鉄道コム

2009/8/1  0:56

EF13 2 懐かしの新宿駅にて  国鉄・JR機関車(直流型)
こんばんわ。
もう8月になってしまいましたね。昨年と同様に、いつまで経っても天気が良くならず、ストレスの溜まる日が続きます。
しかも、ここに来て風邪をひいてしまい、今も腰や膝関節が痛くて、手も力が入らない状態。計ってないけど、多分熱があるんでしょうね風邪


さて、昨日は金曜日で訪問者もかなり少なくなってしまったので、天気の悪い週末、こんな写真を懐かしんでいただこうと思います。



クリックすると元のサイズで表示します
昭和53年8月頃 新宿駅にて EF132

新宿駅の中線(待避線?)に停車中のEF132号機です。
EF13の活躍も末期の頃、地元では何枚か撮った写真がありましたが、みんな広角レンズで、しかも条件が悪い時に撮ったものが多いらしく、まともに見られる写真がありません。
そんな中、やっと標準レンズを手に入れた頃でしょうかね。私の撮ったEF13で唯一キレイに撮れていたものです。

晩年のEF13は31両全機とも首都圏に配置されており、昭和52年から54年に掛けて廃車されています。
2号機は、戦時中の昭和19年11月21日に誕生、日立製。所属はあまりにも転々としているので割愛しますが、昭和52年に八王子、53年の9月に立川に配置となり、同年の12月9日付で廃車となっています。
ボディーはEF5823号機のものを搭載していたようです。

写真は新宿駅で撮影されていることから、立川機関区に転属になる寸前くらいに捉えたものと考えられます。この3ヵ月後には廃車になってしまったわけですから、ギリギリセーフのところだった訳ですね。


それにしても、現在の埼京線や特急ホームがある位置は、殆どが新宿貨物のヤードだったのですから、今では想像も付きませんね。それでも、昭和59年2月まではしっかり営業していたわけですから、25年の月日が経つとは言え、私的にはそんな遠い昔の話しではありません。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村
0

2009/8/3  23:52

投稿者:キハ181つばさ
シービー様
道路目線からだとどうしてもカブり易かったですね。
昔撮ったヤツは広角でサイドからナンバーが判断できそうなものだったのですが、当時はASA100でも粒状が粗くて、スキャンしてもナンバーが判読できないです。

2009/8/3  22:13

投稿者:シービー
EF13、これも南浦和辺りで撮ってましたが、上り貨物だと手すりにプレートが隠れて、何号機か判別出来ない事が多かったでした。
2号機、これは撮れませんでした〜。

http://blogs.yahoo.co.jp/mrcbcross14

2009/8/2  8:56

投稿者:キハ181つばさ
金太郎様
中央東線ではそんな時代もありましたね。スピードが要求されていなかったのでしょうか?それとも、勾配が多かったから、出したくても出せなかったのか。想像しただけでもノンビリしてますね。
さすがにその時代の中央本線を知る由もありませんが、その後もあまり縁がなくて、181系「あずさ」や客レさえ見たことがありません。やはり、上野・東京に比べると魅力が無かったのでしょう。ただ、クモニ・クモユニさえ撮っていなかったのは悔しいですね。

2009/8/1  22:01

投稿者:金太郎
あ、そうそう。
旧型電機をアップして頂いたのでポチ3つ差し上げました。

2009/8/1  21:58

投稿者:金太郎
旧型電機は大好きなのですがEF13が現役の姿は見たような見ていないような記憶が曖昧です。
デッキ周囲の造作に気づかなければ15の初期車と同じですからね。
話は逸れますが新宿駅のタンク車火災事故はEF1040号機が犠牲になったようです。

個人的な思いかもしれないですがEF13は新宿に縁があるような気がします。
古い雑誌を見ると35系・61系あたりの茶色の客車と冬はカマの次位にマヌを連結して中央東線を行く姿が載っていますがこれがなかなか絵になってるんですよね。
勿論そんな時代は知らないですけど。

戦時設計で後に旧58の車体に換装されて30数年使われたという事はある意味結構長持ちしたと言えると思います。
当時はこういった地味なカマがさよなら運転ということはあまり行われずいつの間にかひっそりと引退してしまう感じだったと思いますがちょっと寂しい気もしますね。
戦争の生き証人みたいなカマですから。

2009/8/1  21:00

投稿者:キハ181つばさ
line様
旧型にしては比較的に台数があったので、1桁といっても当たる確立は少なかったかもしれません。私はトップナンバーも撮っていましたが、残念ながら番号が確認できない写真でした。5号機も良く見ましたね。
さよなら運転はなかったかもしれませんね。貨物機のなかでも、一番地味な活躍だったかも。私的には好きな機関車でしたけど。

2009/8/1  18:27

投稿者:line
EF13の1桁台は撮ってなかったです。これもEF15と共通運用のようでしたから、来ればラッキー的な狙い方したました。
ある意味、山手貨物の主的な存在でしたが、いつの間にか居なくなったと言う寂しさが残る機関車でしたね。さよなら運転とか有ったのでしょうか。

2009/8/1  14:46

投稿者:キハ181つばさ
宮オオ様
なんか、その事故の話は聞いたことあるような気がします。私も大宮操で初めてタンク車に乗ったとき、連結の際に爆発するんじゃないかと緊張したことを思い出します。それと、初めての冬、重油のタンク車に乗ったら、熱くて湯気が立ち上がっているんです。親分に「危ないんじゃないか」と相談したら、「重油は揺れると発熱すんだよ」と一言で終わり。そう言った知識も経験から付いてくる訳ですね。
D52、EF13も戦争の申し子と言えるカマですね。戦争のことは知りませんが、あったこと、あってはなっらないことは後世に伝えていかなければいけませんね。

2009/8/1  10:00

投稿者:宮オオ
おはようございます。
まず、私事ですが先月の半ばに仕事が変わって浦和の方へ行く事となりましたが、今週からずっと多忙でかつ暫く残業が続く為、つばささんのこのブログに仕事が休みの日くらいしか覗けることは出来なくなりましたのでご了承願います。

さて、本題に入ります。
昭和42年8月のある夜の事だったそうですが、この新宿の貨物駅近辺において、当時勃発してたベトナム戦争に絡む米軍燃料輸送用タンク車が事故を起こして火災となり、架線やケーブル等が焼き切れたりした為付近を走る1200本余りの列車や電車が運休し、多数の足に影響が出た結果、国鉄はベトナム戦争反対闘争が起きるきっかけとなったと知り合いから聞いた事がありましたけど、何でも夜に起こったその火災のさいに渋谷や世田谷あたりでも新宿方面を見たら赤かったとのことです。
8月といえば戦争について考える月であり、何かしらのイベントがあちこちで予定されてますけど、この写真のEF13やD52、そしてモハ63といった戦争の落とし子のことも忘れてはならないと思います。
久々にコメントした為に長くなってしまいゴメンナサイ。
それでは、この辺にて失礼いたします。

コメントを書く

名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