所で周囲を見回していると、全速力で新八が駆けてくるのが見えた。
「あっ、来た、来た」
「新八ぃっっ、早く早く、おなかすいたっすよぉ」
しかし、急かすまた子におざなりに詫びた新八は手に握り締めていた履歴書を顔を怒りに歪めて突きつけた。
「コレ書いたの、沖田さんでしょ!?」
新八が指差しているのは特技の欄。訝しげな表情を浮かべた銀時と高杉がよくよく見れば、そこには一度消された痕跡があった上に書き加えられていたのは「自分探し3級」、しかも、ご丁寧に新八の筆跡まで真似てある。一瞬、書いた本人ですら気付けなかった。
新八に襟首を捻り上げられつつも沖田は勝ち誇ったようなニヤニヤ笑いを浮かべ、新八に生温い声をかける。
「おう、新八ぃ、バイトの面接、どうでした?」
「受かりましたとも、おかげさまで。
しかも、あたたかくむかえられちゃいましたよ」
新八は面接官の教授ソックリの青春臭に興奮を隠しきれない反応を思い出し、急に気恥ずかしくなったらしい。特技欄に食いつかれてしまった新八は面接お決まりの質疑応答もそっちのけで、今回の長旅を話す羽目になったのだ。
半泣きの新八から事の顛末を聞かされた沖田はニタニタ笑う。
「受かったならいいぢゃないですかぃ」
「だから、お蔭様でって言ってるでしょ!?」
憤る新八が落とした履歴書を見た銀時と高杉は彼への同情の嘆息を漏らした。
「特技、『自分探し』、アイタタ・・・・・・」
「しかも、『3級』、びっみょー。もっそい、『ただのたしなみ程度』ってカンジか?」
一方、女子は既に興奮の度合いがMaxで、「よし」の号令をかけてもらえるのを待っている愛玩動物のように、可愛らしい尻尾を千切れんばかりに振っている。
「ねーねー、みんなっっ、とにかくっっ、早くっ早くっ食べるっすよっっ」
神楽とまた子はお祭り用の完全武装にその身を包んでいた。首からは限界まで手ぶらを実現するための紐下げの財布に入れられているのは、今日のために細かい調節を繰り返して貯めまくった500円玉。また、同じように首から下げているのは保冷機能がついているポシェットで、それには神社の近くのスーパーで予め購入しておいたペットボトルのお茶である。この二人、本気で祭を満喫する気だ!
「ま、また子、何から食べるアルかっ」
「まず、おちつくっす、おちつくんすよ」
そう言う、また子の鼻息もしっかり荒い。
「まずは、とりあえずはずせないメインからっすよっっ」
また子は熟年の狩人に近しい光を灯す眼を立ち並ぶ夜店に走らせた。
「粉モノからっすよっ、粉とソースが呼んでるんすよっっ!?」
そうして、事前に調査していた店の並びを脳内に呼び起こした、司令官たるまた子は的確な指示を鋭い声で部下に飛ばした。
「新八は焼きそばっっ×2っす。
神楽はタコ焼×2っす。
わたしはお好み焼き×2っす。
沖田さんはアメリカンドッグ。
買ったら、またココに集合っすよっっ」
お手本通りの敬礼をして放たれた矢もよろしく目的地に走って行った部下の背中に、重要な事を思い出したまた子は追加の指示を飛ばした。
「あ、そうっす。
全員、ソースはたっぷりめっす」
「了解です」
「了解アル」
「了解でぃ」
その反面、大人チームは「動かざること山の如し」を実行に移していた。
あちこちに用意されていた席に悠然と腰を下ろし、だらだらとビールを傾けている。二人から流れ出ている空気は緩い。場違いな例えだが、今の二人では血を血で洗うような凄惨な戦場では生き残れまい。
「大人、サイコー☆」
ふと、二杯目の梅酒を空けた銀時は思い切りはしゃいでいる生徒達にどんよりと冷めた目を向け、高杉に愚痴でも零すような口調で尋ねた。
「なぁ、高杉・・・・・・気のせいかね。
