ノン、あるいは支配の空しい栄光
http://www.iwanami-hall.com/contents/now/now_discription.html
ポルトガル映画、
脚本・台詞・監督 マノエル・ド・オリヴェイラ
神保町、岩波ホール、4/30まで
[解説]
ポルトガルはその長い歴史の中で、栄光と敗北をくり返してきた。紀元前2世紀のルシタニアの英雄ヴィリアトの死、1475年のトロの戦いでの敗北と国王アフォンソ5世の死、1490年のアフォンソ王子の死、1578年のアルカセル・キビルでの壊滅的な敗北とセバスチャン国王の戦死。マノエル・ド・オリヴェイラ監督は、この映画を通して、ポルトガルの空しい栄光の歴史を描き出していく。かつて、ポルトガルの詩人ルイス・ド・カモンイスが『ウス・ルジアダス』(1512)の中で謳い上げたものを、監督なりに映像によって表現しようとしたものとも解される。現代の戦地の将校や兵士たちが、ポルトガルの歴史上の人物となって各時代の英雄たちの戦いを経験していき、再び現代の戦地へと戻る構成になっている。
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たぶん、この解説を読んでも万分の一も真価は伝わらない。
それどころか、どんな映画なのかまったくわからないだろう。
「百聞は一見にしかず」とはまさにこのこと。
見ないと大損しますよ。
ただ、岩波ホールは4/30まで、
映画界最高齢 101歳 現役監督の マニエル・ド・オリヴェイラが80歳を過ぎてつくった大傑作である。
強烈な反戦映画である。
歴史映画とばっかり思い込んでいったら、冒頭のシーンに圧倒される。 一本の木が延々と映っている。
音楽とあいまってものすごい緊張感。 やっと見ている主体がうつったとおもったら、ポルトガルの兵士たち。
それも現代。 トラックにのってどこかへ向かっている。
そう、1974年、サラザール独裁政権下のアフリカ植民地をいく兵士たちなのだ。
その兵士たちが、こもごも植民地に戦いにきていることに対する思い、不満を行軍しながら語っている。
そしておもむろに、大学で歴史を研究していた少尉がポルトガルの前史を語りだす。
そこではじめて、
「ノン、あるいは支配の空しい栄光」
の意味がわかってくる。
過去の強大な帝国、ギリシャ、ローマは何を残したか、なにもの残していない、朽ち果てた遺跡だけだ。
ポルトガルもそれとおなじ、いまもわすれられずに残っているものはバスコ・ダ・ガマ、コロンブスの航海術、発見であり、カモンイスの詩であり・・・。
武力でもって、制圧し、支配し、占領したって、それはなにも残さない。
ポルトガルのむなしい支配の歴史を語り終わった翌日、兵士たちはゲリラの待ち伏せに出会う。
銃弾をうけた少尉は昏睡の中で、自刃したセバスチャン王の幻影を見る。
少尉が命をおとしたその日は奇しくも、サラザール独裁政権が革命に倒れた1974年4月25日だった。
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この映画をみたのが4月25日だった。
沖縄県民大会で9万人の人々が軍事基地No!の意思を表示した日である。
オリヴェイラ監督の映画を最初に見たのは「アブラハム渓谷」、翌年の「階段通りの人々」が気に入ってすぐファンになってしまった。
これらとはだいぶ趣が違い、今回の「ノン、あるいは支配の空しい栄光」はまるでアンゲロプロスを見ているようであった。

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