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2008/12/13  0:51

国鉄 大宮機関区のレンガ庫  大宮操車場
こんばんわ。
昨日も絶大なる応援ポチをいただきありがとうございました。

昨夜は所属の忘年会で帰りが遅くなってしまったため、コメントをご返事が遅れまして申し訳ございません。

今日は暫く空いてしまいましたが、大宮操車場ネタのうちご近所付き合いでもあり、共同作業の一員であった大宮機関区の懐かしいレンガ庫をご紹介したいと思います。

http://diary.jp.aol.com/marutetsu/1015.html でEF65や http://diary.jp.aol.com/marutetsu/950.html でEF15が大宮機関区で憩う場面をご紹介したことがありましたが、屋根の無い電留線ばかりの絵でしたね。

大宮機関区には検修用のレンガ庫があり、昭和40年代半ばくらいまではSLが大宮操車場の入れ替えや川越線の貨物列車牽引の任に当たっていたらしいです。
私も母親の田舎に連れて行ってもらうときはここを通っていたわけですが、残念ながらSLを見た記憶は全くありません。


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昭和57年7月頃 大宮機関区 レンガ庫

大宮操車場への職員輸送として、川越線で到着したキハ30系の列車が、職員を乗せてそのまま操車場構内に乗り入れます。
この写真はその車内から撮影したものですね。


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昭和57年7月頃 大宮機関区 レンガ庫とキハ30系

構内渡慶賀示すように、朝の8時30分過ぎ。
レンガ庫の位置関係がイマイチ記憶に薄いのですが、この写真の目線の高さからして、線路を歩きながら撮影しているようです。殆ど大宮駅に近い場所から300mmの望遠で撮ったような構図です。

大宮機関区には、本線仕業の電気機関車が留置・待機する場所と、大宮操車場〜大宮工場の入れ替えに使用されるディーゼル機関車及び川越線用のキハ30系が留置・待機する場所が別エリアで設けてあったようです。

レンガ機関庫はもちろん気動車関係のエリアにあり、写真でもお判りのとおり、架線設備は全く備えていません。


この写真では、このスパンにおける新幹線工事が未だ始まっていないようですが、昭和59年になるとかなり橋脚が建っている様子が分かりますので、おそらくその時期辺りに取り壊されてしまったのではないかと思われます。

煙抜きの付いた独特の形をしたレンガ庫、かつては全国各地の機関区で見ることが出来ましたが、今では残り少なくなってしまったと思います。
これは、老朽化というのもそうですが、阪神・淡路大震災の発生から耐震調査が普及し、震度5以上で倒壊する危険のある建物は耐震補強または取り壊しといった工事が実施されたため、鉄筋の入らないレンガ庫は急速に取り壊しが進んでしまったのではないかと思っております。

直接の職場ではなかったために、位置関係や出入りの様子の記憶も曖昧なのが残念です。

この写真はなんとなく撮ったものだと思いますが、かつての自分の働いていたエリアにあった遺構を記録することが出来て本当に良かったと思っております。


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2009/1/15  22:34

投稿者:キハ181つばさ
KEN様
クモハ12とは羨ましいですね。私は汚い気動車でしたし、下っ端だから先輩よりも早めに着かなきゃいけないんで、あまりキハには乗ることがありませんでした。

2009/1/15  10:13

投稿者:KEN
新鶴見操車場では、職員の方の輸送用にクモハ12を使っていたようです(鶴見駅との間)。

中学生のとき、もう機能停止してしまった新鶴見信号場を眺めていたら、こんな物がまだ走っているはずが無いと思っていたクモハ12の電車がいきなり現れ、びっくりした覚えがあります。

http://blogs.yahoo.co.jp/toshiko7129

2008/12/21  10:19

投稿者:キハ181つばさ
宮オオ様
あの地震を生で体験されたのですね。さぞや恐ろしかったことでしょう。
関東大震災は今で言う都心の被害ばかり着目されがちですが、御殿場線でも機関車(当時はSL)が脱線転覆するほどの被害が出たという記録を鉄道誌で見たことがあります。
今だと建物ももっと丈夫になったと思いますが、それでも阪神・淡路の地震で都会の脆弱性が露見してしまいましたね。
私もそうした部門の耐震工事に関連した仕事をしたことがあるので、見聞だけではありますが、他人事とは思えない緊迫感があります。

2008/12/20  6:59

投稿者:宮オオ
おはようございます。
この懐かしい機関庫の写真を見てると、大きく躍動してたころの大宮にて生まれ育った自分をふと思い出してしまいました。
さて、つばささんがコメントのなかにおいて阪神・淡路大震災のことに触れてましたが、私はそのころ関西に住んでたのでこの地震をモロに体験してるし、被災した神戸や阪神地区をリアルタイムで見聞きしているから未だに忘れることが出来ません。
話しは前後してしまいましたが、大正12年の関東・伊豆大震災=私から言わせればこの震災は伊豆地方も大きな被害を受けてたので、今だったらこう呼ぶべきでしょう=にて大宮ー当時の北足立郡大宮町ーではのちの国鉄大宮工場で煙突が倒れてきて建物が潰れるなどして24人が犠牲になり、ほかにも下町にあった製糸工場も煙突が倒れるなどして4人が犠牲になったそうですが、当時の市街は大宮台地の上にあったことから前述以外の被害ー写真の機関庫もーは少なかったようです。
長文となってしまって申し訳ございませんが、この辺で失礼します。

2008/12/14  0:09

投稿者:キハ181つばさ
舞様
あったものがなくなってしまうというのはつらいですね。見たこと無いものだと情も未だ無いので軽く済みますが。
小さい燃料庫のようなものだと比較的に残っているかもしれません。地震による倒壊の被害が少ないし、火災の危険が無いので、使う側にとってもむしろ残しておきたいかもしれませんね。

2008/12/14  0:01

投稿者:キハ181つばさ
金太郎様
全国レベルで見ればまだ沢山ある可能性もありますが、余剰地の売却もなんだかんだ言って進んでいるようなので、やはりこういうネタは押さえておきたいですね。
どうしても列車・車両ばかり目が行ってしまうので、目配りがどうしても必要になりますね。
ポチまいどども!

2008/12/13  23:27

投稿者:舞
「はやぶさ」に乗りに行った時に、熊本に煉瓦の車庫があると聞いてたのですが、とっくに壊されていました。ほんとうに貴重になりました・・・佐和駅の倉庫もレンガ造りで、明治時代の駅の開業当時からあったのだろうと聞いています。

2008/12/13  23:15

投稿者:金太郎
機関庫は記憶に無いですがキハ30系が懐かしいですね。こういう建物関係も貴重な記録になりますね。
帰宅直後の星3つ差し上げます。

2008/12/13  14:00

投稿者:キハ181つばさ
シービー様
このようなレンガ庫、出雲市でも撮ったことがあります。その後どうなったか分かりませんが、駅の至近にあったりすると、高架化などの際になくなりやすいですね。

2008/12/13  11:30

投稿者:シービー
これは見た覚えがありますね。
京浜東北線で大宮に向かう時には、進行方向左側を眺めていましたからねぇ〜。
レンガ造りの機関庫、残っているところが少なくなっちゃいましたね。
レンガ造り、今ではトンネルの入口に見られるくらいになっちゃいました。
事務所からのポチん。

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