なんか、オレ、去年も全く同じ光景を見た様な気がすんだけど・・・・・・」
「そりゃ、また奇遇だな、俺もだよ」
二杯目のスクリュードライバーを空にした高杉は右目を忌々しそうに歪める。
「っつーかよ・・・・・いつまで、オレぁ、先生と『二人酒』をしてりゃあいいのかね。
卒業旅行(?)もたしか、先生と二人で、さしで、温泉につかってたよなぁ・・・?」
高杉は缶を潰すと、憂いの色が濃い溜息をつい漏らしてしまう。
「考えたくないんだけどよ・・・・・・お袋が、オレを産んだのって、今のオレの年なんだよな・・・」
高杉は上に少し年が離れた姉が三人もいて、彼は高杉家に初めて生まれた男子だった。ちなみに、彼の左目は母親譲りの光過敏の弱視で、普段から包帯を巻いて保護していた。
高杉のそんな苦々しい言葉を一笑に付した銀時。
「ハハハ、甘いなっ。
オレなんか、もうすでに10歳だもんね、お袋が今のオレの年の頃にはっつー話なら」
「苦っっっ、苦―――――――っっ」
銀時の自分など比べ物にならないレベルの告白に高杉は相手も忘れて叫んでしまう。
銀時が高杉を張っ倒そうとした刹那、冷静さなど失った沖田がいつものグーたらさなど微塵も感じられない二倍速で駆けてきた。
「高杉っっ、今年も来てやすぜ、『型ヌキ屋』がっっ。
やりやすか!? 『型ヌキ☆デスマッチ』」
途端、銀時の平手をひらりと避けた高杉の目が危ない光を放った。
「っつしゃあ。その勝負、のった!!」
頬を興奮で真っ赤にして沖田と合流した高杉に銀時は先程のまでの怒りも忘れて、重々しい同情の溜息を吐いた。
「あーあー、こりゃ、アイツも10歳コース確定だな。
つーか、アイツ自身が永遠の10歳で終わりっぽい・・・・・・?」
そんな可哀想なことを言わないであげてくれ。もう少し、上であろう・・・・・・そう、厨二あたり?
ソルティドッグを飲み干した銀時の憐憫の視線になど全く気付いていない高杉は沖田に情報を惜しまずに公開する。
「沖田、去年、新型が出てやがったぜ」
嬉しい情報に沖田の興奮も高まる。
「何ですってぃ!? オレがアリゾナの砂漠で砂を噛んでいた間にですかぃ!?
いつか、あの店主とは決着をつけてやらなきゃ、とは思ってやしたが・・・・・・今日ですかぃ!? 今日なんですかぃ!?」
興奮を鎮めて、引き締まった猛者の面持ちとなった沖田、高杉、新八の三人を待ち受けていたのは、どう見たって堅気とは思えないガングロじじぃ。
「よぉ、二年ぶりだな、この『クソガキ』」
型ヌキ屋の店主、次郎長は煙管を揺らしながら不敵な笑いを見せた。
沖田は彼の笑みにも負けないほどに不遜な笑いを返す。
「フフン、邪魔しやすぜ。もうガキじゃないですがね、おっさん」
「じゃあ、『クソ』、ただの『クソ』だ」
「ふっ、ふんぬー」
次郎長の安っぽい挑発にいとも簡単に乗ってしまう沖田、完全に己が格下であることを露呈してしまっている、バカ丸出しである。
いないとは思うが、ざっくり説明しておこうと思う。
型ヌキは、しんこ板―デンプンをガムのように平たくしたモノーに型押しされている様々な絵柄を画鋲などのプッシュピンなどで地道につついて、欠けないように抜き出す事を最終的な目的とした、祭に欠かせない遊びの一つである。
抜き出す自体、不器用だったり力加減が下手だったりする人間には難しいのだが、手先が器用な人間でも細かい場所は実に神経を削らされる。
この遊びは「運」が挟まる隙間などどこにも無く、己の有し、磨き上げてきた「技術」のみで勝負しなければならないシビアなものである。
「わああああん、かけちゃったよー、まみー」
また、型ヌキは欠けずに抜けると、その絵柄の困難さに応じた賞金が出る為に、熱くなってしまう大人が多い。
