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2009/4/19  1:41

115系 東北線・高崎線の混色編成(昭和60年)  その他電車
こんばんわ。
このところ沢山のポチをいただきありがとうございます。
段々とネタの内容が難しくなってきてしまって、記事として書く難しさを味わうようになり、読む方も息苦しさがあるのではないかと心配しております。
支離滅裂な文章にならないように気を付けてはおりますが、何とぞ寛容にご覧いただきますよう、お願い申し上げます。

さて、過去ログ『115系 東北線・高崎線の大目玉たち』から1年も空いてしまいましたが、115系ネタから混色編成の写真をアップしたいと思います。


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昭和60年6月2日 蕨駅にて 115系混色15連


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昭和60年7月28日 東北本線 栗橋〜古河間にて 115系混色7連

いずれも昭和60年の写真で、東北・上越新幹線が上野駅に乗入れるようになった直後ですね。
新幹線の開業で特急列車がなくなり、線路容量に余裕ができた東北・高崎線では、フリークエンシーにより普通列車の大増発が行われました。全国的にも列車の編成を短縮化し、本数を増やして利用者増を図るという手法が展開されましたね。

ここで問題となるのが先頭車の不足です。東北・高崎線の115系は、4両と7両の組み合わせにより11連と15連の列車が組成されていましたが、大宮折り返しの4連や7連も運転されるようになります。

一方、地方ではクモハ115を含めた3連又は4連が主流でしたが、一部にはクモハ+モハ+モハ+モハ+クハといった5連も存在し、本数を増やすために運転台のある車両が必要となります。一部は中間車のモハやサハといった車両に運転台を取り付ける改造により賄いましたが、実は、遊んでいるクハがあったのです。

それは、小山電車区と新前橋電車区に存在した7両編成です。多くの7連はクハ+モハ+モハ+クハ+モハ+モハ+クハと中間にクハを連結していたんです。これは、4連の組成が標準であった両区からすれば、バラバラに車両検査の順番が回ってきても、4両単位で差し替えが利くからではないかと想像することができます。
しかし、115系の先頭車が大量に不足することから、そのような発想では耐え切れない状況となったのでしょう。それまで中央東線でクモハ+モハ+クハ+サハ+サハ+クモハ+モハ+クハという珍妙な固定編成を組んでいた115系からサハを捻出し、これを小山・新前橋両区に転出してクハを差し替え、ここからクハを地方に回すという手法が採られました。

その結果が、この写真に見られるような妙な編成となって現われたのです。私的には混色編成が好きだったので、枚数があまり撮りませんでしたが、当時あまり見向きもしなかった115系を撮っていたわけですね。

これらのサハは検査入場までスカ色のままで使用され、両数もそこそこ存在していたらしく、この時期頻繁に見ることができました。そして、いつの間にか湘南色に塗り替えられ、違和感の無い編成として115系廃止まで走り続けました。
また、その結果サハを抜かれて6両編成となった中央東線の115系は、現在もクモハ+モハ+クハ×2の編成を保っています。既に25年も経ったのですね。

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2016/5/2  2:08

投稿者:キハ181つばさ
風旅記様
昔はとりあえず転属で、検査に入ったら塗り替えと言ったパターンが多く、各地でこのような混色が見られましたね。103系なんかもしょっちゅう見ました。
私も中央線の115系の奇妙さには興味がありましたが、富士急乗り入れの関係で3両編成にする必要があったとか?そんな理由があったようですよ。

2016/4/26  14:57

投稿者:風旅記
こんにちは。
記事とお写真、楽しく拝見しました。
国鉄時代には車両が標準化されていたせいか、混色編成もよ
くあったようですね。明らかに異なるカラーの車両が繋がっ
ていれば、一般の乗客の方々の目もひいたのではないかと思
います。
中央本線の組成は、不思議な形態ですね。他と同じような発
想で、3両編成の差し替えがきくからでしょうか。普通ならば
、サハ車を3両編成の中に組み込みそうなものですので、何か
理由があったのかもしれません。
当時の中央本線の様子も見てみたくなりました。
今後とも、宜しくお願い致します。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/

http://kazetabiki.blog41.fc2.com/?pc

2009/4/19  20:06

投稿者:キハ181つばさ
シービー様
そうですね、今のようにタイムリーに情報が入る時代では無かったですから、鉄道誌に載ったときには既に終っていることが殆どですからね。自分の足で探す時代でした。今のテツ達は、そういう意味では苦労を知らないかもしれませんね。

2009/4/19  14:03

投稿者:シービー
こういった混色編成は国鉄時代ならではのものでしたね。
当時は情報も少なかったので、こういった編成に遭遇するとラッキーでした。

2009/4/19  8:33

投稿者:キハ181つばさ
宮オオ様
中央東線から113系改造車も出ていたんですね。知りませんでした。中央東線の115系は基本が8連でしたので、相当数サハが在籍していたと思います。東北・高崎線のクハを捻出するためには相当役に立ったのではないかと思います。
113系と115系はドアエンジンの形式が違うため、音も違いますよね。そのうち113系の2000番代は同じような音になってしまったのではないかと記憶していますが、115系はうるさいイメージがありました。
大宮で最後に残った115系がスカ色とは。意外な展開になりましたね。

2009/4/19  6:29

投稿者:宮オオ
おはようございます、
昭和60.3改正において中央東線の輸送力見直しにより余剰となったサハ115-300のうちの4両がサハ111-300に改造となり、国府津区=うち2両は田町区に一時期配属の期間あり=に配属されて東海道東京口の基本編成11連の8両目に連結され使用してましたが、戸閉め装置とドアの取手はそのまゝでしたから私の高校時代に電車通学してたさい、この車両が来たときには私はよく好んで乗ったものでした。
その後私は高校卒業後かねてから憧れてた関西に移り、何年か経ってE217投入による玉突き転配により押し出されたサハ111-300は廃車の対象となり、いともアッサリと姿を消してしまったのにはショックだったです。
いまや写真の湘南色115-300も東北・高崎線からは消えてしまったけど、大宮にやってくるスカ色の6連車のみが来るだけでもヨシとしたらいゝかも知れませんね。
思い出がギッシリ詰まってるが故に、つい々々長文になってしまいましたが、この辺にて失礼します。

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