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2009/6/7  1:37

寝台特急「ゆうづる」:20系客車時代  ブルートレイン:機関車・客車
こんばんわ。
昨日の横浜は、天気が悪くても随分賑わったようですね。
朝から天気が悪い(雨+暗い)ので何も撮りに行かなかったのですが、レトロの送込み回送があるのをスッカリ忘れてましたTдT

今週は会社の仕事を持ち帰ってきてしまい、しかも昨日は一切手を付けられなかったので、今日も出掛けられそうにありません。天気が良ければ、夕方の返却回送を撮ることが出来るかもしれないので、何とか期待したいと思っています。

さて、今日は久し振りにブルトレネタをアップいたします。
このブログを始めて間もない頃、「あけぼの」とコラボで20系「ゆうづる」の記事をアップしたことがありましたが、まだフィルムスキャンが出来なかったので、かなり写りの悪い写真だったんですね。
なので、今回はネガからスキャンしたものを再掲してみたいと思います。出来栄えはあまり変わらないような気がしますが・・・。


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オートハーフでの撮影で、写真の明るさから察して昭和51年の夏休みに撮影したものと思われます。
時刻表から検証すると、右側のナハネフ22(19番線)が上野5:55着「ゆうづる2号」で、左側のナハネフ21(20番線)が6:00着の「ゆうづる3号」のようです。
「ゆうづる1号」は5:20に既に到着しており、蕨駅を始発電車に乗ってギリギリ間に合うくらいですから、当時中学1年生の駆け出し駅撮りテツにはかなり厳しかったようですね。この列車ですら蕨を5:10くらいの電車に乗らないと撮れないですから、かなりその気で撮影に臨んだものと思われます。

ナハネフ21は、3等座席車のナハフ21を寝台化改造した車輌で、少数派の貴重な車輌です。青森運転所の所属で、「ゆうづる」「日本海」に共通運用で使用されていました。
※「あけぼの」も青森所の共通運用があった筈ですが、ナハネフ21を使用しているシーンは記憶にありません。


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上の写真の「ゆうづる3号」をアップで撮った写真です。車掌室のカーテンが異常に汚いですね(笑)。
ストロボを焚いちゃっているんですが(当時は未だストロボを使ってはいけないという風潮が無かった。というか、ストロボ自体が高級品で、なかなか買えるシロモノではなかった。)、青森所の特徴であるテールマークの赤地が吹っ飛んじゃってますね。


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こちらは、左側(20番線)が上野6:34着の20系「ゆうづる4号」で、右側(19番線)が後を追ってきた6:37着の583系「ゆうづる5号」ですね。
「ゆうづる4号」が青森を19:20に発車しているのに対し、「ゆうづる5号」は実にその1時間50分後の21:10に後を追ってきます。もちろん、583系は機関車の付替えも不要ですので、物理的な要因以外にもその俊足振りを発揮していました。


この後直ぐとなる昭和51年の9月頃には、「はやぶさ」「富士」「出雲」が24系25形化され、これに合わせて「ゆうづる」の客車が押し出された24系24形となり、20系「ゆうづる」は消滅しています。「ゆうづる」に使用されていた20系は、「新星」「天の川」といった寝台専用急行に転用されることになります。


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こちらはオマケ画像です。
やはり同じ昭和51年頃に撮影したオートハーフによる写真です。場所は西川口〜蕨間です。
ブレてしまって、撮った私でしか判らないような写真で恐縮です。本来ならボツ写真となるものですが、最後部の車輌が初代20系の電源車であるマニ20なので、敢えて掲載させていただきました。


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こちらは、やはり昭和51年、東大宮操車場での写真です。どちらが何号の回送かまでは判りません。奥はピントが合ってなくて判りづらいですがカニ21「ゆうづる」で、手前が583系「ゆうづる」ですね。当時は規制が非常に厳しかったですが、珍しくこの場所を動かないという条件で許可をくれました。ギャラリーも7・8人いたからかな?

「ゆうづる」の20系客車のうち2本は、上野から尾久客への推進回送後、カマを付替えて東大宮操車場へと回送されます。夜しか見ることの出来ない電源車を、ここ蕨で毎日見ることが出来たのです。
この回送ですら早朝の時間帯となるので、殆ど撮ることは出来ませんでしたが、偶然にも貴重なマニ20を捉えていました。個人的にはカニ22の方が好きなのですが、残念ながら写真には残っていませんでした。

EF80他、「ゆうづる」のアーカイブを用意してありますので、こちらからご覧になってみて下さい。

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2009/6/8  23:31

投稿者:キハ181つばさ
line様
客車「ゆうづる」の走行写真と言うのは至難の業ですね。一番遅いヤツでも上野に6:30ですから、取手以遠だと全てが5時台の通過になりますよね。
やはり、ヘッドマークの無いところが写欲をそそられない最大の理由でしょう。20系「十和田」とも遠巻きには区別付きづらいですもんね。
最終期にヘッドマークが復活した頃、駅撮りを好まない世代になっていたので、完全に撮り逃してしまいました。コレばかりは失敗したなと思います。

2009/6/8  20:28

投稿者:line
ゆうづるは20系時代しか撮ってなかったです。と言っても走行写真は推進回送しか無かったような気がしますね。
朝方の常磐線方面は中々足が向いてなかったようです。
やはりヘッドマーク取り付けが無いと魅力半減だったのですかね。

2009/6/7  22:48

投稿者:キハ181つばさ
シービー様
当時はダイヤも知らなかったので、毎日運転とは言え偶然的にしか撮影していませんでした。特に20系時代はカメラも良くなかったし、あまり撮ってませんね。
なんと言ってもヘッドマークが無いのが難点でした。これにマークでも付いていれば狙って撮ったんでしょうけどね。

2009/6/7  22:09

投稿者:シービー
ゆうづるの回送、機関車もEF80が牽引してきて、ラッキーという区間でしたね。
20系ゆうづる、そういう事で荷物車側が撮ったのは多いです。
Wです。

http://blogs.yahoo.co.jp/mrcbcross14

2009/6/7  20:29

投稿者:キハ181つばさ
宮オオ様
昭和57年の新幹線暫定開業までは、東大宮は優等列車の宝庫だったですね。中学生の頃は良く行ったもんですが、奥の方はそれでも余裕があり、キハ181系の留置車を見ては「つばさ」の復活を願ったものでした。
高校を高校生になってからは東大宮へは行かなくなってしまいましたが、基地の全景というのも撮影しておけば良かったですね。まだレンズの選択も出来ないカメラだったので限界がありましたけど。

2009/6/7  19:01

投稿者:宮オオ
こんばんは、
東大宮の車庫というと昔は優等列車ばかりでギッシリしており、田町・品川や尾久に勝るとも劣らなかった位の賑わいぶりがたまらなかったです。
時折20系客車の姿<もうその頃は「あけぼの」のみしか特急運用がなく、あとは急行運用の「天の川」「新星」くらいだったかな>もチラホラあったかな?としか憶えてないですね。
本日はこの辺にて失礼いたします。

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