「よしっ、いけるっっ」
子供に混じって、真剣かつ本気でチマチマと手を動かしている高杉と新八がその典型だ。
「ハハハ、ダメ―――ッ」
「ええっ、何でだよぅ」
「ここが欠けてる――――――っ」
せせら笑って、次郎長が指差すイルカの尾びれの所には確かに欠けている箇所はある、じっくり見ないと解からないほど僅かな欠けだが。
「うそだっっ」
当然ながら、この店の中ではテキ屋のオヤジこそが神であり、ルール。
ほとんど、イチャモンにしか聞こえないものでも、次郎長が白と言ったら黒いものでも白なのだ。
最近では、目にすることは少なくなってしまったが、型ヌキ屋で味わうハメになる挫折は、子供にとって大人の世界に存在する理不尽さに初めて強引に直面させられる、少しばかり甘くて苦味が強い想い出になるであろう。
「うわああああん、母君―――!?」
「また来年、来やがれっっ」
泣いて逃げ帰る少年にせせら笑う次郎長の笑顔は本当に嬉しそうだ。実際、少しは成長を望んでいるのだろうが、心の大半を占めているのは無垢な子供らの脆い心を無惨に砕いた恍惚感じゃなかろうか、と思わせるほどだ。
「ふーっっ、、はい、ボク、帆船上がりっっ」
「オレは、たつのおとしご☆ 一丁あがりっ」
手先がとっても器用な二人は会心の出来を掴んでおり、その笑みも満足気だ。
「おっさん、オレら、賞金いいから、もう1ランク、型アップな」
「チッ、てめぇら、腕を上げやがったなぁぁぁ。
非の打ちどころがねぇっっっ」
次郎長は高杉から手渡された型を見て、悔しそうな顔で歯軋りを漏らす。子供が見れば泣き出しそうな面が大人でもチビりかねない、修羅の面になっている。
「YAHAAAA、なまはげ、クリアでさぁ! ネクストカモンッ」
そして、沖田は器用云々の前に小金でも絡んでいれば、人の領域を超えるほどの実力を無駄に発揮する男だ。
そして・・・・・一時間が経ち、二時間も瞬く間に経って
「うー、さすがに、目が痛くなってきやがったなー」
高杉は目頭を揉み解した。彼の言葉に頷いた新八も硬くなり始めた肩を揉む。
「ボクもそろそろ換金しようかな。今なら、合計で2千円位になってるし」
しかし、『からす天狗』を抜き終えた沖田が弱気な発現を吐いた二人を叱り飛ばした。
「何を言ってるんでさぁ、アンタら!!?
男だったら頂上を目指すのが道ってもんでしょうよ」
完全に、両の眼に霧属性である事を示す紫色の焔が灯ってしまっている沖田を高杉と新八は尊敬半分、呆れ半分で見やる。
(め・・・目の色が・・・・・・変わってる)
「一昨年のオレは、確かに七合目まででした!!
ですがねっ、しかしっっ、今年のオレは頂点を極めやすぜっっ」
ピンを指に挟んだ沖田はでっぷりと肥えた羊が穏やかに草を食んでいる姿を舌なめずりして機会を窺っている狼のようだ。
「オッサン!!
まさか、店主が先に『ネタ切れ』っつー事はないでしょうねぇ!?」
対峙した次郎長も一撃で粉々に出来る木の柵だけに守られている脂が乗りに乗った豚を狙っている虎の如き、危険な笑みで乾いた唇を真っ赤な舌で湿らせた。
「いいねぇ、その眼。
そーこなくっちゃあ、嘘だよなぁっ、おいっ」
そして、次郎長が満を持したとばかりに取り出した一物はそれまでの物とは確実に一線を画していた。
「用意してたぜ、てめぇの為に、その―――頂上とやらをなぁ!?」
(ににに日光東照宮!!!)
(しかも・・・陽明門?!!)
あまりの衝撃に、高杉と新八の顔は80年代の少女マンガの画風になってしまう。
「ヴァハハハハ、金型を作るのに二週間!!! 専用型代、十五万っっ(赤字)」
思わず、二人は心の内だけで「だめじゃん」とWツッコミを放ってしまう。
「ふ・・・っっ、ふんぬ――――!?
いっっ、いい仕事してやすね――――っっ」
沖田は歓喜と恐怖でその身を小刻みに震わせてしまう。
「抜けるものなら抜いてみやがれー」
「ふんぬ――――――――っっっ」
「あの・・・・・・お先に失礼するわー。どーもー」
「お先、失礼しまーす」
これ以上、こんなxxxな二人に付き合ってられぬ、と目配せを交わした高杉と新八は彼らに気付かれないようーもっとも、沖田と次郎長の目には互いしか映っていなかったのだがー、そっとその場を後にした。
ブラリブラリと夜店を冷やかし半分に見て回っていた新八と高杉の二人は聞き慣れた声に気付いた。
「キャーッ、まただめっす―――っ」
「当たらないアルっ」
必死な響きの声がした方向に行ってみれば、また子と神楽がボールダーツに興じているではないか。
どうやら、彼女達は兎の貯金箱を狙っているようだが、投げる球はことごとく外れてしまっている。
「ホイップちゃんがほしいんすよ――――」
汗だくになるのも構わないで、次から次にボールを投げているまた子の横顔を冷めた目で見ていた高杉、以前なら、そんな彼女の姿を見れば、可笑しそうにしながらも代わりに景品を取ってやっていただろうが、春の万斉による連れ去り事件を思い出したのか、、つい先日に自分の不甲斐なさが呼び込んでしまった未来軸に待ち構えているの厄介事に思い悩んだのか、それとも、不用意な優しさで彼女を更に傷付けてしまうことに怯えているのか、また子に声をかけようとはしなかった。
「・・・・・・・・・志村」
視線を伏せた高杉は新八の肩を掴む。そうして、ポケットから取り出したのは先程、稼いだ賞金全額。
「おら、さっきの賞金、おめぇも出せよ。いいとこ、見せてこい」
新八は戸惑いを隠せないが、高杉は彼の胸に紙幣を押し付けて背を向け、興奮している彼女らに気付かれる前に退散しようとする。
「え? 高杉さん、やってあげればいいじゃないですか。上手いんだから、ボールダール」
「オレはもう疲れた、銀時さんと飲んでるからよ」
事情を知らず、また子に気を遣って自分を呼び止めようとした新八に高杉は背中越しに小さく手を振ると歩調を速めてしまい、角を曲がって姿を消した。
「高杉さん・・・・・・」
一度もはっきりと振り返らないまま、まるで逃げるようにその場を後にした高杉の心の機微を何となしに悟った新八は楽しそうに笑って夢中になっているまた子と神楽に目をやる。
そんな二人の姿に、ここで男を見せなければ、高杉の色んな意味での思いやりを無に返してしまう、と腹を括った新八は受け取った資金と自分の資金を握り締めて、その店に足を向けた。
どうにか、軍資金を半分ばかり消化した所で目当ての商品を落とせた新八は安堵の笑みを漏らす。
「わーい☆ 新八、ありがとうっすっっ」
「うれしいヨッッ」
何匹ものウサギのグッズを抱き締めた神楽とまた子は本当に嬉しそうで、新八は頑張ってよかったと、しみじみ感じた。
ふと、また子は頬を緩めている新八の腕を見て、表情を翳らせた。
「あれ? 新八、腕どーしたんすか?」
「あぁ、コレ」
また子が恐る恐ると指差した、自分の腕にまだ色濃く残っている裂傷を見て、少し眉を顰めた新八。旅の記憶を一つずつ思い出すように新八は眼鏡のフレームを上げ下げした。
「コレはなんだっけ・・・・・・あぁ、河川敷におちた時のだ」
淡々と思い出した新八にギョッとしたまた子は彼の足にも大きな痛々しい傷の痕を見つけて、顔を青ざめさせる。
「あー、足にもっっ。で、でっかいっすよ? 傷!!」
神楽もまた、傷を見て顔を引き攣らせている。感受性が豊かな彼女のことだ、負った時の痛みに同調してしまっているのだろう。
「い・・・痛くないアルか?」
しかし、当の新八は自分の足に縦に走っている傷を見ても、顔色一つ変えない。
「あぁ、別に何ともないですよ、ふさがってるし」
また子がまじまじと新八のこの間までは白かったのに浅黒く焼けた肌にいくつも刻まれた傷に見入ってしまっていた時だった、山崎が彼女に声をかけてきた。
「お――――い、また子―――、商店街の御輿に御神酒あげるよ――――――っっ」
途端に、また子は水をかけられてしまった猫のようになる。
「ぎゃっ、退さんっすよ。忘れてたっす」
慌てて、また子は山崎の方に向かう。
「ちょっと、行ってくるっすねっっ。
じゃあ、また明日っす☆」
「早く――――――っっ」
「はーいっすよぉ。
新八、神楽のこと、よろしくっす」
新八と神楽は手を振り返す間もなく、駆けていってしまったまた子をただただ苦笑い交じりで見送ることしか出来なかった。
微妙に重い空気が流れそうになり、また歩き出そうとした新八はふと、隣の神楽に尋ねる。
「・・・・・・熱は?」
「も、下がったヨ」
「そっか、よかった」
ずっと
フッと目を伏せた神楽も新八に尋ね返す。
「・・・・・・・・・遠くまで、行って来たんだネ」
ずっと、考えていたんだ
「うん」
柔らかく微笑んだ新八は小さく首を縦に振る。
顔を上げた神楽は真っ直ぐな瞳で新八を見つめた。
「地の果てって、どんな所だったアルか?」
あの日、あの時、あの瞬間、自分の足だけを回して辿り着いた“地の果て”で視たあの光景を思い出した新八は閉じていた目を開け、淡々とした口調で語りだした。
「何もなかった・・・・・・・・・」
『ふり返らないで、僕はどこまでゆけるんだろう』
「でも、明るかった」
そんな風に走り出した理由を・・・・・・
「空がすごくきれいだった」
――――――やっと、わかった
その刹那、新八は心の中に出来ていた穴に、何かとても大切な物がコトリと軽やかにはまる音を確かに聞いた。
多分、僕は背中から遠ざかる自分のすべてを 「君に会いたいなぁ、と思った。
だから、帰ろう、と思った」
もてあます未来も、不安も迷いも、それを投げ出せない自分も
どれだけ大事か、思い知りたかったんだ
「神楽ちゃん、僕は君が好きだよ」
あれだけ苦労しても言えなかった告白の一言を新八は、後で自分でも吃驚するくらいに素直に言えた。
どうしても、答えの出ない
いきなり、新八の想いを聞かされた神楽は驚きを露わにしていたが、彼の真っ直ぐな好意が胸を突いたのだろう、彼女の瞳から澄んだ涙が筋となって頬を伝う。
「・・・・・・うん」
その日々すらも・・・・・・
新八の見せてくれた、朴訥で素直で優しい笑顔に神楽は真っ直ぐな思いで礼を告げた。
「新八、もどってきてくれて、ありがとうアル」
「おー、来たわ、来たわ」
最初に、新八に気が付いたのは京次郎だった。いつになく柔らかく笑った彼の視線の先を追った晴太も新八が近づいてくるのに気付いて目を見張った。
すっかりと真っ黒になった新八を一同は笑顔で歓迎した。
「おー、けっこー早かったじゃん、北海道一周」
「まっくろっっじゃのぉ、ハナのアタマ、ボロボロじゃー」
「だっせー」
「金は足りとるんか? また、2〜3日、働いていかんか?」
「それより、晩飯、作ってかない。つーか、弁当、作ってよ」
「いいですよ」
「やった」
「自転車はもうえぇわ。やるわ、乗って帰るとえぇ」
二度目の別れ際、新八を見送る京次郎はあるアドバイスを自転車と共に贈った。
「あぁ、それとのぉ、新の字」
「はい」
「ウチへ来る気がもしあんのなら、学生の内に普通免許を取っとくとえぇぞ」
祭りも終わり、アパートに帰った新八はバイト探しで忙しく片付けられなかった、旅の間ずっと世話になった道具を整理し始めた。
「えーと、サイドバッグに、コンパスに、ライトにカッパ・・・・・・」
一つ一つ、丁寧に箱に詰めていく新八。
「使わなかった替えのチューブ、パンク修理用品・・・と」
しばし考えた新八は後々の事を考えてみる。
「地図と・・・・・・コンロは出したままでいっか・・・使おう」
蓋を閉じてガムテープで封をした段ボール箱の中身を新八は労うように優しく叩いた。
「よし、またねっ」
そうして、新八は旅に出る前と比べて、少し骨太になった手を見て、まだ指先に残っている感触を思い出し、頬を緩ませた。
神楽の顔を見て気を失うように眠ってしまったが、伸ばした自分の指先を強く握ってくれた彼女の掌の温かさだけは新八はしっかりと覚えていた。
熱のある君の手は熱くて、握りしめるとみるみる汗ばんでいった
生きてる、と思った
生きてゆける、と思った
帰って来てよかった―――って心から思えた
甘酸っぱい回想に耽っていると、手製のベルが鳴らされた。
―――だから
ガランガラン、と耳障りな音に現実へと一気に引き戻された新八は開けた窓から身を乗り出した。
「何ですかー? 高杉さん」
僕の部屋の冷蔵庫は
階上の新八を見上げた高杉は先輩風を吹かす。
「銭湯、行かねぇか? ずっと、水浴びしかしてなかったんだろ?」
「あーっっ、いいですね。今、おりていきます!」
あいかわらず、カラッポだけど
あの音は
もう聞こえないんだ
主が外出した部屋の机に投げ出されていたのは、自動車学校の案内チラシであった。

0